&Travel

クリックディープ旅
連載をフォローする

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

1990年、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)が刊行された。これは12万円という費用で、どこまで行って帰ることができるか……という旅だった。費用には飛行機代はもちろん、滞在費、食費など旅にかかったすべての費用が含まれていた。『週刊朝日』での連載は1988年にはじまり、旅は12エリアに及んだ。バブル経済という波に乗った日本人からあざ笑われるような貧乏旅行だった。僕にとっては、事実上のデビュー作である。それから30年──。はたして同じように旅ができるのか。

今回からその「12万円の旅」シリーズがはじまる。赤道編はタイのバンコクからインドネシアのスマトラ島を縦断し、赤道をめざす旅。そのルートを30年後にたどってみる。今回は、バンコクからマレーシアのバターワースまで。

今回の旅のデータ

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

アジアの旅はずいぶん変わった。航空業界ではLCCが登場。その影響を受け、航空運賃はだいぶ安くなった。日本からバンコクまで飛行機を使い、そこからバスで南下していくルート。バンコクからハートヤイまでのバス代は30年前に比べると倍以上になっていたが、日本円からタイバーツへの為替レートが当時とは大きく違う。30年前、1タイバーツが約5.1円だったが、いまは約3.5円。1マレーシア・リンギは当時約50.6円だったが、いまは約27円になった。アジア各国の通貨に対して日本円はずいぶん高くなった。12万円の予算があれば楽に当時のルートをたどることができるのか? そのあたりは赤道編の最後にわかってくる。

日本からバンコクへの便数は多い。LCCから、レガシーキャリアといわれる既存の航空会社が運賃やサービスを競っている。往路と復路と別々に買うことも可能になったが、往復で買ったほうが安くなることもある。往復運賃は2万円台の後半から5万円ぐらいの間になるだろうか。バンコクからバターワースまでのエリアのホテルも問題はない。1泊1000円以下の宿も少なくない。ホテルの検索サイトで簡単に予約できる。軒数も多いので、現地に着いてから探しても必ずみつかる。

長編動画


マレーシア。パダン・ベサールからバターワースに向かう列車の車窓を。30年前はバスで移動した区間。なぜ列車? 「旅のフォト物語」で。

短編動画1


バンコク出発を前に雨。中華街の路地裏の店で雨を見あげながら腹ごしらえ。

短編動画2


タイのイミグレーションからマレーシアのイミグレーションまでの道。以前とルートが変わってしまった。

バンコクからバターワースへ「旅のフォト物語」

Scene01

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

この時期、最も安かったのは香港経由の香港航空だった。往復で3万2500円。片道で検索すると、エアアジア、スクートなどのLCCが最安値。しかし香港航空は機内食や預ける荷物が無料。お得感がある。30年前はパキスタン航空に乗った。運賃は6万9000円だった。3万6500円も安くなった。すごいことだ。

Scene02

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

30年前、バンコクで最も安い宿が集まっていたのが中華街。ジュライホテル、楽宮大旅社、台北旅社などだった。僕はジュライホテルに1泊100バーツ、約510円で泊まっている。どのホテルも閉鎖してしまった。台北旅社はこの「W22バイブラサリ」というこじゃれたホテルに変身。1泊ツイン3200円。

Scene03

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

当時泊まったジュライホテルは廃虚に。当時は日本人バックパッカーの定宿だった。ドラッグに手を出す日本人も多く、警察の手入れがしばしばあった。その後、タイ人の若いアーティストが博物館にしたことも。彼らにとって麻薬の巣窟というイメージらしい。しかしそれほどひどくはなかった。泊まった僕が断言する。

Scene04

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

ジュライホテルから歩いて1分の楽宮大旅社も日本人が多かった。訪ねると当時の看板だけが残っていた。時代は変わった。この宿の1階に「北京飯店」という安食堂があった。まずい日本食を出してくれた。焼きそばが当時のレートで約56.7円。日本に帰ることを嫌う日本人のたまり場だった。

Scene05

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

バスで南下を開始する。バンコクからハートヤイまで683バーツ、約2390円。30年前は約1627円。リクライニング&マッサージ機能付き椅子。ただし僕の椅子はマッサージが壊れていましたが。『12万円で世界を歩く』が売れ、僕は旅行作家になってしまった。以来30年。こういうバスで寝る術だけはうまくなった。切ない。

Scene06

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

ハートヤイ行きのバスは夜食付き。僕はそれを知らず、別の店で卵焼きのせご飯を食べてしまう失態。同行の阿部カメラマンはしっかりサービス夜食を食べていました。スープに野菜や肉の炒め物などおかずは5種。「おいしかったですよ」と食後に報告が。なんだかすごく損をしたような気分になった。

Scene07

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

バス車内でこの先、ペナンからスマトラ島に渡る航空券をスマホで予約する。バスが順調に進み、予定が見えてきたからだ。こんなことは、30年前はできなかった。スマホがWi-Fiにつながっていれば、さまざまな予約を済ますことができる。以前、僕はパソコンを使っていたが、最近はスマホ。ミスタッチ多いですが。

Scene08

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

車窓にアブラヤシやゴムのプランテーションが広がってきた。緑が濃くなったような気もする。しだいに赤道に近づき、熱帯雨林に近づいていく? バスは朝の8時にハートヤイのバスターミナルに着いた。1時間遅れ。バスの性能はよくなり、道も整備されたが、この遅れだけは昔と変わらない。タイですなぁ。

