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軽井沢暮らし、「3.11」が転機に テイ・トウワ(後編)

 ニューヨークから東京、そして、東京から軽井沢へ――。テイ・トウワさんは活動拠点を変えながら「そのときどきの自分の音楽」を追い求めてきた。音楽が聴けない、作れない苦悩を超えた先にたどりついた思いとは?(文・中津海麻子)

    ◇
(前編から続く)

ニューヨークから戻って目に映ったもの

――バンド「Deee-Lite」を脱退してソロとなり、日本でもCDをリリース。95年には活動の拠点を日本に移されます。

 坂本龍一さんが「僕のレーベルで作ってみたら」と後押ししてくれたのです。帰国は子どもができたことがきっかけ。妻から「日本で育てたいけど、あなたどうする?」と聞かれ、「え!? 僕だって帰るよ!」と(笑)。息子と一緒にいたいですからね。

 話が少しさかのぼりますが、レベッカ解散後のNOKKOちゃんが全米進出するお手伝いをしたことがありました。その後、日本のマーケットでも1位を取りたいとスタッフが意気込んでいたので、94年に「人魚」という曲のアレンジをしました。その曲は目標どおり1位を取ったんだけど、なんかそういう仕事は僕に向いてないなぁ、と。日本の歌謡曲をやろうと思えばできるし、プロとしてはそういう仕事も必要かもしれないけれど、一方で、そんなに器用にならなくてもいいんじゃないかという気持ちになったんです。そんなこともあって帰国後は、ソロの仕事以外は、CHARAやピチカート・ファイヴなど、縁があって、そのサウンドが好きな人たちとだけ一緒にやるというスタンスに落ち着きました。

 後の話になりますが、細野晴臣さんと高橋幸宏さんが新しいユニット「スケッチ・ショウ」を組んだときには、「1曲、アレンジから仕上げまでやってくれないか」と頼まれました。坂本さんもそうですが、中学時代に写真の切り抜きを下敷きに挟んでいたあのあこがれの人たちと一緒に音楽ができる。夢ってかなうものなんだ! と(笑)。

 キャリアとしてはDeee-Liteで世界のトップチャートを席巻したころがピークだったかもしれないけれど、もともと僕の目的はそれじゃなかったわけで。音楽の道へのきっかけを作ってくれた3人と仕事ができる幸せを、今でもしみじみと感じています。

――帰国した90年台半ばは、ミリオンセラーのCDが続出するなど、日本の音楽シーンは盛り上がっていました。アメリカ帰りのテイさんの目にはどう映ったのでしょうか?

 アメリカのレコード会社はシビアで、「売れない」と判断されたらCDは出してくれないし、契約もすぐに打ち切られてしまいます。僕らは幸い3枚のアルバムを出せましたが、ボツになることも珍しくない。それに対してあのころの日本は、リスク度外視。ディレクターの勘みたいなもので膨大な宣伝費をかけちゃうとか、賭博的なことが通用していた。アメリカで音楽をやってきた僕には、ひどくうさんくさく見えました。

 一方で、世界中の新旧の音楽が日本に集まってきて、特に渋谷の熱はすごかった。ニューヨークの濃厚なダンスソサエティとは違うけれど、逆にザ・カーディガンズなど北欧の音楽も入ってきていたし、いわゆる渋谷系と称されるものも含めて情報がたくさんあった。そのころの僕はボサノバやインド音楽などをよく聴いていたんだけど、そういう音楽は下手するとニューヨークよりも東京のほうが豊富かもしれない、と。

 ニューヨークと東京を行き来していた94年に初のソロアルバム「Future Listening!」をリリースしました。アメリカでは売れないかもしれないけど、日本でならそれなりに受け入れられるんじゃないかな、くらいに考えていました。ところが、ふたを開けてみたらドイツとフランスで火がついた。「ラウンジ系の先駆け」みたいに祭り上げられたんです。これには正直、びっくりしました。

温泉につかっていると、音楽が降りてくる

――その後、現在に至るまで、ほぼ2年に1枚のペースでオリジナルやリミックスのアルバムをリリース。毎回異なるテーマが感じられます。

 97年の『SOUND MUSEUM』はR&Bのカラーが強く、99年の『LAST CENTURY MODERN』はイギリスのドラムンベースを自分なりに昇華させました。さらにこのアルバムには、世紀が変わることへの期待と不安が色濃く出ていたと思います。

 2000年、東京から軽井沢に移り住みました。じつはSWEET ROBOT AGAINST THE MACHINE名義のアルバム『TOWA TEI』がほぼ完成していたのですが、初めての田舎暮らしで僕の中で何かが変わったのか、なんだか違和感が出てきた。そのアルバムはかなりやり直しをして、02年にようやくリリースしました。

 軽井沢に拠点を置くようになって、気持ちにも音楽づくりにも変化がありました。近くに温泉があって日々通っているのですが、温泉につかってリラックスすると、自然に鼻歌が出たりする。「ババンババンバンバン♪」みたいなね(笑)。自分のお気に入りの曲がどうやってできたかを考えたら、時間をかけずに、それこそ鼻歌的にパパパッとできた曲だったりするんです。世紀が変わるからどうとか重いことを考えずに、そのときの自分なりの感性やひらめきに素直に音楽をつくっていきたい。そうしてできたのが、タイトルにもその思いが表れている『FLASH!』(05年)でした。環境も気分も変わり、これから僕の音楽人生の第二章が始まる。そう思っていました。「あの日」が来るまでは。

――「あの日」?

