数年後、また食べたくなる味を 行列のできる焼き菓子店「TOROkko」

まちに秋の気配がやってきました。前回までは、辻堂、茅ヶ崎と、夏の似合う海街に出かけていましたが、今回はまた、秋に色づく鎌倉からお届けします。
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毎週、火、金、土曜日の朝、鎌倉・今小路の一画に、ちょっとした行列が出現する。みんなの目当ては、焼き菓子の店「TOROkko(トロッコ)」。ガラスの窓越しに店内のカウンターをのぞいてみると、スコーン、クッキー、タルト、マフィン……何とも魅惑的な眺めが目に入ってくる。
列に並んで、もっと近づいてみよう。
マドレーヌなど定番の焼き菓子とともに、長野・小布施産の大きな栗が入ったカトルカール(フランス式のパウンドケーキ)、同じく長野産の紅玉りんごマフィンなど、季節を感じる品や、チェリー&チョコレートのファーブルトン(ブルターニュ地方の郷土菓子)……というラインナップに、胸がドキドキ、わくわく。
店は、この10月にちょうど、オープン1周年を迎えた。材料の吟味、調達から、お菓子の製造、店頭での販売まで、一連の仕事をまかなうのは、店主の原田郁未(いくみ)さん(41)。そのお菓子に合うコーヒーを、カフェで担当するのが、夫の安曇(あずみ)さん(45)だ。
「店頭に出すものはすべて、自分の好きな味を追求して、私ならではのレシピを極めたものです。焼き菓子をとおして、お客さまに居心地のよいサービスを提供したい。その一心でお店を開きました」(郁未さん)
週3日だけの営業は、お菓子を自分の納得のいく味にしあげるよう、心がけているから。店頭が休みの日でも、郁未さんは休まずに製造作業に取り組んでいる。
彼女がお菓子づくりに目覚めたのは、東京の飲食店に勤めていた20代のときだった。厨房(ちゅうぼう)でデザートのタルトづくりを担当したら、自分でも驚くほどの楽しさを感じた。
1990年代の終わりにカフェブームがはじまった東京では、ビルの中の隠れ家風や、音楽にこだわったカフェなど、おしゃれで個性的な店が次々とオープンしていた。そのひとつ、代官山の一軒家カフェに転職した後は、さまざまな焼き菓子をつくる機会にめぐまれた。
自分のつくったお菓子を、お客さんが「おいしい」と喜んでくれる。そんな声を直接聞けたことで、「いつか店を開くこと」が目標になったが、実現までには10年以上の年月がかかった。間に結婚、出産という、もうひとつの大切な時間が加わったからだ。いまも中学生の双子、小学生の三女という3人の女の子の子育て中で、お母さんとしても忙しい。それでも、子どもが小さなころから、イベント出店や知人の店への卸しなど、できることはずっと続けてきた。
その先にあったのが、現在の店舗との出会いだった。以前は燻製(くんせい)チーズ店だったその場所では、そのオーナーが月に2回、週末に「やどかり」というスペース貸しを行っていた。「チーズを売ってくれれば、賃料はいりません」という面白いしくみで、お菓子をはじめ、パン、カフェ、絵画のアトリエなど、さまざまな人たちが、それぞれ自由な使い方をしていた。
「そのような鷹揚(おうよう)なオーナーがいらっしゃるところが鎌倉ならでは、ですよね」
そのオーナーが昨年、店を閉めることになり、郁未さんに声がかかった。店舗の物件を探すことが困難といわれる鎌倉で、彼女の静かな情熱が引き寄せた縁だろう。
郁未さんには、理想のお菓子屋さん像がある。
「ある店のお菓子の味が忘れられなくて、1年後、2年後に、そのお菓子を求めたら、やっぱりおいしくて、幸せな気分になれる。そんな店にあこがれているんです。ですから、この店でも種類をころころ変えず、私がつくり続けたいと思ったお菓子を、一つひとつ丁寧に焼いていきたいですね」
TOROkko
〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-14-5
TEL:0467-37-5542