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現代版「口紅から機関車まで」 ジウジアーロ・デザインの40年

カネボウ「AVA」。斜めのストライプをケースに反復。ネーミングはイタリア語の前進を意味するavantiから。1984年

イタリアで最も早く普及したジウジアーロデザインは「電話機」

イタリア北部トリノでプロダクトデザインを手掛けてきた「ジウジアーロデザイン」が、2021年で発足40年を迎える。

設立したのはイタリアを代表する工業デザイナーのひとり、ジョルジェット・ジウジアーロ(1938-)である。ジウジアーロは70年代、旧来の自動車デザイナーの殻を破り、大量生産プロセスまで提案できる、今日でいうところのデザインファーム構築に成功する。以来200モデル以上の自動車を手掛けてきた。初代「フォルクスワーゲン・ゴルフ」、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの劇中車として有名な83年「デロリアンDMC-12」などが彼の代表作である。99年には米国で「世紀のカーデザイナー」に選ばれている。

「デロリアンDMC-12」のスケッチ
ジョルジェット・ジウジアーロによる自動車デザインの一例。「デロリアンDMC-12」のスケッチ。1981年

その彼が81年に、自動車以外の輸送機器や製品をデザインするため、自動車デザイン会社「イタルデザイン」の一部門として立ち上げたのが、ジウジアーロデザインであった。

個人的述懐で恐縮だが、東京時代の筆者にとってジウジアーロデザインとの最初の出会いは、85年のブリヂストン製自転車「ブルゾン」であった。当時大学入りたてだった筆者にはやや高価で、買えないままカタログから消えてしまって悔しい思いをした。

ブリヂストンサイクル「ブルゾン
ブリヂストンサイクル「ブルゾン」。前輪フォークとハンドルを繋(つな)ぐステム部分を、よりシンプルな構造にした。1985年。 86年には日本のグッドデザイン賞を受けた

いっぽうジウジアーロデザインで、最も早く普及した作品といえば、当時のイタリア電信電話会社「SIP」のために手掛けた87年の電話機「シーリオ」であった。この電話機はイタリアの標準型電話機として、その後も長く使われた。90年代中盤、筆者が初めてイタリアで固定電話を開設した日、工事担当者が置いていったのもこのシーリオだった。そのシンプルかつ、めりはりの利いたツートーンカラーと、手に優しいエルゴノミカル(人間工学的)な形状に感激した。加えて、殺風景な部屋で、最初のオブジェ役を果たしてくれた。ブルゾン自転車が買えなかった悔しさを克服した思いだった。

標準型電話機「シーリオ」
標準型電話機「シーリオ」。「シンプルな外観と簡単な操作性」という旧イタリア電信電話会社SIPの要求に応えた。1987年

ダビンチを思わせる世界観「創造への情熱があれば、すべてが可能」

ジウジアーロデザインの歴代作品は、今日見ても新鮮なものが多い。同時に、その領域の拡大は、当時からとどまるところを知らなかった。83年にはイタリア「ヴォイエッロ」社のために、パスタをデザインしている。生産効率に加えて、ソースの絡み具合も計算されていた。

ヴォイエッロ「マリッレ」
ヴォイエッロ「マリッレ」。量産しやすさと、ソースの絡まり、さらに茹(ゆ)で上がったときの形状の維持を考慮したパスタ。1983年

ジウジアーロデザインは、日本のクライアントも積極的に開拓した。とくにニコンはセイコーとともに発足当初から関係を築いたことで、ジウジアーロ本人も思い入れのあるブランドのようだ。筆者は取材で他社製カメラを携えて行くたび、彼から「ニコンではないのか!」と、冗談で怒られてきた。84年にはカネボウの化粧品パッケージも手掛け、のちにバスケットボールのモルテンやオフィス家具のオカムラなども顧客リストに加わっていった。

