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「干し殺し」された三木城と、信長軍の大包囲網

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は、「三木の干し殺し」として戦国史に名をとどめる兵糧攻めの舞台となった、兵庫県三木市の三木城です。この城を取り囲む付城と土塁の跡が、すさまじい攻防を物語ります。(トップ写真は三木城本丸跡に残る別所長治公像)

【動画】三木城と、付城、土塁を訪ねてみた

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三大攻城戦の舞台のひとつ

三木合戦の舞台、三木城(兵庫県三木市)を訪れた。三木合戦は、1578(天正6)年3月から1580(天正8)年1月にかけて、織田信長の命により、羽柴秀吉が三木城を攻略した戦いだ。悲惨な兵糧攻めにより、三木城内では餓死者が続出。1年10か月に及ぶ籠城(ろうじょう)の末、三木城主の別所長治は降伏し自刃した。

「三木の干し殺し」と呼ばれる三木城攻めは、「鳥取城の渇え殺し」「高松城の水攻め」と合わせて三大城攻めのひとつとされることも多い。当時の二大勢力である織田氏と毛利氏の抗争を語る上でも外せない、情勢を象徴する戦いのひとつといえよう。

1577(天正5)年10月、信長は秀吉に中国地方の毛利攻めを命令。このとき別所長治は秀吉に味方することを約束していたが、1578年3月、秀吉との不和をきっかけに離反した。別所氏の影響下にある東播磨の諸勢力も織田方から離れ始め、情勢が一変する。これに激怒した信長が、三木城攻めを命じた。

現在の三木城には、壮絶な戦いをしのばせるものはない。明治時代に本丸が上の丸公園として整備され、別所長治の像や石碑が立つだけだ。三木城は美嚢川(みのうがわ)に面する上の丸台地の標高約58メートル地点に築かれ、本丸と二の丸を中心として、東に新城、その南側に鷹尾山城と宮ノ上要害を置く構造だった。規模は東西約55メートル、南北約450メートルに及び、現在の文化会館あたりが南東端だ。宮ノ上要害跡には三木市上下水道部庁舎が建つなど当時の広さを体感することは難しいが、上の丸公園から周囲を見渡せば、北側と東側が美嚢川や断崖、南側が山や谷に守られた地形であると実感できる。

「干し殺し」された三木城と、信長軍の大包囲網

三木城の二の丸跡。現在は三木市立みき歴史資料館などがある

七つの付城、八つの土塁含めて国の史跡に

三木城は「三木城跡及び付城跡・土塁」として国の史跡に指定されている。三木城に加えて七つの付城と八つの土塁が史跡指定されているのが特徴であり、大きな魅力といえる。付城と土塁は、織田方が三木城攻略のために構築したものだ。膨大な数の付城で三木城を包囲し、毛利方の兵糧の搬入路を封鎖することで、三木城を孤立させて開城へ追いやった。包囲網を使った長期間の攻城戦は信長や秀吉により確立されるのだが、三木城と付城群が語る三木城攻めの痕跡は、その最初の事例として学術的にも高く評価されている。また、信長・秀吉が築いた城の発展を知る上でも、興味深い。

「干し殺し」された三木城と、信長軍の大包囲網

付城のひとつ、慈眼寺山城(じげんじやまじょう)に立つ石碑。城からは三木城、平井山ノ上付城、明石海峡大橋まで見える

織田方は、三木城を囲むようにして、東西約6キロ、南北約5キロの範囲に、40余り(推定含む)の付城を構築していたとみられている。そのうち、明確に遺構が残っているものは20城。特筆すべきは、南側の付城群が多重の土塁で結ばれていることだ。付城を点々と構築して包囲網としていたのではなく、点在する付城を土塁でつなぎ、円状にして完全な遮断線を構築していたのだ。こうした生々しい包囲戦の様子をたどれるのが、三木城攻めの付城めぐりのたまらない魅力といえよう。土塁は31カ所が確認され、25カ所が残っている。

付城の構築時期は、戦いの序盤、中盤、終盤の3期に分かれるようで、時期により付城の特徴も違う傾向があるのもおもしろい。付城の変化から、戦いの推移を探ることもできるのだ。

膨大な曲輪群 三木城北側の付城

第1期の構築とされるのは、1578年7月、織田信忠が三木城の北側、美嚢川を隔てた山上に築いた付城群だ。平井山ノ上付城(秀吉本陣跡)と、その周辺に築いた。

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平井山ノ上付城の大手道

平井山ノ上付城は、美嚢川と志染川に挟まれた標高145メートルの山にあり、南西に三木城を遠望できる。かなり広く、付城の中でも最大規模だ。東西約450メートル、南北約400メートルに及ぶ。印象的なのは、斜面に無数の平坦地を壇状にいくつも築いていること。多くの兵が駐屯できるよう、たくさんの曲輪(くるわ)を確保したのだろう。地域支配の拠点ではなく、戦いのために一時的に構築された付城の特徴だ。膨大な曲輪群にびっしりと兵が駐屯している姿を想像するだけで恐ろしい。

