〈153〉アメリカ人の夫と、正月、実家で。

〈住人プロフィール〉
グラフィックデザイナー・33歳
賃貸マンション・2DK・小田急線 豪徳寺駅(世田谷区)
入居2年・築年数約10年
夫(教員・30歳)との2人暮らし
◇
3歳下のアフリカ系アメリカ人の彼とは、4年前、東京の言語交換コミュニティーサイトの集まりで知りあった。
長身で、ドレッドヘア。彼女の第一印象は「怖いな」。
彼女は留学で学んだ英語を忘れないために、彼は大学から学んできた日本語をブラッシュアップするために、参加していた。互いに母国語を教え合うシステムで、たまたま隣の席になった。
ところが、彼は話すと驚くほど優しい口調で温和である。朗らかで明るい。なにより、彼の日本愛の強さに驚かされた。
「子どもの頃からアニメ、空手、格闘技が好きで日本に憧れていた、と。高校生のときトム・クルーズ主演の『ラスト・サムライ』を見て、さらに日本を好きになったそうです。オープンマインドで楽しい人だなあと思いました」
取材の途中で遅れて帰宅した彼は、短髪に、ワイシャツとネクタイ姿。ドレッドの想像が付かない。
聞けば、3回目に会ったときには髪を切り、現在の風貌(ふうぼう)になっていたとか。小学校で英語を教えていて、ドレッド時代も今も変わらず、小さな子に人気だという。
「子どもが大好きです」と流ちょうな日本語で語る。
彼に彼女の印象を聞いた。
「かわいい。それからミステリアス。もっと知りたいと思いました」
会ってすぐつきあい始め、2年目に同居、3年目で結婚した。しかし、想像通り、結婚は一筋縄ではいかなかった。
実家の父は、アジア以外出たことのない人。母には交際を伝え、彼とも会って理解を得ていたが、父親にはなかなか言い出せなかったという。
「私が叔母と電話で、アメリカ人と付き合っていると話しているのを聞いて、父が“どんな奴なんだ”と。悪い奴に決まってる。付き合うな、と反対されました」
2015年正月。付き合って1年3カ月のとき、一緒に実家に帰ることにした。実質、交際を認めてもらうための父と彼との初対面である。彼は言う。
「彼女の両親と、帰省しているお姉さん一家に対して、僕一人。とても緊張しました」
日本人同士でも緊張する場面なのに、彼ひとり異国の人である。アウェーのなかに一人乗り込むのにどれほど勇気がいったことか。
しかも正月という特別なときに訪問する意味を、彼は十分に理解している。
義父と彼をつないだのは日本酒と“子ども”だった。
彼は高校生の頃から「日本酒はどんな味がするんだろう。いつか飲みたいなあ」と願っていたほどの日本通。今もいつも週末は彼女と自宅で楽しんでいる。
この日、気づいたら、酒が好きな父と1升近くを空けていた。
そして、まだ就学前の幼い姉の子ども3人と本当に楽しそうに遊ぶ。
あたたかくて穏やか。肩書や国籍などというスペックではなく、ほんとうに大事なものは、会わないとわからない。優しそうな人だなあと、私も彼を見て思った。私が取材していたときも、遅れて帰宅した彼は、大きな体にドーナツの袋を抱え、「ほら、これ」と見せてくれた。ハロウィーンのデコレーションのドーナツが三つ並んでいた。おそらく、妻が呼んだ客である私と3人で食べようと思って買ってきたのだろう。この取材を長くしているが、取材者のパートナーから差し入れをもらうのは初めてだった。
「正月の帰り際、玄関で父と彼はハグをしてたんです。わたし、もうびっくりしちゃって。母ですか? 横で泣いてました」
彼女はうれしそうに振り返る。
大学卒業後、すぐに日本に来たかったが、まずは1年韓国で英語教師をしてお金をため、やっと来日できた。アメリカで食べたことがなかったのり、わかめ、昆布も大好きだ。そんな彼から、彼女は店員のサービスや安全な環境など日本のいいところを教えてもらい、再発見することが多いという。
酒が父を懐柔したなどと、簡単な話ではなかろうが、彼の日本愛が心をつないだのは確かだ。さしつ、さされつ。小さな器で楽しむ。日本酒をはさむと、時の流れがゆっくりになる。そういう間(ま)をいとおしむ彼に、彼女も父もほれたのだろう。
新婚夫婦の休日を邪魔するのも心苦しく、いくぶん早めにおいとました。玄関の後ろから「あ~」という彼の悔しそうな声が聞こえた。ドーナツを思い出したのだろう。―― いいんです、三つ目は2人で分けて食べてください。私はもう、ふたりのほんわりとした幸せが伝染して胸がいっぱいなので。
「お金がなくて結婚式をまだ挙げていない」という2人のシンプルな家財道具を思い出し、分け合う姿を甘い気持ちで想像しながら帰途についた。