遅咲きの“最高峰”短編作家。余韻つづく、小さな痛みの物語

『蜜のように甘く』
なんて蠱惑(こわく)的な表紙だろう。窓のような扉のような、とにかく何かの境の奥にたたずむ老女。目元や額にしっかりと刻まれたしわと、短く刈りそろえられた髪にシンプルな耳飾り。その表情からは、憂いのような諦念(ていねん)のような趣がうかがい知れる。
その老女こそが、今回紹介する『蜜のように甘く』の作者イーディス・パールマンだ。
著者略歴を見ると1936年生まれだから、すでに80歳を超えている。主に短編を発表している作家だそうで、初めての短編集を発表したのが96年だから、その時点で60歳を超えていたことになる。現在までに5作の短編集を発表しているそうだが、二十数年間で5作だから寡作な作家といえるだろう。
『蜜のように甘く』は2015年に発表された短編集”Honeydew”から10編を選んで編まれたものだ。
この短編集に収められている作品の多くに共通して描かれているのは、日常の中の「ちょっとした痛み」だ。それらはどれも大げさな物語ではない。立ち直れないほど大きな傷ではないが、針で突かれたようなちょっとした痛みを心に残す。
冒頭に収められている「初心」は、夫を亡くした足のケア専門店を営む女性と、その隣に越してきた、妻と離婚した大学教授のやりとりを描く。だが、ふたりが仲良くなったと思った矢先に、大学教授に起きた離婚に至った過去が語られ、物語は転換する。
「従妹(いとこ)のジェイミー」では、不倫相手の男性を死なせてしまったが彼の葬儀に何食わぬ顔で参列する女性が、表題作の「蜜のように甘く」では、生徒の父親と不倫をした結果、彼との子どもを妊娠する校長が描かれる。
あらすじだけを読めば悲劇のようにしか思えない話をパールマンの筆致は淡々と描き、登場人物たちは痛みを感じながらもそれにいつまでも固執しない。それはまさに表紙に映る著者自身の表情から感じられる諦念のようにさえ思える。
と、ここまで紹介しておきながらだが、実は自分は短編小説が苦手だ。長編小説に比べると物語の世界に入り込むまでに時間がかかり、ようやくなじんできたと思った矢先に突然終わってしまい、読み応えのなさを感じることがあるからだ。
しかしこの短編集では、どれも冒頭からすんなりと世界に入り込むことができた。それは的確な情景描写と登場人物たちの造形のうまさに由来するからだろう。難解な表現もなくすんなりと読めるのに、読み終わった時にはたしかな余韻を胸に残す。本の帯には「世界最高の短篇(たんぺん)作家」と書かれているが、あながちそれも誇張された表現ではないのかもしれない。
中には子どもの頃の父との思い出を80歳を過ぎた現在から回想するという、あたたかな、しかしやはり、ちょっと痛みのある作品もある(「幸福の子孫」)。
自分と同じように短編小説が苦手な人にもおすすめできる一冊で、読めばきっとお気に入りの短編が見つかるはずだ。

まつもと・やすたか
二子玉川 蔦屋家電 人文コンシェルジュ
大学卒業後、広告代理店などメディア業界で働いたのち、本の仕事に憧れて転職。得意分野は海外文学。また大のメジャーリーグ好き。好きな選手はバスター・ポージー。