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ぬくもりを感じさせる名刺とコミュニティーを作り出す 立ち飲み印刷所の「工場長」宍戸祐樹さん

東京・森下にある一風変わった印刷所「リズムアンドベタープレス」をご存じだろうか。活字や写真や線画などの凸版を組み合わせて「版」を作る「活版印刷」で、こだわりの名刺やショップカードを手がけつつも、夜は気兼ねなく過ごせる立ち飲み屋に生まれ変わる。インディーズで人気のバンドやシンガー・ソングライター、気鋭のDJが出演する音楽イベント、近隣の商店と街フェス的なイベントを開催するなど、森下の街の住民はもちろん、サブカルチャーを愛する東京の若者からも新しいコミュニティースポットとして注目を集めているという。

インクの香りが漂う店内に足を踏みいれると、まず目に入ってくるのが1970年に作られたドイツ・ハイデルベルグ社の活版印刷機。大きな窓からは燦々(さんさん)と光が差し込み、音楽好きの店主が愛するR&Bやソウル、スカやダブなどのアナログレコードが心地よく鳴り響く。

活版印刷機はドイツのハイデルベルグ社製。1970年に作られたもの

活版印刷機はドイツのハイデルベルグ社製。1970年に作られたもの

人気メニューは、立ち飲みの定番であるホッピーやコダマサワー、そして店主が丹精込めて調理した素朴なおつまみ。近隣に住む人たちはもちろん、その味を求めて、遠方から足を運ぶファンも少なくない。

ボーナスにつられて働き始めたが、楽しくなかった印刷の仕事

店主の宍戸祐樹(ししどゆうき)さんは1980年12月2日生まれ

店主の宍戸祐樹(ししどゆうき)さんは1980年生まれ

この空間を作ったのは、常連客から「工場長」として親しまれている宍戸祐樹(ししどゆうき)さん(40)。20歳の時に、出身地である岩手県から上京した宍戸さんは、アルバイト店員としてカフェやカレー屋など飲食業を転々としつつ、27歳の時に友人の誘いで新橋にある昔ながらの印刷会社に勤務。約10年働いた後に、独立して同僚とともに墨田区は森下に「リズムアンドベタープレス」をオープンさせた。2018年の2月のことだった。

「正直、印刷産業は元気がないので、昔からのやり方にとらわれて、日々の仕事をこなしているだけだと、先がないと思っていました。一方、海外に目を向けると、あえて古い活版印刷機を使って味わいのある印刷物を作るなど、クリエーティブな活動をしている人たちもいます。印刷屋勤務時代から『印刷屋ってこんなこともできるんだ』と刺激を受けていました。で、思いついたアイデアを当時勤めていた会社に提案してみるんですが、ほとんどが却下される(苦笑)。会社としてはコストやもうけを重視するわけですから仕方ないんですけどね。でも僕としては、絶対に面白いという確信があったので、そのうち独立してやりたいことをやろうと思っていたんです」(宍戸さん)

現在主流となっているオフセット印刷やインクジェット式やトナー式のプリンターとは異なり、活版印刷では金属や樹脂で作った凹凸のある版を使用する

現在主流となっているオフセット印刷やインクジェット式やトナー式のプリンターとは異なり、活版印刷では金属や樹脂で作った凹凸のある版を使用する

リズム&ベタープレスのオリジナル・コースター。印刷時の圧力により凹凸をつけた活版印刷に惹(ひ)かれるファンも多い

リズムアンドベタープレスのオリジナル・コースター。印刷時の圧力により凹凸をつけた活版印刷に惹(ひ)かれるファンも多い

店内の壁には活版印刷用のインクもディスプレー。オリジナルのTシャツやキャップの販売も

店内の壁には活版印刷用のインクもディスプレー。オリジナルのTシャツやキャップの販売も

仕事が終わったあと職場で飲んでいる時に気付いた『工場飲み』の可能性

通りに面した店の北側には大きな窓が二つ。外側から印刷機や店内の様子をうかがうことが出来る

通りに面した店の北側には大きな窓が二つ。外側から印刷機や店内の様子をうかがうことが出来る

リズムアンドベタープレスは「印刷について気軽に知ってもらえる印刷所」を目指している。そのコンセプトを反映して、外から中の様子をうかがえるように、通りに面した壁には大きな窓、正面には全開放出来るガラス戸を設置した。窓から差し込む光に照らされる店内、お洒落(しゃれ)なカフェを思わせるシンプルなインテリア、ターンテーブルと大量のアナログレコード……印刷機が鎮座していること以外は、何から何まで印刷工場らしくない。その上、夕方からは「立ち飲み店」に変身する。

入り口横のガラス扉を開放すると、店内が一層明るくなり、新鮮な空気が流れ込む。

入り口横のガラス扉を開放すると、店内が一層明るくなり、新鮮な空気が流れ込む。

それにしても一体なぜこのような営業のスタイルを選んだのだろう。そんな疑問を投げかけると宍戸さんは次のように答えてくれた。

「印刷会社に勤務していた頃、僕は仕事を終えたあとに工場内で飲んでいたんです。もうガンガン飲んでました(笑)。後輩と印刷業を盛り上げるためのアイデアを出し合ったり、独立のプランを考えたり、いま振り返っても本当に楽しい時間でしたね。で、ある時『こんなに楽しいなら商売としてやっても良いんじゃないか』と思い付いて。クラフトビールの醸造所が典型的ですが、そもそもアメリカではバーを併設している工場って珍しくないんですよ。僕は27歳まで飲食業で、自分のカフェを開きたいという夢もあったんです。ただ印刷と飲食のどちらか一つでは経営が厳しいだろうとも思っていました。だったら両方やってしまえばいい、と(笑)。なんとなく飲みに来たお客さんに印刷の世界を知っていただけるんじゃないかみたいな狙いもありましたね」