 「3.11」です。東日本大震災が起きたあの日から、音楽が聴けない、ましてやつくる気持ちになんてなれない日々が数カ月続きました。そんな経験は初めてだった。いつでもどこでもコンパクトに移り住めるようにならなきゃと、とりあえずたまっていた古雑誌の断捨離を始めました。そんなとき友人から、「雑誌をつくって売り上げを被災地に寄付するから参加しないか」と誘われて。断捨離した雑誌のお気に入りのページを並べ、ハサミで切り貼りしていたらコラージュになりました。それが好評で、結局展覧会をするにまでなったのですが、僕としてはリハビリのつもりだった。コラージュをしているときは安らかに音楽を聴くことができたんです。そうしているうちに、また曲をつくりたいという気持ちが戻ってきたのです。

 この世も自分の人生も、いつ終わったって不思議じゃない。悔いを残さないために何がしたいかを自分に問うたとき、純粋に「自分がつくる音楽をもっと聴きたい」と思いました。3.11以降、周りからはペースが上がっていると言われますが、それは自分の音楽だけに集中するようになったから。ほかのアーティストのお手伝いもゼロではありませんが、ほとんどしなくなりました。年齢とともに経験値や判断力は増すけれど、体力や集中力は確実に落ちていきます。それも含めて、そのときどきの自分なりの音楽をつくり続ける。宿命と言うのは大げさですが、天職なんだろうとは思っています。

 最新アルバム『CUTE』は、なんとなく世の中が妙な方向に進んで行っていると肌で感じる中で、それでも音楽は変わることなく唯一のサンクチュアリであり、音楽が一番キュートだ、と改めて思ったことから来ています。僕自身がキュートだと感じる曲だけを集めた、キュートな1枚になっています。ちなみに、収録されている「LUV PANDEMIC」という曲の「LUV パンパンパン パンデミック」という下りは、それこそ温泉につかりながら鼻歌的に降りてきた曲です(笑)。

――最近の活動についてお聞かせください。
 やりがいを感じているのが、東京・南青山にあるレクサスの情報発信基地「INTERSECT BY LEXUS-TOKYO」のサウンドプロデュースです。ビストロやバーを併設し、イベントなどもする複合スペースで、その空間に流れる心地いい曲、かっこいい音を提案する。いわば音楽の顧問です。実はこういう仕事がずっとしたかった。音楽産業はCDを売る、音楽を売るという概念にこだわりすぎているけれど、「この場所に必要な音楽をつくってほしい、選曲してほしい」という志の高いニーズはあると思う。クラブは若い子たちが集まる場所だから若いDJがいいけど、こういうオーダーメイド的な仕事は年輪のあるDJのほうが幅が出る。年取ってからのほうがいいこともあるんですよ(笑)。

 それから一昨年、高橋幸宏さんから声をかけていただき、小山田圭吾くんや砂原良徳くんらと「メタファイブ」という6人組バンドのメンバーになりました。「バンドうざい」とグチってた僕が、まさかこの歳になってバンドをやるなんてね(笑)。100%自分が責任を持つソロと違い、やることも責任も6分の1。一人で作る作品とはまったく違う音楽が生まれ、新鮮です。来年1月にはアルバムが出ます。幸宏さんに依頼されてジャケットのアートワークも手掛けました。振り返れば、YMOのアートワークをすることを夢見て、僕は美大に進んだわけですから、感慨深いですよね。

――「夢はかなう!」と。
 そういうことにしておきましょう(笑)。音楽でメシが食っていけるなんて考えてもいなかった僕が、20年以上続けられただけでラッキーだな、と。大した予定も野望もありませんが、あと1枚、もう1枚と、なんとなく2020年ぐらいまでに10枚目のアルバムが出せたらと、温泉につかりながら思い描いています。

    ◇

TOWA TEI(テイ・トウワ)
1994年「Future Listening!」でソロデビュー。97年「SWEET ROBOT AGAINST THE MACHINE」、98年「SOUND MUSEUM」、99年「LAST CENTURY MODERN」、2002年SWEET ROBOT AGAINST THE MACHINE名義で「TOWA TEI」をリリース。軽井沢への転居を機に創作活動はさらに活発化。05年「FLASH」、09年「BIG FUN」、11年「SUNNY」、13年「LUCKY」をリリースした。
松本人志監督の映画「大日本人」(07年)のサウンドトラックを担当するなど、楽曲制作、プロデュース等も数多く手がける。また、音楽活動の傍らで作り続けたアートコラージュ作品を集めた展覧会「ecollage」(12年)を東京と京都で開催した。
ソロ活動20周年の14年にはリマスタリング3部作をリリース。15年7月、ニューアルバム「CUTE」を発売した。
http://www.towatei.com/

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