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天才人語
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独創性を求め“凡庸”の沼に引きずり込まれる表現者たち ラッパー・荘子itが語る“普通さ”と現代の天才の条件

各界のキーパーソンに自身に影響を与えた天才について語ってもらうインタビュー企画「天才人語」。今回は独創的なスタイルが国境を超えて高く評価され、台湾IT担当大臣オードリー・タンとのコラボでも注目を集める3人組ヒップホップグループ、Dos Monos(ドスモノス)のトラックメーカー/ラッパー、荘子itに話を聞く。

文芸、映画の批評家として知られる蓮實重彦氏の著作や、文豪ドストエフスキーの作品をあげつつ荘子itが語った「天才論」とは――。

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独創性を求め“凡庸”の沼に引きずり込まれる表現者たち ラッパー・荘子itが語る“普通さ”と現代の天才の条件

――荘子itさんは、どういう人を天才だと思いますか?

荘子it 本当は身の回りの天才だと思う人を挙げたいんですが、あいにく、僕は実生活に関しては、交友関係がそれほど広くなくて。中高一貫校の同級生といまだにヒップホップグループをやっているくらいなので、外の世界とそんなに積極的にコミュニケーションをとってこなかった人間なんです。自分のコミュニティーの中では、自分が“天才キャラ”だったので、それ以外に天才を求めてこなかったんですよ。

もちろん、本や映画を通して知っためちゃめちゃ尊敬する偉大な先人はたくさんいるんですけれど、正直、実生活で出会った知人や友人の中には、「この人こそ」と言えるような人はいなかった。むしろ「お前はもう天才だからがんばれ」みたいに、投げやりに“天才キャラ”を託される感じだった。だからしょうがないので自分の天才性をどこで発揮しようかみたいな考え方でずっとやってきたところはありますね。

――中学生の頃から自分の天才性を自覚していた。

荘子it もちろん、ほんとに信じていたわけではないです。あくまで「キャラとして」だったし、勉強も一切できなかったんで。バンドを組んでギターを弾き始めて「こいつちょっとセンスがいいな」と思われるまでは、同級生にも単に頭のおかしいやつだと思われていたし。もっとずっと小さい子どもの頃は、誰に言われるでもなく自分は特別だと思っていましたが、客観的に自分を他人と比較するようになってからは、そんなに特別な人間でもないんだろうなと考えていました。自分自身のことは、所詮(しょせん)は“都心のマイルドヤンキー”だと思ってます(笑)。

ただ、僕は誰もが基本的にはある種の天才だろうと思うんです。天才というのは“量的な問題”じゃなく“質的な問題”であって、何かしらの技能やセンスとかにおいて才能の量が大きくて、それが一定値を超えると天才と認められるという話じゃない。

天才は天災のごとく人為を超えたもの。人為的なレベルの“量的な問題”は秀才の話だと思っています。時代とか属するコミュニティーによって、天才だと思われてもおかしくないやつがそう思われない可能性も十分にあるし、その逆も然り。自分自身、大学時代はまた単に頭のおかしいやつだと思われたりと、身を置く場所や環境によって全然違った見られ方をしてきた自覚があったので。

――中高一貫校の仲間と結成したということですが、Dos Monosというグループはどういう風に始まって、それが荘子itさんにとってどう活動のメインになってきたんでしょうか。

荘子it Dos Monosを結成したのは、僕が大学で卒業制作の映画を撮る直前ですね。中高はずっと音楽をやっていたんですけれど、映画監督になりたくなって。それで映画学科のある大学に入って、映画の勉強をしながら並行してビートを作ってきた。これを世に出そうってなった時に、ラッパーの知り合いもいないし、大学の友人とも創作的な方向性が合わないから中高時代の同級生に声をかけて、日本のレーベルだとどこも毛色が合わないからアメリカのレーベルDeathbomb Arcに連絡をしてみて、反応がよかったので作品を出した。本当にそれだけです。映画の道に行きたかったのもあるけれど、結果として今は音楽がメインの活動になっている感じですね。

 

独創性を求め“凡庸”の沼に引きずり込まれる表現者たち ラッパー・荘子itが語る“普通さ”と現代の天才の条件

――映画監督になろうと思ったのはどういう理由だったんですか?

荘子it 単純に、音楽よりも要素の多い、総合芸術としての映画に憧れたというのはありますね。映画は20世紀を代表する一大芸術だし、映画を勉強することは、様々な他分野の芸術や思想なども含めた20世紀の遺産を掘り起こすことになるから、学んだことが無駄にならないだろうという打算もありました。

――たくさんの映画を分析的に見ることで得ることは多くあると思うんですが、荘子itさんとしては映画を学んだことで、世界の見方にどんな変化がありましたか?

