天才・安西水丸さんが、低山を愛した理由『てくてく青空登山』

murrenから書籍が出た!
「街と山のあいだ」がコンセプトである小冊子『murren』は、毎回独特な視点で街と自然とそれらをつなぐ書籍を紹介している。そのmurrenが13周年を機に『MURREN BOOKS』シリーズを創刊するとあって、発売前から注目されていた。その本こそが安西水丸さんの『てくてく青空登山』だ。表紙からして、なんとも味わい深いイラストが描いてある。ラフなタッチなのに、誰もマネができない雰囲気を醸し出している。
安西さんは没後5年が経った。村上春樹さんとの名コンビで知られるイラストレーターであり、村上春樹さんの本で、安西さんのイラストが使用されている書籍は24タイトルもある。安西さんがいなかったら、村上春樹作品の印象は違っていたかもしれないと思う。
安西さんのイラストは自分が子どもだったころ、手を抜いているものだとさえ思うくらいだった。しかし大人になると、イラストはいつも直感で感じるままに描かれている気がして、手を抜いているどころか、周到に計算された「ふんわり感」があり、じわっと心の中にしみこんでくる感じすらする。この書籍にも魅力的なイラストが山の紹介ごとに載っている。
なぜ登山をするようになったか
安西さんは幼少期、ひどいぜんそくで療養のため東京を出て母と2人で安房の千倉で過ごす。海の目の前で、自然が生活に根付いていたことだろう。高校生で上京し、今度は海ではなく山に心を奪われていった。高校時代は、東京近郊の1000メートル前後の山へ、夏はテントを担ぎキャンプをしながら縦走など楽しんでいた。
2年生のときに登った霧ヶ峰高原でひどい雷を体験し、大変怖い思いをした。そんな経験からか、年齢を重ねるにつれ、思い立ったらすぐに行くことができる近隣の低山に次第に興味が湧くようになった。低山といってもガイド本には出てこないような場所ばかり好んで登っていた。高塚山、高館山、王地池などは地方の低山で、そこに暮らす人々にはなじみ深い裏山であり、そのような山を好んで登っておられた。それらの山が持っている歴史やエピソードをイラスト付きで紹介している。

「低山と書いていたけれど、低いからといって侮るなかれである。人間も身長の高低がすべてではない。問題は中身にあるのだ」という印象的な文章通り、その山の地図をなめるように見て、頭にたたき込み、徹底的な観察力でイラストを仕上げている様子がページごとにうかがえる。
私自身、忙しい毎日を過ごしながらも、気軽に行ける登山は欠かさない。その魅力は、低山でも、街では感じられないものがたくさんあり、それでも街と山のつながりも感じることができるからであり、安西水丸さんがこの書籍に託した思いのようなものが心底伝わってきた。タイトルの《てくてく登山》のだいご味は、1日の山登りを通して、山頂で大きな空を仰ぐことができ、下山時に温泉が味わえ、その山や麓の日本の古典や歴史も学べ、ものすごく堪能した気分になれる点と思う。
安西さんは、登山は基本的に一人で行き、そこで初めて出会う人々との交流にも楽しさを感じていた。人間は一生のうち、果たして何人くらいの人たちに出会い、どんな影響を受けるのだろうと自問自答しているが、山で出会った人々がとても印象深かったように赤裸々に書かれている様子から、山で出会った人々は安西さんの人生に多少なりとも影響を与えたのだろう。
どんな山にもそれぞれに魅力があり、そのとらえ方も人それぞれに異なるだろう。この書籍はそんなことも「ふんわり」感じることができる。低山登山ガイドも何種類か発売されているが、山の紹介にとどまらないこの書籍は皆様の宝物になることだろう。

はね・ゆきみ
湘南 蔦屋書店 アウトドアコンシェルジュ
前職のアウトドアメーカーでの知識を生かして選書を行い、自らもとにかくアウトドアが大好きな2児の母。子どもから大人まで楽しめるアウトドアイベントも多く企画運営している。