UAさん「アレサは4歳から歌ってるのに!」 泣きながらミナミのアメリカ村を疾走した日
「eatrip」を主宰する料理人の野村友里さんと、現在カナダで暮らす歌手UAさんの往復書簡「暮らしの音」。書き初めをした友里さんから「漢字を一文字書くとしたら?」と聞かれてUAさんが選んだ今年の一文字とは? 人生最初の就職のあと、なぜUAさんは泣きながらアメリカ村を疾走したのでしょうか……?

野村友里さんのお手紙「元気?って言われて、元気!って迷わずに答えるって気持ちいい」から続く
友里さま
節分あって、立春も過ぎ、2020年も本番って感じ。いつの頃からかすっかり旧暦肌で。除夜の鐘に初詣といった神仏習合的な行事が大好きなんだけど、実のところ、どうも明けました感が体感的に来ない。

旧正月も過ぎて、節分、立春のこのタイミングが新春そのもの、明けた感がズバリと心身ともに入ってくるかな。
日本では明治5年まで旧暦が使われてたのかと思うと、頭では信じられないようで、でも身体では何だか納得。やっぱり前世で生きとったんかいのう、なんて。
2019年は、友里とこうして、もしかしたら話す言葉では伝えきれないことなんかを書簡で交わしつつも、普段は童心に帰る思いでたくさん遊んで笑ったね。馬鹿なこと言って笑っていられるってほんと、幸せよね。
よく思うのが、もしも、この星に住まう人類が、ほんの一瞬でいいから、一人残らず笑ったとしたら(夢ででもね)、その瞬間、この惑星の次元が上昇するような、何か奇跡的な世界観のアップデートが起きるような氣がしてね。そんな政策、いかがかしら~。
お風呂でまずどこから洗うか、友里らしい質問ね(笑)
さて、2カ月いた日本から戻って、全くもって時差ボケ中。いったん子供と一緒に早々に寝てから、24時過ぎにパチリと目が開く。それで今このお手紙を書いてるのだけど、この時差ボケだけは慣れようがないよね。足の裏を陽に当てると回復が早いと、稲葉俊郎先生に聞いたのだけど、こちらはまだ雨季により、なかなか陽の目に当たれないのがまた厄介。夜更けの静かな森では梟(ふくろう)がほおほお鳴いているよ。
ふむ。お風呂でまずどこから洗うか、友里らしい質問ね(笑)。友里ってほんとおもしろい。あなたの伴侶からの話によると、朝一番、全身黄色い服で丸くうずくまって「銀杏(ぎんなん)」になってたって聞いて、もうハンカチ噛むほど悔しくて! 何で、私が友里と結婚しなかったんだろうって!(笑)

しかしこの質問、意外に考えさせられる。私の今の生活場は、カナダの島、東京、長野原村と3カ所あって、時と場によって随分と、その洗い方まで違ってるように思ってね。ほとんど無意識にやってることだし、説明してるとまたこれも長くなりそうだから、飲んだ時にでも話すかもだけど、今ふと想像して手をやるのは、丹田だ。右手で時計回りに泡だててる感じ。
書き初めもいいねぇ。
そう言えば、今年うちの娘も、「生きる力」と書いてたっけ。一文字選ぶか、そうねぇ。。。2020年、令和2年、2月ってことで、「二」が氣になる。そんでもって2月2日に、息子の舞台を観に行ったりもしてね、もう全部「二」だわ、ニジローの日だ! なんつってね。大体さ、「二」の文字を一文字書くの難しいよね。「八」とか「人」とかね。
それはそうと、今年は、日めくりカレンダーを使ってるのだけど、書かれてることわざが面白いのね。
“会うは別れの始め”だとか“習うより慣れろ”なんてさ、寝ぼけ眼にドキリとしたわよ。“山椒(さんしょう)は小粒でもぴりりと辛い”なんて、言い得て妙で、笑っちゃった。
あの人にとってのギター/じゃ、私にとっての“ギター”は?