荘子it 極端に多くの映画を見る人たちをシネフィルって言いますけど、フランスや、その影響下にある日本の伝統的なシネフィルたちの間で重視されているのは、非常に分かりやすく言うと、主観的な趣味判断や美意識が介在しない、ありのままの世界をとらえた映像なんですね。現実の世界を撮ろうと思うとカメラのどこかに意図せざるものが映ってしまう。そこと付き合っていかないといけないという考え方が大きい。

たとえばそのようなシネフィルにとっての“神”みたいな存在としてストローブ=ユイレという監督がいるんですけど、彼の映画は公園で人が座って引用されたテキストの朗読をしている風景をずっと撮っていたりするんです(ストローブ&ユイレ『すべての革命はのるかそるかである』)。そうやって、主観的/趣味的な判断を介在させず、世界そのものと対峙(たいじ)しようというものの見方が、イコールそのまま哲学的な思想として成立していた。それによって現実の世界を信頼しようとしていた人間がいた。僕自身も、身体と思考をチューニングしてその良さが分かるようになっていく感覚が面白かったので、ある時期はかなりシネフィル的に映画にのめり込んでいました。

極端な例を出しましたが、実際のほとんどの映画作品は、シネフィル的なものを含めてそこまで徹底されていませんし、そうした思想は今となってはちょっと無理があるものですけれど、そこから学んだことはあります。たとえば自分がシンセサイザーでゼロから音を作るんじゃなくてサンプリング(既存の楽曲や音源の一部を抽出し、新たな曲として再構築する技法)で無理やり音を紡いでいくのも、シネフィル的な映画作りの名残はあると思います。サンプリングという手法自体は、僕の世代にとっては当たり前のものだけど、主観で全て構築するのではなく、意図せざるものと付き合っていかないといけないという考え方で用いる。これは簡単なことではないし、その意味で、人為を排するのが天才の条件という気はしますね。意図して審美的に優れた傑作を作る能力じゃなく、映画でいえば“ただ映ってしまったもの”の素晴らしさ、それに気付けて、向き合えることが真の天才の条件かなって今でも思います。

独創性を求め“凡庸”の沼に引きずり込まれる表現者たち ラッパー・荘子itが語る“普通さ”と現代の天才の条件

――荘子itさんが、そういう意味での天才性に気付いたのはどういうきっかけだったんでしょうか。

荘子it それは蓮實重彦さんの影響が大きいですね。映画の大学を受験するに際して、たまたま蓮實さんについて調べていたら「映画は個性的でない人によってつくられる」といったことが書いてあった。映画作家の条件は天才ではない普通の人であることだ、と。それが衝撃だった。自分は“天才キャラ”だったし、個性的な音楽や映画を作ろうって意気込んでいたけれど、それとは正反対のことが書いてあった。その出会いが大きかったですね。

もちろん蓮實さん自身の批評にも時代的変遷や趣味判断の要素はありますし、そこまで含めて彼自身が極めて普通の人だと言えるのかもしれません。一般的な“普通”を越えた異形の“普通さ”ですけど。

――蓮實重彦さんの本で荘子itさんが特に影響を受けたものをあげるならば?

荘子it ほとんど全てですが、この話の流れでわかりやすい例を挙げるなら『凡庸な芸術家の肖像』です。マクシム・デュ・カンという19世紀のフランスの小説家の生涯を書いたものですね。マクシム・デュ・カンは『ボヴァリー夫人』を書いたギュスターヴ・フローベールの友人で。大衆の時代がやってきてインテリや芸術家の地位が低下していく19世紀のパリで、マクシムがいかに自らを個性的な芸術家だと思い、いかに自分のやっていることに芸術的な意義があるのかをひたすら考え続けて、それゆえにめちゃめちゃ凡庸な生涯をたどった、ということを蓮實さんは800ページにわたって、愛をもって書いています。そして、その凡庸な人間とはまさに私たちのことでもある、ということも。

蓮實さんが指摘する“凡庸”って、量的な面で才能が劣ることじゃないんですね。ある時代における人間の姿勢や態度を指して“凡庸”と言っている。たとえばマクシム・デュ・カンでいえば、彼は19世紀のパリで活動するものの宿命として書くことの意義や使命感について考えているわけですが、そうなった途端に“凡庸”なものになってしまったと。

そんなマクシムとは対称的に、フローベールは、ある意味ただ何も考えず書くことができる人だった。その様を蓮實さんは“愚鈍”と言っている。フローベールは無意味で無根拠なことを愚直に書き続けられた人だった。それを“凡庸”の対極に位置づけて総括しているんですよね。独創的であろうと個性を押し出す態度がかえって“凡庸さ”を引き出してしまうという問題は、現代の芸術家が直面するアイロニーとしていまだに続いていると思います。

