メカニズムを愛し、イタリアを愛するデザイナー ジュリアーノ・マッツォーリ

革新的なステーショナリーを生み出し グラフィック・デザイナーとして成功
過去数年イタリア各地で、たびたび筆者の目を惹(ひ)きつけたアイテムがあった。ひとつは家庭用エスプレッソ沸かし器「モカ」をモチーフにした筆記具。もうひとつはタイヤの空気圧計を模したリストウォッチである。


やがて、そのいずれもが同じデザイナーの仕事であることを知った。彼の名はジュリアーノ・マッツォーリ(Giuliano Mazzuoli)。さらに驚いたことにオフィスはフィレンツェ郊外で、筆者が住むシエナから僅(わず)か四十数キロメートルにあることがわかった。
アポイントメントの日、彼のオフィスにたどり着こうとしたときだ。山のように巨大かつ現代アートのように派手な黄色のオフロードカーが敷地内へ先に入っていった。車から降りてきた人物こそが、ジュリアーノ・マッツォーリであった。筆者が「ランボルギーニLM002ですね」と言うと、彼はあいさつもそこそこに「もともと新車で中東に輸出された車両が、イタリアに戻ってきたのを入手したのだ」と熱く語り始めた。その登場からして、インパクトがあった。

マッツォーリは1946年、フィレンツェ郊外の町タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ペーザに生まれた。印刷会社を経営する父を助けるべく、早くからグラフィック・デザイナーを志した。「美しい作品と、そうでない作品双方に数々出会ううち、自分で手を下したくなったからだ」と振り返る。
幸い彼の卓越したセンスは評価され、フィレンツェのファッション業界を中心に、多くのクライアントからカタログ制作の依頼が舞い込むようになった。しかし、モードのビジネスと並ぶ重要顧客であった家具産業の衰退をもろに被った。カタログ受注の仕事は激減した。
苦境のなかひらめいたのが、1993年のダイアリーだった。従来品に付箋(ふせん)紙を貼るスペースを設けるというささやかなアイデアだったが、市場で好評を得た。その商品名「3・6・5」は今日、彼のステーショナリーを扱う企業の名称にもなっている。

さらに1997年、より革新的な発想を思いつく。書き込みページがめくりやすいよう、――今日でいえば、タブレットコンピューターのカバーの要領で――ハードカバーの表紙が折れ曲がるダイアリー/ノートだった。このパテントはステーショナリー界で話題を呼んだ。そればかりかニューヨーク近代美術(MoMA)、メトロポリタン美術館など、著名ミュージアムのショップからも次々とオーダーが舞い込んだ。
かくもグラフィック・デザイナーとして十分な成功を収めたマッツォーリだが、新たな領域に挑戦するクリエーター魂は隠せなかった。

P.ニューマンも魅了したリストウォッチ
新たな領域とは、リストウォッチだった。誰にも似ていないデザインを創りたい。他ブランドの製品を僅かでも見る者にイメージさせるデザインは徹底的に排除したかった。そのため「まず専門誌に片っ端から目を通した」と当時を振り返る。
やがて到達したヒントは、自身のメカニズムへの情熱だった。その原点は、第2次世界大戦前から自転車製作工房(オフィチーナ)を営んでいた祖父だった。彼の仕事は戦後モーターサイクルの普及とともに廃業せざるを得なくなった。しかし、彼が遺(のこ)した木製の工具箱とその中身は、少年時代のマッツォーリにとって宝物だったという。

社会人となってからのマッツォーリは、プライベート・チームのレーシングドライバーとしてアルファ・ロメオを駆っていた。
その彼が最初に注目し、リストウォッチのモチーフとしたのは、空気圧計だった。機能に徹した、そのたたずまいに心惹かれた。いっぽう竜頭には工夫を凝らした。従来の腕時計が3時位置であるのに対して、2時位置にオフセットさせた。「手首の骨に干渉せず、かつ巻きやすいことに気がついたからだ」と、その理由を語る。
イタリア語で空気圧計を示す「マノメトロ」をリリースすると、そのユニークなデザインとアイデアに時計界の注目が集まった。業界の新参者にもかかわらず、オランダの専門誌が主催する2009年の「ウォッチ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。
その後も、回転計(タコメーター)、ギア、クラッチといった自動車に関連するパーツをモチーフにしたリストウォッチを次々とリリース。コレクターたちの話題をさらっていった。

かつて自ら駆ったアルファ・ロメオには、オフィシャル・プロダクトとして選ばれた。俳優の故ポール・ニューマン、フィアット創業家出身でイタリアを代表するファッショニスタのラポ・エルカンをはじめ、車を愛好する世界のセレブリティーたちと友情を育むこともできた。

モノの美しさを発見するデザイナー「かたちが私に訴えてくる」
時計のオートマチック・ムーブメントこそスイス製ETAを使用しているものの、マッツォーリが手掛けたプロダクトは、いずれもメイド・イン・イタリーを貫いている。それはパッケージにまで及ぶ。
今日イタリアらしさ(イタリアニティ)をアピールするアイテムは社会にあふれている。そうしたなか、あなたが考えるイタリアニティあるデザインとは? その質問に対してマッツォーリは、「本当のイタリアニティとは、シンプルさだ」と即座に答えた。たしかに彼の作品に甘さを帯びた装飾表現は感じられない。代わりに、ときには大胆ともいえる手法でイタリアが表現されている。同じトスカーナ州カッラーラの大理石を厚いケースに用いたリストウォッチは、その好例である。


実はオフィス棟に隣接したビルに、マッツォーリにとって本当の“スタジオ”がある。秘蔵車を集めたガレージだ。本人は、かつての祖父の工房と同じく「オフィチーナ」と呼ぶ。そこで触れるメカニズムが、彼の作品にとって最高の発想の原点という。ある社員は「今でもマッツォーリは、一日のうち多くの時間をガレージで過ごしている」と証言する。
前述の初めてのリストウォッチ・マノメトロもここで生まれた。「私はスケッチを要さなかった。空気圧計を真剣に観察し、ノギス(測定器)を当てて、といった作業をするうち、1時間後には構想が完全に固まっていた」と振り返る。

マッツォーリはデザイナーという仕事は存在しないとも語る。
「代わりにあるのは、数千年の人類の営みで生み出されてきたモノの美しさを発見する作業なのだ」
それがわかるのは、もうひとつの成功分野であるライティング・ギアであろう。ドリルの刃、ヤスリといったツールのパターンを模している。車とは関係がないが、冒頭のエスプレッソ沸かし器を模したペンにも、それがいえるという。
「過去に創造されてきた秀逸なかたちが、私に訴えかけてくる。私が『モカ』ペンをデザインしようとしたのではない。モカが私を探しあてたのだ!」

いっぽう2020年は、イタリアが新型コロナウイルスによって大きな被害を受けたことで「母国への思いを強くした」とマッツォーリは吐露する。同時に、第2次世界大戦におけるイタリア解放から75周年という節目でもある。

そうしたなかで手掛けた最新作はマノメトロのリミテッド・エディションだ。「ケース用エポキシ樹脂の着色には、スタッフと息を合わせてイタリア国旗色を一気に型へ流し込む。3色の混じり具合が同一なケースは、ひとつとして存在しないのだ」。それを説明するマッツォーリの目は、少年のように輝いていた。今年74歳。メカニズムを愛し、イタリアを愛する彼の創造力は、まだまだ枯れることがない。
(写真/Giuliano Mazzuoli、Akio Lorenzo OYA)