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東京の台所
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〈181〉冷えたお札

〈住人プロフィール〉
会社員・52歳(女性)
分譲マンション・2LDK・JR 山手線 目黒駅(品川区)
入居12年・築年数12年・ひとり暮らし

    ◇

 やろうと思っていることを先走って言われたり、「あなたはこうだから」と決めつけられるのが苦手で、迷わず18歳で実家を離れ、東京に進学。そのまま就職した。
 以来34年間、一度もUターンを考えたことがない。帰省は年に1度。「長くても3日。それ以上いると、気づかれしてしまうので……。ひとり暮らしが長いと、自分の落ち着く場所はもはや実家ではなく、自分の家になるようです」

 父83歳、母78歳。今も、近くに住む姉夫妻に見守られながら、元気に遠い故郷で暮らしている。

 彼女は、幼い頃、両親の喧嘩(けんか)が多かったことも、実家を離れた遠因である、と考えていた。
 「たとえば、お正月が近づくと、家族総出で機械でお餅をつき、親戚に配るんです。お餅をのして切ると、半端な端が出る。それが我が家の分になるので、母はどうしてうちの子どもたちはいつもこれしか食べられないのと、毎年のように喧嘩になりました。幼い頃、姉と、離婚したらどっちについていく? とささやきあったこともありました」
 しかし、今は、それは違うかもと思い始めている。

 「小学校低学年の頃、時折、日曜日に家族でキャラメルやドーナツを作りました。キャラメルは、母が分量を計りレシピを指示する係、父は大量のコンデンスミルクを練る係。私たちは、透明のカラフルなセロファンを四角く切ってキャンディみたいに包む係。友達やご近所に配って、とても喜ばれました。普段の喧嘩がうそのように、家族4人和やかで、とっても楽しくて。本当に離婚したいほど憎み合っていたら、あんなことはしないだろうなあと。自分はやはり、夫婦のことなどなにもわかっていない子どもだったんですね」

 年を経て、思いがけず甦った台所の記憶に、彼女は自分自身、驚いているようにみえた。

 外資系企業で働きながら、40歳の節目でもある12年前、新築の分譲マンションを買った。親には事後報告である。
 「ローンを払えるのかとか、心配されすぎるのが嫌だったので。あえて相談しなかったのです」

 電話で報告したとき、少しでも手助けしたいから口座番号を教えて、と母に言われたが「いらない」とつっぱねた。

 マンションの内覧会が終わり、入居を1カ月後に控えた頃、冷凍宅配便の小さな箱が届いた。開けると、故郷の珍味や海産物の隙間に、冷えた白い封筒が入っていた。便箋(びんせん)に、達筆な父の手紙がしたためられ、それと一緒に冷えたお札が同封されていた。

 便箋にはこう書かれていた。
 『お嫁に行くだろうと準備していたものの一部だから、受け取りなさい』。
 “一部”というところに、両親の気遣いが垣間見える。

 「いつもは大量の宅配便を送ってくるのに、今回は小さい箱だったのであれ?と思ったんです。そしたら、冷えっ冷えのお札が入ってた(笑)」
 地元の食品は、頑(かたく)なな娘に祝い金を渡すための精いっぱいの口実だった。

 そのお金で、「この家で一番の贅沢(ぜいたく)」と語るアルフレックスのテーブルと椅子を買った。建築の仕事に関わっていた父がかつて「ひじ置きのある椅子が楽なんだ」と言っていたからだ。
 入居後、用事で上京した父は、満足そうに座っていたらしい。

 「今も、誰が食べるの? っていうくらい、お漬物やお総菜、乾物、海産物を宅配便で送ってきます。何度お願いしても、大量に来る。ひとりなので、食べきれなくて困ってしまうのです。疲れて帰宅して、大きな箱が2個届いているのを見たときは、大人げないのですが、カッとなって箱を壁に投げつけたことも……」
 自嘲して、苦しそうにつぶやく。それが愛情ゆえの行為であることも十分にわかっている。だから、そんな表情になるんだろう。

 帰り際、故郷の甘納豆、黒豆茶、自分が取り寄せているお気に入りの信州の生そば2袋を、「よかったら」とお土産に手渡された。相手に喜んでもらいたい。その一心で用意したものだろう。
 なんだかほのぼのと懐かしく、気持ちが温まった。
 そのとき、ふっと思った。冷えたお札をみたとき、彼女はどれほど温かな気持ちに包まれたことだろう。

 親の愛情は重すぎると、ときに息苦しくなることもある。たとえそういう理由で、どんなに遠くに離れたとしても、心の根っこに受け継いだものは消えず、無意識のうちに表出することもある。思いやりのつまったお土産の数々から、私は彼女を育てた両親に思いをはせた。

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