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東京の台所
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〈204〉出産、家業継承を経て30代で上京した彼女の新たな毎日

〈住人プロフィール〉
会社役員・36歳(女性)
賃貸マンション(事務所兼住居)・1DK・東京メトロ丸ノ内線 赤坂見附駅(港区)
入居3年・築年数約20年・ひとり暮らし

母病死。料理は9歳から

 九州で生まれ育った。実家は祖母の代から保育園を経営している。ところが住人の彼女が9歳のとき、保育士だった母が2児を残して病死。妹は5歳だった。

 「父は仕事で、母方の祖母は離れて住み、保育園をやっていたので、家族の夕食は私が作るようになりました。運動会や妹の遠足のお弁当も。料理は好きで、学校の図書館で料理本を借りたり。でも、子どもですからレパートリーはさすがに少なかったですね。そもそも料理が好きとかきらいとか、考える暇もあまりなかったかも……」

 本当は東京に出たかったが、地元の短大の初等教育科に進んだ。ところが、卒業してまもなく祖父母が相次いで病気で他界。20代で実家の園の経営を継ぐ事になる。

 「若すぎですよね。園長の集まりに出ても、20代はいないので、よくも悪くも注目されました。じつは二十歳のときに結婚、出産をしているので、仕事に育児に毎日が無我夢中。今思えば、自分のことをじっくり考える、内観する時間がないまま走り続けていたような気がします」

 ほとんどの職員が年上という状況の中で、経営者を務め、どうにかこうにか8年が過ぎた。
 あるとき、幼児保育経営者が学び合う合宿で、同業者二人と「自分たちが本当にしたいことは何か」という話になった。うちひとりは、実家の幼稚園を引き継いだ二代目で、同じ境遇だった。

 「保育や運営管理だけでなく、自分たちの手で何かを生み出したいという気持ちが一緒で、3人で意気投合しました。32歳で初めて、自分の心の内と向き合えたのです」

 3カ月後。
 彼女は夫や職員に率直に思いを話し保育園を退職。幼児保育のコンサルティングをベースにしつつ、新規事業も手掛ける会社を作った。

 「半ば勢いで始めたようなもの。でないと辞められなかった」と彼女は振り返る。
 保育現場のスペシャリストらで営む事業は徐々に軌道に乗り、新しい保育園立ち上げや保育研修の企画立案・コーディネートで全国の園に呼ばれるようになった。
 そのため、出張や上京する回数も増える。

 「長男が県外の中学で寮生活を始めたこともあり、家族の理解も得て、拠点を東京にも作ることにしました。現在は、東京に半月、残りを九州や他の地域で1週間~10日くらいずつ暮らしています」

 4年目の今は、オーガニックのコーヒーやポップコーンなどよりすぐりの食品の販売や演劇など、念願の“生み出す”仕事も増えつつある。

 「九州にいた頃、そのときどきで一生懸命考えて決断してきたつもりですが、どこかで流されていた感覚があります。今は全て自分の決断と責任で生きている。とくに東京で暮らしていると、なにができるんだろう?じゃなくて、何をやりたいのか?が大事だと気付かされる。日々、充足感があります」

自分の料理が食べたい

 起業後1年は、東京のウィークリーマンションを泊まり歩いた。キッチンは狭く、移動前提なので道具を揃えることもできない。料理ができないことに心と体が悲鳴を上げた。

 「外食はお金がかかるし、野菜やお米など健康的なものが食べたくて。何より幼い頃から作っている自分のごはんが食べたくなりました」

 そこで、思い切って事務所兼住まいを赤坂に借りた。コンパクトなキッチンだが、借り物でなく自分のために買った包丁で料理をする喜びは想像以上だ。

 「長く滞在できないので、生野菜は処理しきれません。冷蔵庫は最小サイズにして、豆乳や豆腐を。逆に冷凍庫を大きくして、野菜を買ったらすぐ煮炊きして冷凍。いつでも手料理を食べられるようにしました。新鮮な田舎の野菜はあまり手を加えなくてもおいしいですが、東京だとそうはいかない。逆に料理を工夫するようになり、更に楽しくなりました」

 9歳からずっと誰かのために料理をしてきた。
 20歳からは我が子や夫のために。
 そして36歳の今、初めて東京で自分のために作り、これまでとは違う料理の奥深さ、新しい喜びに気づいたらしい。

 九州に帰れば家族の喜ぶものを。運動会など息子の行事には新幹線で弁当を届ける。仕事仲間にふるまって元気づけたり、労をねぎらうことも多い。料理が自分と誰かの心の栄養になっていると実感できる瞬間が、何より嬉しいと語る。
 女の人生はこうあるべき、などというルールはない。あちこちの台所で自分の時間を生きる彼女の5年後は、もしかしたら自身でも想像がつかないかもしれないが、きっとそれでいいのだと思う。

台所のフォトギャラリーへ(写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます)

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