Scene09

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

バスターミナルにロットゥーと呼ばれる乗り合いバンが待っていた。国境まで、ひとり50バーツ、約175円で行くという。 30年前は乗り合いタクシーしかなかったが、その後、タイではロットゥーが急速に発達。乗り合いタクシーを完全に凌駕(りょうが)してしまった。これが時代というものですな。

Scene10

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

ロットゥーは国境に向かう一本道を進んだ。乗ること30分。「ここだよ」と降ろされた。しかしそこは車専用の国境ゲートがあるだけだった。「歩いて渡る国境は?」と運転手に聞くと、「国境はここしかないよ」という返事。以前は金網に囲まれた徒歩用国境があったんだが……。

Scene11

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

車専用ゲートの脇に申し訳程度に徒歩用国境があった。出国スタンプを押してもらい、とぼとぼ歩くと、やっとマレーシア側のゲート。イミグレーションまでは、さらに20分ほど歩かなくてはならなかった。30年の間に、徒歩の越境組には優しくない国境に変わってしまっていた。横を何台ものバイクが追い抜いていった。

Scene12

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

やっとマレーシアへの入国。イミグレーションの職員に聞いてみた。「バターワースまで行きたいんですけど」。「列車が便利だね。あと30分ぐらい歩くけど」。「あと30分……」。タイとマレーシアにまたがってつくられたパダン・ベサール駅が見えてきた。しかし以前、ここからバターワースまでの列車は少なく、バスや乗り合いタクシーの世界だったが……。さてどうしよう。

Scene13

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

そこでこのバイクタクシー運転手が登場。しかしバイクは1台。まず僕だけバス乗り場へ。しかしそこにいた人たちは、「バスは来ると思うけど……」という反応だったので、バイクで駅に向かう。そこに掲げられている時刻表に、目を疑った。一気に列車の本数が増えていたのだ。バイクタクシーの彼が、急いで阿部カメラマンを連れに戻ってくれた。いいやつだった。

Scene14

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

パダン・ベサール駅でさらにわかったことがある。マレーシアの鉄道の整備が進み、クアラルンプールからパダン・ベサールまで電化区間になったのだ。クアラルンプール近郊を走っていた電車は乗り入れされ、パダン・ベサールからバターワースまで1日14便もあった。それを知らなかった。

Scene15

再び「12万円で世界を歩く」赤道編1

パダン・ベサール駅のマレーシア側まで電化? ということは……。駅員に聞くと、旅行者がいう「マレー鉄道」はなくなっていた。タイのバンコクからシンガポールまでバターワースで乗り継いで向かうディーゼル列車を、旅人は「マレー鉄道」と呼んでいた。しかしマレーシア側が電化され、バンコクからの列車はタイ側のパダン・ベサール駅が終点になってしまった。バターワース駅には昔ながらの木製八角椅子が残されていた。これがマレー鉄道の名残?

【次号予告】次回はマレーシアのバターワースからペナン島。

※取材期間:2018年9月23日~24日
※価格等はすべて取材時のものです。
※今回から連載をリニューアルしました。

BOOK

鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす

こんな酔狂な旅があるだろうか? 日本で夜行列車が廃止される中、世界で何日も走り続ける長距離列車を片っ端から走破してみよう!と旅立ったものの、風呂なしの日々に思いがけないアクシデント続発。インド亜大陸縦断鉄道から、チベット行き中国最長列車、極寒の大地を走るシベリア鉄道、カナダとアメリカ横断鉄道の連続制覇まで、JR全路線より長距離をのべ19車中泊で疾走した鉄道紀行。

フォトグラファー

阿部稔哉(あべ・としや) 1965年岩手県生まれ。「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーランス。旅、人物、料理、など雑誌、新聞、広告等で幅広く活動中。最近は自らの頭皮で育毛剤を臨床試験中。

REACTION

LIKE
COMMENT
0
連載をフォローする

SHARE

  • LINEでシェア

FOR YOU あなたにおすすめの記事

RECOMMEND おすすめの記事

&MEMBER限定の機能です

&MEMBERにご登録(無料)いただくと、気に入った記事に共感を示したり、コメントを書いたり、ブックマークしたりできます。こうしたアクションをする度にポイント「&MILE」がたまり、限定イベントやプレゼントの当選確率が上がります。

&MEMBERログイン

ID(メールアドレス)
パスワード

パスワードを忘れた方はこちら

&MEMBER登録はこちら

&MILEの加算アクション

  • &MEMBER新規登録:100マイル

    *今後、以下のアクションも追加していきます

  • 朝日新聞デジタル有料会員の継続:100マイル
  • ログインしてサイト訪問:10マイル
  • 記事に「LIKE」を押す:10マイル
  • コメントの投稿:30マイル
  • 自分のコメントに「LIKE」がつく:10マイル
  • アンケート回答:30マイル
  • 「朝日新聞SHOP」での購入:50マイル
  • イベント申し込み:50マイル

&MILEの獲得数に応じてステージがあがり、ステージがあがるごとに
&MEMBER限定のイベントやプレゼントの当選確率が上がります。詳細はこちら