スチールにデザインのぬくもりを――イタリア家具「タンボリーノ」の世界

イタリア人の家具趣向 スチール製家具の立ち位置は
「イタリア家具」と聞いて、日本ではヴィヴィッドな色使いと前衛的なデザインを真っ先に頭に浮かべる人が多いだろう。しかし実際のイタリアは、やや事情が複雑だ。日ごろたとえ機能的な家具に囲まれていても、心の中では昔ながらの重厚な木製家具に憧れる人が少なくない。それがわかるのは、家具修復職人の多さだ。多くの街で電話帳を開けば、たちまち何軒か見つかる。
イタリア中部シエナ在住の筆者も、かつて住んでいた家の近所に住んでいたおじさんを思い出す。定年を迎えたあと、車庫の中で何やら作業を始めた。丁寧にヤスリをかけているので聞けば、「先代が使っていた古い家具を修復し始めた」という。以来よく観察してみると、イタリア家屋特有の「カンティーナ」と呼ばれる大きな物置に仕舞っておいた先祖代々の家具をこつこつ直し、使う人が少なくないことに気づいた。
そのように大切にされる木製家具と比べて、影が薄いのがスチール製家具、それも第2次大戦後の製品だ。その立ち位置は、いまひとつ定まっていない。
長靴半島の“かかと”からデザインの都・ミラノへ
ここに紹介する「オフィチーネ・タンボリーノ」はイタリアのデザイン家具ブランドである。得意としているのは、スチールを用いたファーニチャーだ。

その母体は、長靴型半島のかかと部分にあたる南部プーリア州オストゥーニにある。鍛冶(かじ)職人だった父のもとで修業を積んだヴィンチェンツォ・タンボリーノが1957年に興(おこ)した鉄工所が始まりであった。彼の会社「スカッフシステム」が作るスチール製の倉庫用整理棚は、戦後イタリアの経済成長に支えられて市場を拡大し、今日に至っている。

スカッフシステム社の営業担当取締役で、創業家出身のリーチョ・タンボリーノが2012年に立ち上げたのが「オフィチーネ・タンボリーノ」というわけである。

発足早々から、イタリアを代表するデザイン・エグジビションである「ミラノ・デザインウィーク」に果敢に出展を始めた。4年後の2016年には、著名デザイナー集団「アルキミア」の発起人で、ポスト・アバンギャルド・デザインの旗手でもあるアレッサンドロ・グエリエロのために「Oデザインコレクション」を立ち上げた。

ところで冒頭で記したように、今日イタリア人の心情としては、スチールよりも木製家具を愛する傾向にある。彼らに、スチール家具をどうアピールしてゆくのか? リーチョ・タンボリーノにたずねてみた。
「確かに、ほぼすべてのイタリア人にとって、木材は親しみある家具素材です。私たちは、そこに選択肢として、スチールがもつ卓越した特性を訴えたいと考えています。つまり木材に比べて大幅に厚さを減らすことができ、より独特なスタイルをプロダクトに与えることができます」
それでもスチール家具は、ある意味、錆(さび)との戦いである。錆は敵なのか、それとも風合いなのか? それに対して、タンボリーノは「確かに酸化によって生じる錆は、金属材料にとって歴史的な敵であることは疑いありません。しかし、 私たちの製品は最新の表面仕上げ処理により、耐用年数のほぼすべてにわたって製品を保護することができます」と胸を張る。

同時に、「ときには、錆は歓迎すべきものです」とも語る。それは、表面に保護性の錆を生成させることにより、内部への錆侵食を防ぐ鋼材であるコルテン鋼を使用しているからだ。
「それを使うことによって、プロダクトに非常に暖かい色調と、自然な効果を与えてくれます」
コルテン鋼の風合いを駆使したのが、タンボリーノのデザインによるチェスト「セッティマ」である。
スチールのもつ力を信じて 若い世代とともに
現在オフィチーネ・タンボリーノは、前述のグエリエロのような巨匠から新進デザイナーまで、十数人のクリエーター/クリエーティブ集団によるプロダクトをフィーチャーしている。
そのなかで、サーラ・モンダイーニによるテーブル「グレース」や、タンボリーノ氏自身が手掛けた「プリマ」のデザインは、見る者の多くに1950年代を想起させる。1950年代は、ブランドにとって何を意味しているのか?
「デザインにアプローチするすべての人間にとって、1950年代のイタリアンデザインは最大のインスピレーション源だと私は信じています。過去に一時代を創ったそれは、今も生き続けているのです。ジオ・ポンティ、ヴィコ・マジストレッティ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マリといった大家たちの作品は、私たちにとって偉大なる基準です。個人的には、その時代に生きてみたかったと思うほどです」とタンボリーノは語る。

ただし、いくつかのプロダクトのイメージは、1930年代のデザイナーたちにまで遡(さかのぼ)るという。
「シャルロット・ペリアン、ル・コルビュジエ、ジャン・プルーヴェ、そしてバウハウスのデザイナーたちです。彼らはスチールの解釈を試み、デザインにおいても建築においても絶対的な主人公でした。私たちのプロダクトの一部には、本質と機能性を追求した当時のミニマリズムや様式美を想起させるものがあるのです」
スチールは、かつてヨーロッパにおいて、けっして脇役的存在ではなかったのである。

ところでグエリエロのデザインによる本棚「カオス」には、以下の解説が加えられている。「曲線は直線を柔らかくし、斜線は平面で遊び、生地は鉄に温(ぬく)もりをもたらす」。この場合の「温もり」は、背板に貼られたテキスタイルの物理的な助けによっている。だが、全体を眺めても、このプロダクトからスチール家具特有の無機質性は一切感じられず、代わりに本来のスチールにあり得ない温もりが伝わってくる。そのデザインの力ともいうべきものは、他のオフィチーネ・タンボリーノのコレクションも同じである。過去作品に範をとりながらも、それを超越した部分だ。
スチールのもつ魅力を伝えるべく、リーチョ・タンボリーノは、ミラノ工科大学などと協力してサマーアカデミーを開講している。さらに2020年夏は新たな企画として「子どものための建築デザイン教室」も実現した。

若きデザイナーたちの中には、自身の作品が商品となった姿を夢見て、オフィチーネ・タンボリーノの扉をたたく若者も増えている。
「もちろん、すでに私たちのブランドはアイデンティティーを確立しているので、彼らが攻略することは容易ではないでしょう。しかし、私は彼らに常に好奇心をもって接し、彼らのプロジェクトとその発端を理解することが大好きです。創造的なプロセスはたびたび、勇気と芸術的感性から選ばれたデザイナーとの対面から始まります。やがて素材や技術的アプローチの対峙(たいじ)を重ね、徐々にプロトタイプ制作にたどり着きます。間違いなくこのプロセスが一番刺激的で、新製品が誕生する瞬間はまさに感動的です」
スチールとともに育ち、その可能性を信じるデザイン・ダイレクターは熱く語った。
最後にふたたび古い事物に対する人々の趣向を考察すれば、今日イタリア人の多くは19世紀以降の建築物をあまり高く評価しない。なぜなら、歴史的旧市街に並ぶ中世・ルネサンス時代の館に、より美しさを見いだすからである。アール・ヌーボーのイタリア版であるリバティー様式でさえ、その文化的価値に着目し始めたのは周辺諸国より後になってのことだ。
そうした独特の時間軸をもった人々にとって、スチール家具がもてはやされた1950年代は、いわば昨日のようなものなのである。オフィチーネ・タンボリーノは、その「昨日」の価値を人々に覚醒させる役割を担っている。そう筆者は確信した。
(写真:Officine Tamborrino)