飽き性でバラバラ 自由なバンドORANGE RANGEが19年間ライブをやり続ける理由(前編)

今の20~40代、平成に青春時代を過ごした世代ならば誰もが知っているバンド、と言っても過言ではないだろうORANGE RANGE。2001年に結成し若くしてブレイクした彼らが、20周年を目前に控え長期間にわたる全国ツアーをスタートさせる。
シンプルなバンド編成のみで行われるツアーのテーマは「原点回帰」と「初期衝動」。結成以来、常にライブを大事にし、全国のファンを熱狂させてきたORANGE RANGE。結成当初からのメンバーの関係性の変化やブレイク時の戸惑いなどを、RYO、YAMATO、HIROKIに語ってもらった。
飽き性だからどんどん変化していく
―― 2月22日から始まる全国ツアーは公演数が50公演とかなりの長さになりますが、こういったツアー特有の喜びはどういったところにありますか?
RYO まずは「場所」がありますね。全国各地いろんな場所に行ける、しかも好きなことをやりながらっていうのが一番大きくて。あと、メンバーは、悪い言い方をしたら飽き性なので、ライブをやりながらツアーの中で色々変えられるっていう良さがありますね。
―― 曲のアレンジやセットリストを変えてみたり?
RYO ありますね。(この場所ではこの曲が盛り上がるなど)お客さんが入ってからわかることがいっぱいあります。楽しみ方は上手なバンドなんで、ライブで変えていくっていう挑戦はいまだに消えず、みたいなところはありますね。
―― 飽き性とおっしゃいましたが、来年で活動20周年、ライブ自体に飽きてしまうことはないですか?
RYO 妥協せずにやっていれば飽きることはないですね。型にはまらずナチュラルでいいと思うんですよ。今回はシンプルなバンドセットなので、自由度が増していると思います。
お客さんの反応からもらうものもあるし、それを促すような作りにしないといけない。ライブだからこそ、という部分が今回のキーポイントだということをちゃんと捉えたいです。お客さんにも、その変化を楽しんでもらいたいですね。
―― ツアー中のオフはどんな風に過ごされてますか?
RYO まあ各々で変わると思うんですけど。ライブ前日に飲んで二日酔いとか?(笑)
HIROKI いやいや、それはないんじゃない?(笑)
YAMATO 釣りとかね。
HIROKI いや、やったことないでしょ(笑)。
RYO 前のツアーでYAMATOさんが10キロくらい歩いて神社に行ったとかはあったけど。
YAMATO そういうご当地の有名なスポットは時間があれば行くようにしてます。せっかく沖縄以外の場所を回れるのはありがたいことなんで。来たからには見といた方がいいですし、そういうものがライブのMCにも生かされますから。
RYO ライブ後の打ち上げは一応基本的にみんなで行って、ライブ前はそれぞれ行きたい人は行くっていうのが暗黙の了解ですね。ツアー中のコミュニケーションはこういうところで取ります。
バラバラなバランスのメンバーが集まった
―― 過去のインタビューや映像から、みなさんの仲の良さが伝わってくるのですが、それも昔から変わらず?
RYO 3歳くらいからの付き合いなんで家族みたいなものです。人並みに言い合ったりして一緒に青春時代を過ごして、大人になりました。
―― 改めて結成当初はどんな音楽を聴いてたんですか?
RYO 個人としては別々ですね。みんな好きなものがバラバラ。曲をコピーすることはあっても、全員がその曲を好きというわけではありませんでした。
HIROKI ボーカルが今の3人になる前は、僕がボーカルで、ギター、ベース、ドラムの4人編成。その時もみんな聴いてるものがバラバラだったんで、順番でコピーする曲を決めて「今回はこの人の好きな曲」「次はこの人の」っていう風にやってたら、本当にビジュアル系からメロコアからすごい振れ幅になったんです。で、山嵐のコピーをやろうとなった段階で、ボーカルが足りないということで、RYOとYAMATOが入ってきて。そしたら今度は他のバンドの曲をコピーするにはボーカルが多い、余っちゃうってなって(笑)。そこからオリジナルを作るようになりました。だから初期はミクスチャーロックみたいなもの、Dragon Ashとか山嵐とかの影響が強いのかな。まあ、流行ってましたしね。
―― いろんなジャンルのコピーを最初にやっていたということが、現在の「一枚のアルバムにミクスチャーもテクノもパンクもある」というスタイルに結びついたのでしょうか。
YAMATO あるかもしれないですね。
―― でも一聴すると「あ、ORANGE RANGEだ」というのがわかる。そのORANGE RANGEらしさの軸はどこにあると思いますか?