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平井山ノ上付城、斜面の曲輪群

主郭と思われる最高所の曲輪は、高く厚い土塁で三方をがっちりと囲まれていて、ここから三木城を望むことができる。標的となる三木城をにらむ様子が、ひしひしと感じられるはずだ。城は主郭を中心に東西に伸びる尾根上に城地を取り、尾根から北側に派生する尾根ごとに壇状の曲輪群が設けられている。主郭の東側と南西側には独立した曲輪群が展開していて、部分的に土塁や櫓台(やぐらだい)のような高まりがある。

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平井山ノ上付城、土塁で囲まれた主郭

「干し殺し」された三木城と、信長軍の大包囲網

平井山ノ上付城、主郭北側。左手に櫓台らしき土盛りが見える

複雑な構造と徹底した包囲網 三木城南側

平井山ノ上付城をはじめとした三木城北側の付城群は、遮断線や防御があまり意識されておらず、ただ曲輪を並べただけの印象がある。これは、美嚢川を隔てた比較的安全な場所にあるからだろう。一方で、第2期に分類される三木城南側の付城群は、平坦(へいたん)な場所に築かれていることもあり、曲輪は土塁で囲まれ、虎口も複雑なものが多い。1579年4月、再び派遣された信忠が新たに構築した、高木大塚城や小林八幡神社付城などの三木城南側のもっとも外側に構築された六つの付城だ。

この付城群は、付城間を多重土塁で連結しているのが最大の特徴だ。毛利方の兵站(へいたん)ルートを封鎖するための最前線にあたるため、このような徹底した包囲線を構築したのだろう。また、付城を歩いていると、虎口が三木城側ではなく搬入方向に向いていることにも気づく。構築の意図が明確だ。

たとえば這田村法界寺山ノ上付城(ほうだむらほうかいじやまのうえつけじろ)も、それがよくわかる例だ。湯乃山街道の南側に建つ、法界寺背後の山に築かれた付城だ。中心部となる主郭と副郭は土塁で囲まれ、主郭の虎口には馬出のような出曲輪が設けられた、つくり込まれた設計だ。中心部の北側や南側の斜面には駐屯目的と思われる壇状の曲輪群もあり、収容力もかなりありそうだ。

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這田村法界寺山ノ上付城の主郭

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這田村法界寺山ノ上付城の主郭南側の横堀

そして、這田村法界寺山ノ上付城を起点として、南側には朝日ヶ丘土塁が延々と構築されている。朝日ヶ丘土塁は四重の土塁線で構成され、封鎖線の様相がかなりよく残っている。多重土塁は朝日ヶ丘土塁を西端として、東端の宿原土塁まで総延長約5.5キロにわたり、三木城の南側を囲んでいたようだ。これほどの土塁が付城をつなぐようにして一体化して構築されていたとなれば、兵糧を運び込むどころか少数の援軍すら入り込めまい。

織田方がまず封鎖したのは、明石から三木への搬入ルートだ。1579年5月には、ルート上の拠点のひとつである淡河城(おうごじょう)が攻略されており、三木城の孤立は始まっていたようだ。織田方は通路をふさぐべく、周辺に構築した付城の間に番屋・堀・柵などの防御施設を設置していたという。6月6日には、毛利輝元が兵糧を三木城へ届けるために明石に船数百隻を送っているが、通路がふさがれて書状のやりとりすら困難であると別所長治が書状に記している。

「干し殺し」された三木城と、信長軍の大包囲網

朝日ヶ丘土塁

毛利方は1579年9月に平田・大村付近を襲うと同時に三木城内から出撃して兵糧の運搬を試みているが、失敗に終わっている。それほど、織田方の封鎖線は頑丈だった。さらに1580年、秀吉が第3期となる付城を最前線に構築し、包囲網はさらに狭まることとなる。組織的な兵糧の搬入は完全に絶たれ、蓄えが尽きた三木城内の餓死者は数千人に及んだといわれている。

三木城の付城めぐりをしていると、戦いとは総力戦なのだと痛感する。攻城側は、籠城側のネットワークを断ち切れるかがカギで、籠城側は、簡単に機能停止しないネットワークを構築しておけるかが重要になる。双方の戦略や意図を感じ取りながら歩くと、ちょっとした土の高まりにしか見えない土塁が脅威に思えてくる。これぞ、城をめぐる戦いの場を歩く醍醐味(だいごみ)だ。

(この項おわり。次回は3月23日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■三木城跡及び付城跡・土塁
https://www.city.miki.lg.jp/site/mikirekishishiryokan/3014.html(三木市)

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