ニコン「F3」
日本企業とも関係が深い。ニコンもその一例で、「F3」は最初期の仕事である。1980年
モルテン「GL7 バスケットボール」
モルテン「GL7 バスケットボール」。イタリア・バスケットボール連盟用にデザイン。表面に追加された淡色のパネルは、ボールが飛んでいる間も明確に存在感を示す。2005年

ジウジアーロデザインは、イタリアの特急車両やローカル線用車両のデザインにも参画している。「口紅から機関車まで」とは、インダストリアル・デザイナーの草分けレイモンド・ローウィ(1893-1986)を表現する有名なフレーズであるが、ジウジアーロデザインは、まさにその現代版といえよう。

そうした八面六臂(ろっぴ)の活躍からだろう、いつしかジョルジェット・ジウジアーロは、「現代のレオナルド・ダビンチ」の異名で呼ばれるようになっていた。筆者が本人に「いつかデザインしたいものは?」と聞いたとき、彼は「カッチャ・アエレロ(戦闘機)」と即答した。戦車の構想図を描いたダビンチを想起させた。別のときのインタビューでは、こうも語ってくれた。

「私にとって、デザインする対象が何であるかは関係ない。美しいリストウォッチをデザインすることは、美しいクルマを考えることと同じ喜びがある」

ゆえに人々のクルマ離れ現象には、まったく不安を感じていないという。

「もし明日、人類がクルマを必要としなくなったら、他のものを考えるようになるだろう。人間はそれぞれの時代を生きている。創造への情熱があれば、我々にはすべてが可能なのだ」

これまた、ダビンチを思わせる壮大な世界観であった。

デザイナーがエンジニアと同じ場所で働く相乗効果

ジョルジェット・ジウジアーロ本人は2015年をもって、前述の自動車デザイン会社イタルデザインをドイツのフォルクスワーゲン・グループに完全に売却した。それに伴い、傘下のジウジアーロデザインも彼のもとを離れた。

今日、ジウジアーロデザイン部門では、発足以来のメンバーであるニコラ・グエルフォがディレクターを務めている。ビジネス開発ディレクターを務めるジョルジョ・ガンベリーニは筆者に「自動車部門とアイデアを共有することで、パフォーマンスを発揮していく」と、彼らならではのシナジー効果を説明する。

オカムラ「フィノラ」の開発にあたるニコラ・グエルフォ(左)
オカムラ「フィノラ」の開発にあたるニコラ・グエルフォ(左)

同時に、かつての自動車デザインでの歩みにも言及し、「私たちは歴史上初めてデザイナーとエンジニアを同じ部屋に入れ、同じ計画に横並びで取り組んできたデザインスタジオである」と語る。「そのなかで、実現可能性、有効性、顧客志向のソリューションを常に追求し、創造性と合理性のベストミックスを生み出してきたのだ」

ファエマ「プレジデント」のデザインを検討するニコラ・グエルフォ(中央)とスタッフ
ファエマ「プレジデント」のデザインを検討するニコラ・グエルフォ(中央)とスタッフ。後方には創立者ジョルジェット・ジウジアーロが造った日本庭園が見える

いわゆるリーマン・ショック後、イタリアの自動車デザイン会社は生き残りをかけて、クルマ以外のプロダクトデザインや建築分野での可能性を過去以上に盛んに模索しはじめた。それは今日も続いている。

ジウジアーロデザインは、そうしたムーブメントの先駆者であったことがわかる。新体制となってからも領域を果敢に拡大し、著名デザイン賞「レッドドット・デザイン・アワード」もたびたび受賞している。

アルストーム「ミヌエット」
アルストーム「ミヌエット」。地域間ローカル列車の内外装をデザイン。運転席の視界確保も十分考慮した。2004年

そう解説する筆者だが、何げなく使っていた製品や乗っていたローカル列車が、実はジウジアーロデザインであったことを後日知ることが今もある。次はどの場所で彼らの作品とばったり出会えるか。そう考えると、期待に心弾むのである。

(写真:Italdesign Giugiaro)

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