落合陽一×日本フィル「耳で聴かない音楽会」に行ってみた

「耳で聴かない音楽会2019」。なんとも刺激的なタイトルです。東京オペラシティコンサートホール(東京都新宿区)という、すてきな響きの会場で、あえて「聴かない」と宣言するわけですから。実はこれ、メディアアーティスト落合陽一さんと日本フィルハーモニー交響楽団が、昨年から続けるプロジェクトの第3弾。オーケストラという表現形態の「アップデート」を狙う8月20日のコンサートは、「聴く」という行為を問い直す遊び心と実験精神に満ちていました。

プログラムにはさみ込まれていたのは、なんと紙やすり=星野学撮影
配られた公演プログラムには、なぜか紙やすりがはさみこまれています。私は20年ほど朝日新聞のクラシック音楽担当記者を経験しましたが、こんなおまけは前代未聞です。
曲目を見れば、パッヘルベルのカノンと、サンサーンスの組曲「動物の謝肉祭」だけ。この2曲で2時間は持ちません。しかも、なんで紙やすりが? あまつさえ「コンサートが始まる前に! タイプライターアプリをダウンロード!」と、QRコードが載せてある。思い当たる節はありましたが、隠し球はそれだけではなさそうです。
この演奏会では、音を色と振動に変換して体感するデバイスが用意されていました。抱える球体「サウンドハグ」と、ヘアピンのように装着する「オンテナ」が各50席分。抱えるポーチと座布団から音楽を振動として感じる「ボディソニック」も9席。バリアフリーを視野に入れていることはわかりますが、約1500席のごく一部。「耳で聴かない」とまでうたった演奏会ですから、ほかの仕掛けがあるはずです。

マイクで拾った音楽を、コンピューターで光と振動に変換して感じる「サウンドハグ」。高い音は赤っぽく、低い音は青っぽい光となる。音が大きいほど明るさは強くなるⒸ山口敦
エアオーケストラ? そのココロは
変化球は、1曲目から強烈に投げ込まれました。
オーケストラのメンバーは、激しく演奏動作をするのですが、音はまるで出てきません。なんだこりゃ、エアオーケストラか? しかも、めいめいが勝手に動いているのではなく、全員で特定の曲を弾くふりをしている気配です。音なしでオーケストラの動きを見るとなかなか滑稽(こっけい)だなあ、と苦笑しながら2分あまり。
種明かしは、ジョン・ケージが作曲した終始無音の「4分33秒」という選曲でした。登壇した演奏者は4分33秒の間何も演奏せず、時間がくると退出します。音を出してこその音楽という常識を覆した「コロンブスの卵」のような音楽史上の金字塔です。
ただし、この日の演奏では、少し演出が加わっていました。「4分33秒」の三つある楽章の第2楽章にあたる時間分、オーケストラはハチャトゥリアンの「剣の舞」を弾くふり、つまりエア演奏していたのです。エアオーケストラを組み合わせて音楽から動作だけを分離してみせた結果、生演奏は動作と音が一体不可分だと、改めて気づきました。
続く2曲目は、エアではない「剣の舞」の実演です。

2曲目「剣の舞」の実演。音に反応して映像に登場する無数の棒には、色ごとに異なる顔が描いてあり、見比べるのも楽しかったⒸ山口敦
3曲目でようやく、プログラムにあったパッヘルベルのカノンが。こちらは、曲が進むにつれ微妙に明るさや色彩が変わる、ライブ操作される映像とのコラボです。音楽で楽器が出入りするたびに変わりゆく彩り。管弦楽の一部ともいえる「楽器」としての映像、つまり、聴けない楽器の存在が浮かび上がります。2階正面の席では、ずらり並ぶサウンドハグの球体も、刻々と色を変えていました。

