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東京の台所
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〈85〉上海の食卓から学んだ「足るを知る」

〈85〉上海の食卓から学んだ「足るを知る」

〈住人プロフィール〉
陶芸家、プロダクトデザイナー・46歳(女性)
賃貸戸建・都電荒川線 鬼子母神前停留所(豊島区)
入居半年・築約40年・ひとり暮らし

    ◇

 11年前、中国・上海に語学留学をした。その後、上海に店を構え、陶芸、木工、家具、布小物のデザインやプロデュースをしている。扱うのは、手仕事のぬくもりや風合いが伝わるような製品だ。

 3カ月に1度、2、3週間ほど帰国する。日本では、鬼子母神にある長屋風古民家を借りている。

 がらがらと格子戸を開けると、いちじくを煮る甘い香りがお勝手から漂ってきた。

 「季節のジャムはよく作ります。朝、自分で焼いたパンとジャム、さんざしのお茶、自作の豆乳ヨーグルトを食べます。このとおり、冷蔵庫がないのでパンを作りすぎても冷凍できません。だから、その日食べる分だけ作って焼きます」

 焼きたての熱々がちょうどできたところで、いちじくジャムを添えてひと口いただいた。小麦の味がしっかりたっていて、生地に変な甘さがない。砂糖やバターの入っていない素朴で香ばしいパンだった。

 野菜、魚、果物、豆腐やヨーグルトの発酵食品を多くとるようにして、肉は食べない。薄い味つけで、素材の味を楽しむ。自然食に近いが、完全なマクロビオテックは堅苦しいので苦手だと言う。

 このような食生活になったのは上海の人々の食卓をまのあたりにし、中医学などを知ったのがきっかけである。また、4年前に大病を患い、さらに徹底的に体のことを考えるようになった。

 「なんで病気になっちゃったんだろう、とすごく考えました。いきついたのは、胃を休めるというシンプルなこと。夜の9時以降は食べず、旬の新鮮なものをとり、冷たいものは食べない。発酵食品はたくさんとる。以来、自分で作れるものは作るようになりました」

 冷蔵庫も食器棚も電子レンジもトースターもない。食器は古材で作った箱にほんの少し。3カ月に1度とはいえ半月以上暮らす家には、荷物も家具も驚くほど少ない。物欲や所有欲に対する価値観もまた、上海での暮らしと病気によって転換したらしい。

 「現代文明とは何かということを考えました。日本にいると便利だけど、便利にするためには、いろんなところで無理がでる。全体的な社会の仕組みが無理ばかりだなあと気づき、もう無理はやめようと思ったのです」

 1年中トマトも苺(いちご)も食べられる。四季のある国で旬を忘れた暮らしをするのはもったいない。体の道理にもかなっていない。

 「自分の手に入る範囲のものを食べれば良いということです」

 中国には小さな定食屋がたくさんあり、「いま、旬だから」とメニューにないものが出てくる。地方だと、お客がずかずか厨房に入っていって「いま、何がおいしい?」なんて聞いたり、「これ使って何か作って」と頼んだりもする。

 「日本はメニューが決まりすぎているんじゃないでしょうか。いつも同じものが食べられるけど、食文化が産業になってしまったら寂しいなと思いますね」

 急激に発展した上海で最初は、どこもかしこも新しく季節感がないと憂いたそうだ。だが、食卓は違った。

 「多くの人が農歴に合わせた食生活を自然にしています。この時期にはこれを食べると風邪をひかないとか、夏バテしないとか、昔からの知恵が生きている。食卓には季節感が満載でした」

 夏でも冷たいものは飲まない。病気も、薬だけに頼るのではなく食生活で治すことを重視する。病気と付き合いながら、無理をしない食事を続けているうちに、自分の中のものさしが変わっていったというわけだ。

 「仕事を増やしたいとか、あれもこれもいっぱい欲しいとか思わないようになりました。お金も縁のものですし。なんでも少々。足りないくらいでちょうどいいな、と今は思っています」

 病気をして本当に大切なものが何かわかった、と書くのは簡単である。その1行を心の底から理解するまでに、どれほどの苦労と葛藤と不安があったのだろう。

 清々しいほど簡素な台所で、穏やかな表情で次の夢を語る。

 「中国で学んだ生活にまつわるいろんな知恵や文化を、小さな勉強会やワークショップという形で日本に紹介できたらなと思っています」

 急がず、無理せず、自分らしいペースできっと実現するにちがいない。

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