父が私に語り始めるとき 『苦しかったときの話をしようか』

そういえば、父の弱音を聞いたことがない。
私の父は、世に言う仕事人間。より正確に言うなら、仕事大好き人間だ。彼が働いていない姿は想像もつかないし、「仕事をやめたとたんにきっと急速に老け込むよね」と母は笑う。そういう父だ。夕食後は、テレビ鑑賞よりも、仕事か勉強をしていることが多い(その習慣は、今も続いている)。そんな父を見ているので、「働くことは楽しいことなのだ!」と、子どもの頃は能天気に思っていた。
もちろん社会に出た今なら容易に想像できる。父にも「苦しかったとき」があったことを。それでも私の前で弱音を吐く父は、記憶の引き出しをいくら漁っても、ついぞ見つけることができない。
父から娘への手紙のように
そんなことを思い出したのは、今回ご紹介する本を読んでいたときだった。『苦しかったときの話をしようか ―ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」』と題した本書は、経営危機に瀕したUSJをV字回復させた立役者としても知られる森岡毅氏の新刊である。
書き出しは、ある日のリビングでの森岡氏と長女(大学2年生)の会話からはじまる。
森岡氏 「将来はどんな仕事がしたいの?」
長女(スマホを置いて長い沈黙のあと)「何がしたいか、よくわからない…」
森岡氏 「どうすればわかるようになると思う? 何か行動を起こさないとわからないままだよね?」(重い空気に耐えられずに言葉を紡ぐが、正論で詰め寄る形に)
長女 「そういうことはわかるけど、わからないんだよ…」(だんだんと心を閉ざしていく)
いかにもありそうな家族のワンシーンである。自分が何をしたいのかわからず、漠然と不安を抱える娘と、それに対してつい強い言葉を選んでしまう不器用な父という構図。その日はケンカに似た形で終わったようだが、ここで終わらないのが仕事人・森岡氏(いや、父親・森岡氏)。うまく伝えられない自分に落ち込み、悩める娘に何ができるだろうと考えた末に、彼女にむけてごく私的な文章を書きとめはじめる。
その期間、1年以上。胃がひりひりするようなビジネスシーン最前線の闘いの中で、自身が獲得した視点や考え方(フレームワーク)をまとめ、娘がキャリアの判断に迷ったときの「虎の巻」になればと願い、紡いできた文章。それを、ほぼそのままの形で出版したのが本書である。だから私は、この本が父から娘への手紙のように思える。
「大丈夫」が聞こえる
そこに何が書かれているかは、ぜひ実際に手に取って確認してもらいたいのだが、後半の第5章で語られる、氏の「苦しかったとき」の話を少しだけ紹介したい。このパートが、この本の価値・重み・ユニークさを決定的なものにしていると思う。
森岡氏は、「苦しかったとき」=「自分自身で自分の存在価値を疑う状況に追い込まれたとき」と言う。ニュースで見る活躍ぶりからは想像もできないが、森岡氏にもそういう時代があったらしい。
新人時代、優秀な周囲のメンバーについていけず、過労とストレスから電話がとれなくなってしまう話や、アメリカに転勤になって早々、チームのメンバーからいじめに近い扱いを受けた話などが赤裸々に書かれている。また、上からの圧力に屈してしまい、自分が本当に良いと信じきれない商品を、部下たちを信じ込ませて販売にこぎつけてしまうブランドマネージャー時代のエピソードは、とても生々しい。
そういえば、私が社会人になってから、父が自身の「苦しかったとき」の話を、明かしてくれることが増えた。若手時代の苦悩や、役員時代に社内の抗争に巻き込まれて心身ともに削られた日々のこと。いまの父からは想像できないが、振り返ればほとんどうつ状態に近いまま仕事を続けた時代もあったという。子どもの頃は気づきもしなかった、父の闘いがあったのだと知る。
父が私に伝えたいことと、森岡氏が娘に伝えたいことが、不思議と重なりあう。2人の父親は、子どもたちに「大丈夫」を伝えたいのではないだろうか。森岡氏の言葉を借りるなら「きっと何とかなる」だ。彼らの過去は、私たちにこれから訪れるであろう「苦しいとき」を乗り越えるための、一種のお守りのようなものなのかもしれない。お酒を片手に父がおもむろに語りはじめるとき、「またその話?」と言いつつも、そっと耳を傾ける。

なかだ・たつひろ
二子玉川 蔦屋家電 ワークスタイル・コンシェルジュ
カルチュア・コンビニエンス・クラブに新卒入社後、CCCマーケティングにてTポイント事業の法人向け新規営業に従事。2018年4月より現職。お客様が、理想のワークスタイルを見つけ、実現していく一助になるような売り場づくりを目指し日夜奮闘中。