チェロの弾いている様子を、特殊な映像として映し出す。鳴っている弦が波打っているⒸ山口敦
楽器になったタイプライターと紙やすり
タイプライターが登場した4曲目は、予想どおりルロイ・アンダーソンの「タイプライター」でした。打楽器奏者が独奏楽器のようにタイプライターを操る、タイプライター協奏曲とでも言うべきこの曲は、演奏会でもときどき取り上げられます。
興味深かったのは、タイプライターの専門家でも打楽器奏者でもない落合陽一さんが、タイプライターを「独奏」してオーケストラと少し合わせた時のこと。キーの扱いに苦労する落合さんと一緒に、プログラムで紹介されていたタイプライターアプリをぎこちなくカチカチさせて客席のみなさんも参加します。演じ手となった聴き手は、悪戦苦闘しながら、音楽を音楽として響かせるための、身体性の修練を意識することになります。

タイプライター「独奏」を試してみた落合陽一さん(左下)Ⓒ山口敦
5曲目のアンダーソン「サンドペーパー・バレエ」で、ようやく紙やすりの出番です。この曲も、紙やすりを打楽器として使う変わり種です。舞台上の打楽器奏者3人とともに、お客さんは折り曲げた紙やすりを鳴らします。
まずは練習です。リズムのはねるシャッフルビートを紙やすりで鳴らすのは骨が折れます。「タッカタッカタッカタッカ」。最初はそろっていた客席のリズムは、5回目あたりからずれて複雑怪奇な「ポリリズム」に。やがて会場の豊かな残響もあいまってまるで潮騒のよう。
どうなることかとはらはらしながら迎えた合わせ本番。会場全体から湧いてくる「タッカタッカ」。おや、いい感じでオーケストラの音色に乗っています。さっきのカオスがうそのよう。波乗りしているようなアンサンブルのだいご味を体感したあと、曲を通しで聴きました。

5曲目「サンドペーパー・バレエ」の実演。打楽器奏者3人が紙やすりをこすって音を出すⒸ山口敦
どこまでが音楽か、という問い
前半はここまで。アンダーソンの2曲では、タイプライターや紙やすりという、普通は楽器だと思われていないものが演奏に加わることで、「どこまでが楽器なのか」、あるいは「どこまでが音楽なのか」という問いが、心に呼び起こされました。振り返ってみると、冒頭のジョン・ケージから、その問いが周到に仕組まれていたことに気づきます。

休憩時間にホワイエであったサプライズライブ。オーケストラの打楽器奏者らが聴衆を巻き込んでリズムで盛り上がるⒸ山口敦
後半はサンサーンスの組曲「動物の謝肉祭」。ライオン、ゾウ、カメといった動物のポリゴン風映像の動きと、自分が音楽から感じるそれらの動物のイメージのずれを感じる楽しさ。水と泡しか登場しない「水族館」、足跡だけが現れる「カンガルー」、水と光のきらめきだけの「白鳥」など、動物の視点で描かれた映像もあり、動物を見て回っているつもりが、実は見られているのは我々人間なのか、という、不思議な感覚が呼び起こされます。

「動物の謝肉祭」から「騾馬(らば)」。2台のピアノでⒸ山口敦
聴くという行為の多義性、多様性

カーテンコールにこたえる演奏者ら。おつかれさまでしたⒸ山口敦
「耳で聴かない」というこの演奏会のメッセージは、「聴くという行為」を因数分解し、その多義性、多様性を問うたように、私には思えました。耳を経由する響きだけでなく、全身で感じる振動、奏者の動作や照明のような目から入ってくる情報、そういうものすべてを束ねた上に、音楽を聴くという行為は成立している。心の置きどころ、目のつけどころは人それぞれ。だから、居合わせた聴衆の誰一人として、まったく同じ「聴き方」はしていない、ということでもあります。
自分の音楽体験だって、その日の体調や気分次第。何度でもコンサートホールに足を運びたくなるのは、「聴くという行為」の無限の可能性を、無意識のうちに感じているからかもしれません。
(文・&編集部副編集長 星野学)
【8月27日にVOL.3 第2夜を開催】
VOL.3を迎えた「落合陽一×日本フィルプロジェクト」 オーケストラの進化が向かう未来は
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