さてさて、それでは、唐突ながら前回の続きなんだけども。。。我ながら、若い頃を思い返してるとため息出ちゃうのよね。
人生最初で最後の就職は1カ月でクビに終わり。
ごく一般的に“大学出たら就職でしょう”タイプの母の元では、さすがに居づらいと感じたのと、学生中にはまった8ミリフィルムの制作を忘れられず、自活&貯金をするため、高級クラブでアルバイトをすることに。そうは言ってもただお酒を注ぐのだと到底続かないだろうから、その1カ月勤めたデスクでにらめっこしたアルバイトニュースに、「TrioのバンドがJazzを演奏、歌い手も募集」とあった北新地のホテルの最上階にあるクラブに面接に行ったんだな。
でもそこではまだ、歌手として、なんてつもりは微塵(みじん)もなくてね。生演奏のJazzが聞けるなら、お酒もなんとか注げるのでは、と思ったのね。一応持ってた、リクルートスーツ(笑)、アニエス・ベーのグレイのツーピースを着て、面接に行ったのよ。
その時、最初に現れた雰囲気ある美女が、歌手なのかしらと思いきや、ヴァイオリンをかき鳴らしちゃう! それが実は、類いまれな才能を惜しまれながらも2007年に他界してしまった、伝説のヴァイオリニストHONZIだった。あっけにとられながら、ところで一体どなたが歌手なのかしらと様子をうかがってたら、出勤してくる女性がみんな歌手だったりして。何よりオーナーのママがすんごくファンキーで、ハスキーヴォイスでスタンダードナンバーを震わすのよね。
「これってかなりいい感じやん!?」
捨てる神あれば拾う神あり、私の未知なる社会体験が始まるわけです。そして程なくして、歌いたくなっちゃうんだなあ。だってみんな歌うんだもんなあ。

そうは言っても、急に歌えるもんじゃないよねえ。それが実は、学生時代に氣がついていたことはあったの。
京都美大生時代、お付き合いしていた先輩は、大のレコードコレクターで、特にBlues、R&Bの名盤は全て揃(そろ)えてた。誕生日に彼から贈られたAretha Franklin(アレサ・フランクリン)の『Aretha’s Gold』を毎晩のように聴いては憧れて、歌詞を耳コピしてカタカナ書きして大声で歌ってたの。若いなりにも2人はいい感じで過ごしていたのに、ある日その先輩は、あるBlues Guitaristに弟子入りをしたいと上京してしまって。突然の別れに、考えるわけよ。ティーンに東京は遠いさのー。
あの人にとっての私/私にとってのあの人。
あの人にとってのギター/じゃ、私にとっての“ギター”のところは何なんだ?ってね。
今思えば笑っちゃうけど、当時は真剣そのもの。初めての問いかけよ。
ところが意外に、すぐわかるのよね。
「確かに今、私は、グラフィックデザイン科に居て、古着屋でバイトして、踊りに行ってレコードを買って、毎週アート系映画館に通って、何かと言うとお好み焼きを食べる。でもやっぱり、じゃじゃじゃじゃーん、“歌”じゃん!」
結局“歌織”と言う名前に呪われてるんです、と言えば、それまでなんだけど。

ArethaやJanisの歌う姿を見て、涙して、インターネットのない時代、電話帳で調べてボーカルスクールなんてのにしばらく通ったものの、蓋(ふた)を開けたら他の生徒さんは一人残らずカラオケ上達目的だったと知り、行き場のなさに落ち込んじゃって、泣きながら大阪ミナミのアメリカ村を疾走中、美大の先輩女子、踊り仲間に遭遇。
「ちょっとどないしたんっ! 何泣いてんのー」
「アレサは4歳から歌ってるのに、私はもう19歳やあ!」
「へ? アホかいな」
その悪氣ない一言に、自分はほんまにアホかもしれん、と思う他なく、“歌”をどうにかするつもりは、とりあえず引き出しにしまうことになった。
ところが、氣さくな女性達が入れ代わり立ち代わりスタンダードジャズや古いポップソングを歌い出す、(高級)Jazzクラブにて、引き出しの夢を思い出しちゃうのよね。
はい、ここでArethaに傾倒されたことのある勘の良い読者のかたは、チェチェイン子たるゆえんにピンと来たかもわかりませぬが(?)、早朝のお弁当製作も控えておりますので、遠慮なく次回に続かせていただきます!
UA