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東京の台所
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〈172〉夏は別居。円満すみ分けで夫婦生き生き

〈住人プロフィール〉
映像制作業・59歳(女性)
戸建て・3DK・西武池袋線 石神井公園駅(練馬区)
入居23年・築年数35年
夫(ピアノ調律師・61歳)との2人暮らし

    ◇

 息子は中学、娘は小学校から私立に進んだ。5歳違いの子どもたちが高校を卒業するまで17年間、弁当を作り続けてきた。
 娘が高校2年のあるとき、友人所有の長野の山荘を訪れた。
 「ログハウスのベッドに寝たら、ちょうど頭上に天窓があって、ペルセウス座流星群が見えたんです。それを見た瞬間、ああこんなところで暮らしたい!と思ったのです。東京の石神井の家とはまったく違う環境。こんなダイナミックな自然のなかでなら、今までのすべての疲れが癒やされると思いました」

 長い間、専業主婦をしてきた。昔から宵っ張りで、夜中の1時2時に寝る。朝は5時に起きて弁当を作り、朝食、自分と在宅で仕事をする夫の昼食、夕方は家族の夕食のほかに塾弁も用意する。「なんだか朝から晩まで台所に立っているような状態」になり、無意識のうちに疲労が蓄積していた。
 「星を見たときは疲労のピークでした。同時に、この弁当を作る生活があと1年で終わるんだと思ったら、胸がいっぱいになって……」

 その後しばらくして、大学生と高校生を抱えて3DKの家が手狭になり、貸倉庫を探し始める。だが、都心の倉庫は予想外に高い。天窓の美しい長野の空を忘れられない彼女は、「同じお金を払うなら」と、家族に思い切って切り出した。
 「蓼科に山小屋を買って、週末2拠点生活をしてみたいと思うんだけど、どうかな。維持費も、都心の倉庫と同じくらいのランニングコストだから」

 別荘というようなすてきなものではないと、彼女は説明する。小さな平屋で十分。それより木に囲まれた広々とした森の中で暮らせる山小屋が欲しい。森の中で落ち葉たきをしたり、春には山菜、秋にはキノコも採ったりできたらどんなにどんなに幸せだろうと考え始めたら、自分を止められなくなった。それは子どもの頃から憧れていた暮らしでもある。

 驚かれはしたが、最終的には「週末なら、まあいいんじゃない」と、皆に賛成された。
 「私の強い決心はもう止められそうにない、と思ったんでしょう。そのこと以上に、私自身は実家の敷地に梅や栗の木のある山口で生まれ育ち、少し行けば野山もありました。家族はみな、そんな私が自然と触れているほうが好きだということをよく理解してくれていました」

 かくして長野の蓼科に、中古の平屋・58平米1LDKの山小屋を買った。台所も、東京の自宅と同じように小さい。
 子どもたちは、自分の予定が忙しく、山にさほど興味はない。
 最初はもっぱら週末にひとりで通った。娘が高校を卒業したころから、連休は夫も同行するようになったが、3日もいると「東京に帰っていい?」と言い出す。

 「ピアノの調律師をしている夫は東京生まれで、もともとインドア派なんです。僕はシティボーイだからなんて冗談を言うくらい、街の生活が好き。私は田舎の生まれで、庭で野菜や草花を育てたり、伝統野菜など地のものを、地元の人に聞きながら料理したり保存食を作るのが大好き。趣味が違うんですね」

 山小屋を買う数年前から、たまたま人から頼まれたのがきっかけで、結婚式の映像制作の仕事を手伝い始めていた。つまり、子育てが一段落するのと前後するように、仕事と、週末の長野暮らしが始まったのである。その仕事がまた楽しく、縁あって3年前の56歳で独立した。今は、自宅の台所を事務所代わりに自営をしている。

 子どもたちは巣立ち、今は33歳と28歳で、家庭を持っている。子どもたちの結婚、仕事の独立などを経て、次第に夫との2人暮らしのスタイルも、変わってきた。

 「子どもが小さい頃は互いの趣味や用事に付き合ったりしてきました。でも、歳を重ねると、趣味や好みの違いがわかってくる。とくに我が家は、ひとつ屋根の下で互いに仕事をしています。どんなに仲良くても、ずっと一緒にいたら煮詰まる。違いを認めあい、手を借りたいときは助け合い、楽しみたいときは一緒に、とすみわけたら、とても楽になりました」

 東京の自宅では、朝食・昼食は別。夜は酒を飲みながら2人でゆっくり食事をする。寝室は一緒で、仕事場は1階と2階で分けている。
 長野へは、毎週末、彼女がほぼ一人で通うようになった。6~8月にかけてはひとりで、ひと月単位で小屋に滞在する。

 「春は山菜やたけのこ、夏はとうもろこしなどの夏野菜、秋は果物やきのこ。長野は食材の宝庫でいつも好奇心をかきたてられます。どのように料理をしたらおいしいかと、フルに想像力をはたらかせます。たけのこ掘り、山菜摘み、直売所で買った野菜でピクルスを作ったり、道の駅で買ったいちじくやプルーンをコンポートに。東京ではできないたき火や、友だちを呼んでBBQも。干したり、漬けたり、自然に身を委ねていると、じつは1年中やることがたくさんあるのです。そういう毎日が楽しくてしょうがないです」

 夫は夫で、「東京で死ぬまでにやりたい仕事がたくさんある」らしい。「それを聞いたときは、わあ、いいねえ。がんばって!って拍手しました。やりたいことがあるって、ホント幸せなことですから」。
 夫婦それぞれフェイスブックをしているがフォローはしていない。「彼の友達、自分の友だち、それぞれの世界があって、夫婦でいるときはふたりの時間を大事にする。それでいいと思うし、そのほうが心地良いです」

 東京の自宅は、自分でお茶を収納する棚を付けたり、業社に頼んで壁紙を張り替えたり、ライフスタイルの変化に合わせて毎年小さなリフォームを重ねている。器や生活の道具も毎年見直していて、今は断捨離中だ。暮らしも夫婦の関係も、折にふれて見直す。
 趣味や嗜好(しこう)が違っても当然。対立ではなく、それをゆるやかに認め合いながら、上手に距離感を保つ。夫婦ごとにやり方は違うだろうが、心地よくふたりで歳を重ねていきたいという素直な気持ちがあれば、ほかにも多様な暮らしの形を考えられそうだ。
 せっせと長野で仕込んだ保存食が、今日も晩酌のあてになる。新しい半住み分けのスタイルが印象深くうつった。

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