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東京の台所
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〈125〉人気フードブロガーの恋愛とごはんと明日の夢

〈125〉人気フードブロガーの恋愛とごはんと明日の夢

〈住人プロフィール〉
会社員・40歳(女性)
マンション・2LDK・中央線・荻窪駅(杉並区)
入居8カ月・築年数26年
恋人(会社員・40歳)と2人暮らし

店自慢の男

 飲み会に遅れてきたその男は、自慢げに彼女に言った。

「俺は食べ物に詳しいんだ」

 あの店もこの店も知ってると、やたらに吹聴する。

 食べることが大好きな彼女は、家で作ったものや、食べ歩きした店を備忘録代わりに友だち向けにブログに書いていた。適当につけたブログネームは、ツレヅレハナコ。ところが本人も驚くことに、ブログのアクセス数は友だちの数をはるかに超え、毎日倍々ゲームのように増え始めていた。

 そんな食べ歩き好きの彼女にとって、飲食店の話ばかりしてくる男は少しイラつく存在だった。気がついたら、互いに“自分が好きなおいしい店情報”をまくしたて、はりあっていた。

 数分後、彼が友だちにこう宣言した。

 「……うーん、参りました! ……ねえ、この人すごいよ? 俺、この人とつきあうわ!」

 周囲は失笑。彼女は──。

 「ムカツク人だなと思いました。ぐいぐいと押しが強いし、勝手に付き合うとか言ってバカにされているのかなと」

 店自慢は彼が白旗をあげたが、次のデートの約束は彼の作戦勝ちだ。

 前から彼女が気になっていた予約の難しいビストロに誘ってきたのだ。店に惹かれてしかたなしに出かけた彼女が席に着くと、彼はいきなりきりだした。

 「で、俺たち、いつから付き合います?」

 は?とあっけにとられている彼女を尻目に、矢継ぎ早に言葉をつなげる。

 「結婚したいんだ」
 「ムリムリ。私、今彼氏がいるし」
 「え? そうなの? ……じゃあさ、早く別れて来いよ!」

 歴代の恋人はみな優しく穏やかな人ばかりだった。彼女は述懐する。

 「とにかくぐいぐいくる、初めて見る変な人。そして食べることが大好きな人でした」

 半年後、33歳で結婚。ツレヅレハナコの名はフードブロガーとしてますます人気となり、本業の編集の仕事とブログと食べ歩きと、4歳上の食いしん坊な夫との生活は順風満帆に2年続いた。

 なぜ2年か。その後彼は進行性胃がんに侵され、結婚生活わずか3年半で天に召されたからである。

新しい生活

 彼は外でワイワイ食べるのも好きだが、家に客を大勢招いて、彼女の手料理で盛り上がるのも大好きだった。

 「私って本当に食べ物の話しかしないんだなあって、彼が胃がんになって初めて気づきました。それをのぞくと話すことがないって、ちょっとショックでさえありましたね。でも彼の前で食べる話はできないから、昔話や飼い猫の話ばかりしてました」

 亡くなる前の1カ月は、自宅で過ごした。病院より家のほうがずっと落ち着くし、自分は食べられなくても、来客と楽しんでいる彼女の様子を見るのが彼にとっても喜びだった。

 最期につくった料理はなんでしたか。そう聞くと、それまで明るくインタビューにすらすら答えていた彼女の目がみるみる涙でいっぱいになった。

 「土鍋で炊いた牡蛎飯です。彼の大好物で。おいしいおいしいって。でも胃ろうで飲み込めないから、咀嚼(そしゃく)したらティッシュで外に出して……」

 一緒に暮らした人の死を、潔く曇りのない瞳で語れるようになるには、いったいどれくらいの時間が必要なのだろう。

 それから長い冬をいくつか越した。

 「仏壇も持ってきます。それでもよければ、まるっとよろしくお願いします」

 8カ月前から、恋人と新しい住まいで暮らしている。彼もまた大の料理好きだ。出会いはもちろん飲み会である。「この人、燻製が得意なんだよ」と紹介された。男女の、いや彼女の恋愛の始まりには必ず酒とおいしいものの話が不可欠らしい。

 大きな窓から明るい陽射しがふりそそぎ、リビングには8人掛けの大きなテーブルがどーんと構えていた。冷蔵庫は彼のと自分のと2台。普段の食材用、お酒&燻製の仕込み用と分けている。あいかわらず、会話は食べることばかり。

 「今夜何食べる?とか、これ取り寄せようと思うけどどう思う?とか。朝からずっと食べ物の話をしていてもいやがらない人で。おまけに人を呼ぶのが彼も好きなんですよね。私の女友だちともすぐ仲良くなっちゃう」

 そう、彼女が言うように、天国の彼も彼女が楽しく暮らすことを望んでいるに決まっている。

 ブログは評判を呼び、ツレヅレハナコ名義の著作が2冊生まれた。この先も食にまつわるはっきりした夢があり、今はそれを叶えるためにさらに酒と食べ物を追求し、人脈を広げ、研究を掘り下げている。
 「人生短いしなーって思って」と、彼女は明るく笑った。

 私よりはるかに若いけれど、人生で大事なことを私よりずっと知っているこの人はきっと遠からず、夢を実現するに違いないと踏んでいる。

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