実は吉祥寺在住の宍戸さん。毎日一時間かけて通勤しているそう

実は吉祥寺在住の宍戸さん。毎日一時間かけて通勤しているそう

岩手育ち、現在は吉祥寺在住だという宍戸さんが、全く縁もゆかりもない森下に出店したのは「たまたま好条件の物件が見つかったから」。初めての経営を見知らぬ土地で始めるにあたり、宍戸さんは少しでも店名が知られるように、活版印刷機で大量に製作したショップカードを、店の周辺で「配りまくった」という。すると程なくして「森下に面白い店があるらしい」とのうわさが広がり、多くの客でにぎわうように。印刷業を知ってもらうために意識した「間口の広さ」も功を奏したのだろう。今では店内で楽しそうに過ごす宍戸さんたちの姿を窓越しに見て、フラッと入ってくる一見(いちげん)さんも。今は水曜限定だというランチタイムはもちろん、立ち飲み営業の時間も料理だけを楽しみに来る人、親子連れも少なくない。

印刷職人であると同時にバーテンダーであり料理人でもある宍戸さん。実は「工場長」名義でDJとしても活躍中。店内にもドゥワップ、R&B、スカやレゲエなどのレコードを常備している

印刷職人であると同時にバーテンダーであり料理人でもある宍戸さん。実は「工場長」名義でDJとしても活躍中。店内にもドゥワップ、R&B、スカやレゲエなどのレコードを常備している

コミュニティーが出来上がったのは、好きなことを追求した結果

「唐揚げ 油淋ソースがけ」(550円)、「オムカレー」(850円)、「岩手県産ワラビの酢漬け」(400円)。いずれも人気メニュー

「唐揚げ 油淋ソースがけ」(550円)、「オムカレー」(850円)、「岩手県産ワラビの酢漬け」(400円)。いずれも人気メニュー

印刷所や立ち飲み屋としての通常営業はもちろん、店の雰囲気に引き寄せられたミュージシャンたち、近隣の商店と共同で開催する音楽やサブカルチャー系のイベントを通じて、地域を盛り上げている同店。傍から見れば、しっかりと森下の街になじんでおり、まさにコミュニティースポットそのものなのだが、宍戸さん本人は「地域を盛り上げようとか、コミュニティーを作ろうなどと考えたことは一度もない」と首を横に振る。

 「ただ自分が本当に面白いと思ったこと、欲しい物を、自分が楽しいと思うやり方で作っているだけです。元々、行きたい時に行けて、好きなように過ごせて、帰りたくなったら帰れる。そんな気楽な立ち飲み屋が好きでした。だからここもそういう場所にしたかったんですよね。本当にただそれだけ。この店から人の輪が広がっていることも実感してますし、それはすごくうれしいことなのですが、全部たまたま。最初から“そういうお店”にしようと思ってやったわけでは全然ないんです」(宍戸さん)

大きな窓から店内の様子をうかがってから入ってくるお客さんも多い

大きな窓から店内の様子をうかがってから入ってくるお客さんも多い

新しい形の印刷所として、また街のコミュニティースポットとして、注目を集めているリズムアンドベタープレス。最後に、この空間を作った宍戸さんに「作ることとはなにか」という質問を投げかけると、こんな答えが返ってきた。

「自分や他人を楽しく、気持ちよくさせるための手段ですね。ただ印刷物にしろ、立ち飲み屋にしろ『自分が作っているんだぞ』みたいな自負はないです。僕は、あくまで『場』を用意しているだけ。どう使っていただくかはお客さんの自由なんです。印刷物に関してはお客さんのイメージを形にしているわけですし、立ち飲み屋としてのリズムアンドベタープレスを面白がってくださる方がいるのも、結局はDJやお客さんが面白いことをしてくれているからなのだと思っています」

宍戸さんが作った「場」に、感覚を共有しているお客さんたちがやってきて、肩の力を抜いて楽しさや心地よさを追求する。リズムアンドベタープレスは、そんな共同作業でできている。

店の一角に置かれたイベント告知フライヤー。「知り合いが置いていったもの」とのことだが、サブカルチャーの世界で注目を集めるイベントが多い

店の一角に置かれたイベント告知フライヤー。「知り合いが置いていったもの」とのことだが、サブカルチャーの世界で注目を集めるイベントが多い

この日も、店をオープンする常連客からの注文でショップカードを印刷していた

この日も、店をオープンする常連客からの注文でショップカードを印刷していた

「自分はジャケットの印刷がズレていて、音質もイマイチなジャマイカ盤レコードや、立ち飲み屋の肩ひじ張らない料理みたいな『ちょっと抜けてるもの』にグッときてしまうんです。リズムアンドベタープレスも、多分そんな感じの場所なんだろうと思っています」(宍戸さん)

「自分はジャケットの印刷がズレていて、音質もイマイチなジャマイカ盤レコードや、立ち飲み屋の肩ひじ張らない料理みたいな『ちょっと抜けてるもの』にグッときてしまうんです。リズムアンドベタープレスも、多分そんな感じの場所なんだろうと思っています」(宍戸さん)

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店情報

■住所
〒130-0025 東京都墨田区千歳3-4-8 直井ビル1F

■営業時間
活版印刷 09:00 ~ 16:00
立ち飲み 17:00 ~ 22:00(21:30 LO)

■公式サイト
リズムアンドベタープレス | 活版印刷 | 両国・森下
https://randbpress.com/

■Instagram
https://www.instagram.com/rhythm_and_betterpress/

取材・文/吉田大
撮影/今井裕治

 

 

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