蓮實さんの書き方は、そんなアイロニカルな状況についてのさらなるアイロニーになっているので、錯綜(さくそう)しているとも二枚舌とも取れるわけですが、要点はそこにあると思います。絶対的な天才を目指そうとせず(それでは“普通”=“凡庸”になってしまう)、相対的な努力の結果としていつの間にか天才になってしまうという“普通さ”=“愚かさ”が大事なのかなと。

独創性を求め“凡庸”の沼に引きずり込まれる表現者たち ラッパー・荘子itが語る“普通さ”と現代の天才の条件

『罪と罰』に見る、誰もが天才でありうることの難点

荘子it あと、天才についてという意味でもうひとつ挙げるならば、ドストエフスキーの『罪と罰』も大きいですね。

――『罪と罰』は、荘子itさんはいつぐらいに出会って読んだんですか?

荘子it 高校生の頃ですね。『罪と罰』は主人公のラスコーリニコフが、まさに天才の病に侵された人物なんですよね。何も持たない貧乏学生なんだけど、自分は天才で、将来はこの才能を生かして英雄になるんだから、そのためだったら人倫に反した活動も許されると考えている。それで高利貸の老婆を殺して、金を盗む。

独創性を求め“凡庸”の沼に引きずり込まれる表現者たち ラッパー・荘子itが語る“普通さ”と現代の天才の条件

荘子it ただ、この小説の中では、ラスコーリニコフに本当に才能があったかどうかは、明言されていないんですよ。性格悪い読み方をすれば、凡庸なやつの妄想だろうっていう話になるんですけど、そこまで浅い話ではなくて。時代や生まれる場所が違えば、ラスコーリニコフがナポレオンみたいな英雄になった可能性はある。もちろんあくまで仮定の話ですが。

つまりこの作品は、ラスコーリニコフが実際に天才だったかどうかは重要ではなく、自分が天才であるかどうかを証明できないという現実にぶち当たった人間の解決不可能な悩みを描き出した“メタ天才小説”だと思います。時代や環境に恵まれるなどして誰もが偶然的に持つ可能性がある“天才性”といういいかげんで残酷なものをどう取り扱うか、という話。僕はこれまで、この問題に対して洞察の鋭い人に影響を受けてきた気がします。蓮實重彦さんもそうだし、同じ意味で音楽家の菊地成孔さんや哲学者の東浩紀さんからも思想的に影響を受けています。彼らはみんなメタ天才ですよね。

――ドストエフスキーやフローベールは19世紀の小説家ですけれど、荘子itさんがそこから感じ取った天才を巡る問い自体は、21世紀の今も決して有効性を失っていないと思いますか。

荘子it いまだに有効だと思いますよ。何も変わっていない。けれども、そのことについて人は考えなくなっている。人の評価というものは、ネット社会になってからは単純化が加速して、数の論理で勝つしかない、フォロワーを増やすしかないって方向に傾いている。僕も含めたポップミュージックを作っている人間たちに、今その問題は大きく降りかかっている感じがします。そういうなかで、大義名分や自己肯定を用意せずに、ただただ愚直にやり続けられる。たとえば音楽にしても、なぜか作りはじめて、ずっと音楽を作り続けている。そういうのが今の時代の天才の条件なのかなって気がします。

独創性を求め“凡庸”の沼に引きずり込まれる表現者たち ラッパー・荘子itが語る“普通さ”と現代の天才の条件

――Dos Monosの音楽を聴いていると、すごく非言語的な快楽がある気がするんです。好きなものを好きなようにやって、我を忘れて作っているものが、ただただ格好いいという瞬間があるように思います。

荘子it そうなれていたらうれしいですね。ただ、そこは自分では判断しづらいです。まさに先ほど述べたような理由によって、「まさにそういうことをやっているんです」と言ったら凡庸になってしまう。まあでも、自分が好きなことを愚直にやっているっていうことをメタ的にとらえているところが僕にはあって、それを作品化している感覚はあります。「好きなことを好きなようにやっている」ということをかたちにした表現。だから、本当に好きなことだけをやっている人とは違うんですよ。そこが自分の凡庸さなのかもしれないですけどね(笑)。

(文:柴那典 写真:南阿沙美)

プロフィール

独創性を求め“凡庸”の沼に引きずり込まれる表現者たち ラッパー・荘子itが語る“普通さ”と現代の天才の条件

荘氏it(ソウシット)
1993年生まれ。2015年に中高時代の友人であるTaiTan(MC)、没(MC・DJ)とヒップホップグループDos Monosを結成。トラックメーカーとMCを担当。グループ活動のほか、アーティストのプロデュースや楽曲提供も行う。古今東西の音楽に限らず、哲学や映画や多種多様なサブカルチャーまで奔放なサンプリングテクニックで現代のビートミュージックへ昇華したスタイルが特徴。

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