YAMATO おそらく今言ったようにスタートがそもそもビジュアル系だったり、ハードコア、メロコア、テクノ、ヒップホップをやっていたので、そもそものバランスというか、メンバー自体がそういう人の集まりだと思うんです。どれか一つのジャンルに偏ってたら、こういうことはやってないと思うし。
HIROKI 軸とか枠組みはないと思う。
―― なるほど、このメンバーでやればなんでもORANGE RANGEっていうことなんでしょうか。さっき出た飽き性っていうのにもつながってくる話ですね。
RYO ジャンルの話をすると、ずっと同じものっていうのは逆に出来ないかもしれませんね。だからアルバムの中でもポンポンポンポン違うジャンルが出てくるのかな。
ライブというホームがなかったら多分パンクしてた
―― ところで僕もみなさんと同世代で、1985年生まれなんです。
RYO あ、一緒だ。
YAMATO (手拍子しながら)チューしろっ、チューしろっ。
一同(爆笑)
RYO なんで?
HIROKI 深夜の飲み会のノリでもならんでしょ、同い年だからチューって(笑)。
―― (笑)。 みなさんが「上海ハニー」でブレイクした時に、僕は北海道でいわゆる「隠キャ(陰気なキャラ、陰気な性格の人を意味する俗語)」な高校生だったんですけど……。
RYO ムカついたんじゃないですか?(笑)
HIROKI「これだから南の人間は……」みたいな(笑)。
―― 本当に申し訳ない言い方をすると「いけ好かないバンド出てきたな」と思ってたんですよ。
一同(笑)
――でも曲が耳に入ってくるうちに、「あ、いい曲いっぱいあるな」となりました。でも、当時は女の子たちが「私はメンバーで誰派」みたいな話をしていたり、一種のアイドル的な人気の出方でした。そこに違和感はありましたか?
RYO 戸惑いはありましたね。でもそれを支えてたのはライブなんです。どんなにライブ以外のお仕事をもらった時にも並行してライブはやってて。本数的にも(たくさん)。それがないと危なかったです。それがあったから保ててた。テレビとか、慣れないことにも挑戦して、全部が勉強だったんです。だから、ライブが心のよりどころとしてあったから慣れないことも一個ずつ勉強していってた感じです。「ミュージックステーション」とかもわけがわからないまま勉強しにいってた感じ。取材一つにしても撮影一つにしても、ずーっと、ああこういう世界なんだって。だから楽しかったですよ。それはそれで。
―― ライブというホームがあって、そこから芸能界も覗(のぞ)きに行く感じですかね。
RYO そうですね。それもライブっていうホームがなかったら多分無理だったと思います。「これでいいのかな」っていうのがめっちゃ強くなってパンクしてたと思います。
(文・張江浩司 写真・林紗記)
プロフィール
沖縄の米軍・嘉手納基地近くの「コザ」(沖縄市)に在住する5人組ロックバンド。2001年結成。02年2月22日アルバム「オレンジボール」でインディーズデビュー。03年「キリキリマイ」でメジャーデビュー。2ndシングル「上海ハニー」でブレイクし、5thシングル「ミチシルベ〜a road home〜」から13thシングル「チャンピオーネ」まで連続でオリコンチャートの首位を獲得。10年には自主レーベル「SUPER ((ECHO)) LABEL」を設立。以来マイペースかつ精力的な活動を展開し、日本のみならず韓国、台湾、香港などでもライブを行っている。
ツアー情報
2020年2月22日より「原点回帰」「初期衝動」をテーマに、バンドスタイルでのミニマルな編成とサウンドにフォーカスしたツアー「ORANGE RANGE LIVE TOUR 020 〜NAKED×REFINISHED -3 mics and back sounds-〜」開催。
https://orangerange.com/tour020/
リリース情報
全国ツアー「ORANGE RANGE LIVE TOUR 020 〜NAKED×REFINISHED -3 mics and back sounds-〜」に合わせて、CD2枚組全9曲を収録したライブ会場・数量限定アルバム『NAKED×REFINISHED -3 mics and back sounds-』をリリース。
http://jvcmusic.co.jp/orangerange/
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