「深大寺そば」の地に貴重な城! 東京・深大寺城

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は東京都調布市の深大寺(じんだいじ)城です。「深大寺そば」で有名な地に、意外にも貴重なお城があったのです。
(トップ写真は深大寺城の主郭)
将軍家光が称賛とも伝わる、深大寺そば
江戸幕府の3代将軍・徳川家光が称賛したとも伝わる、深大寺そば。江戸時代中期に出版された地誌「続江戸砂子」には、江戸の名産として記載されている。古刹(こさつ)・深大寺の門前には現在、20ほどのそば店が軒を連ね、深大寺を訪れるレジャー客が立ち寄る名所となっている。

深大寺。門前にはそば店が並ぶ
深大寺の門前がそば処となった理由のひとつは、湧水(ゆうすい)にある。この地域は、武蔵野台地の南縁が開析されてできた舌状台地の突端付近にある。台地の東側は、支谷内からの湧水で湿地になっていた。深大寺の南側にある神代(じんだい)植物公園の水生植物園も、その名残だ。

深大寺の門前
こうした立地を生かしながら築かれたのが、深大寺城だ。城の主要部は水生植物園内にあり、台地の東端を利用して築かれている。深大寺の境内は高低差があり、周囲もかなりアップダウンが多い。台地の南縁辺は急斜面になって、直下には野川が東流していた。

深大寺城のある、神代植物公園水生植物園
扇谷上杉氏が築いた秀逸な城
深大寺城は、東京都内で中世の姿を残す貴重な城だ。東京都や埼玉県などに残る発達した城は、北条氏が関東一円に勢力を拡大した後に改修した姿がほとんどだ。深大寺城は、北条氏が進出する以前の、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏が築いた城であることが文献でも考古学的調査でも判明しており、扇谷上杉氏が秀逸な城を築いていた事例として価値がある。
築城時期は定かではないが、1490年頃には扇谷上杉氏の城として存在していたらしい。江戸時代に編纂(へんさん)された「河越記」や「北条五代記」には、1537(天文6)年に河越(川越)城主の上杉朝定が北条氏綱に対抗するために深大寺城を再興したと記され、氏綱の子である北条為昌の書状にも、「川越衆(扇谷上杉氏の軍勢)が神太寺(深大寺)に押し寄せた」という記述がある。深大寺城は扇谷上杉氏の城として機能し、廃城となった後、北条氏に備えて改修し再利用したらしい。発掘調査からは13〜16世紀の遺物が出土し、軍記物の記述の年代と一致する。

深大寺城、3郭の一部
深大寺城は、河越から鎌倉街道を南下してきたとき、多摩川を渡る直前にある。多摩川を渡れば、1530(享禄3)年に上杉朝興(ともおき)が北条氏康と戦った、小沢原の古戦場推定地がある。扇谷上杉氏にとって、戦略的に重要な場所であったことは間違いなさそうだ。勢力の境目を押さえる城として、重視されたのだろう。1524(大永4)年に氏綱に奪われた江戸城を奪還するためにも、拠点となる城だった。
虎口付近に敵を食い止める工夫
現在は中心部が残るだけだが、調査からおおよその構造が判明している。西から東にのびる台地の上に、堀切で区切られた三つの曲輪(くるわ)が並んでいた。東端が主郭(第1郭)で、その西側に2郭、その西側に3郭が並ぶ。残念ながら3郭と2郭の大半は破壊されてしまったが、主郭は残っていて、取り巻く土塁などを見ることができる。
主郭はすべて土塁で囲まれ、東から南側にかけては1段下に腰郭(こしぐるわ)がめぐる。虎口(こぐち)は南側と北側にあり、南側の虎口が腰曲輪に通じている。北側の虎口は、土橋を経て2郭に通じる。

主郭西側の横堀
北側の虎口付近には、2郭からの敵を食い止めるさまざまな工夫が感じられる。とくに印象的なのが、主郭の北西隅部に設けられた張り出しだ。主郭を囲む土塁の隅が大きく2郭側に張り出し、それに伴って曲輪間の堀切も屈曲している。おそらく張り出しは櫓(やぐら)台で、2郭から主郭に迫る敵、さらには虎口の前に設けられた土橋を渡る敵に攻撃できるように設計されているのだろう。調査では数基の柱穴が検出され、建物の存在が想定できるという。2郭側にも土塁があり、2郭と主郭は明確に分断されていたようだ。
発掘調査によれば、主郭を取り巻く横堀は、掘削上面で幅約7メートル、深さ約4メートルの薬研堀(やげんぼり)だ。土塁上面との高低差は8メートルに及ぶという。2郭西面にある堀は底面が平たい箱堀で、上面の幅が約9メートル、深さは約3.5メートルだった。

主郭西側の土塁
3郭では、堀の一部が検出されている。西面の堀が南縁付近で大きく折れ曲がるようすが南西付近で断続的に見つかっていて、その一部を見ることができる。
現地を訪れると、この堀の南側は崖のようにガクンと下がっており、台地の端をうまく利用して深大寺城を築いたことがわかる。そして、その向こうには多摩川を挟み、北条方の城がある多摩丘陵がかすかに見える。多摩川の現河道(かどう)までは約3キロあり、距離としてはかなり離れてはいるものの、遮るものがなく視界が開けていることに驚く。選地の妙、地形を巧みに生かした設計の妙が味わえる。
台地を利用した断崖絶壁、曲輪を囲む土塁、敵を迎撃する虎口など、戦国時代の城の工夫やしかけが意外にも残る城だ。湧水の音が心地よく緑豊かな深大寺参詣と門前町散策のついでに、訪れてみてはいかがだろうか。

3郭に残る堀の一部
(この項おわり。次回は4月26日に掲載予定です)
#交通・問い合わせ・参考サイト
■神代植物公園
https://www.tokyo-park.or.jp/jindai/
(※新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため臨時休園中)
■深大寺城
https://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1574056404922/index_k.html(調布市)
昔よく行ったものです植木屋も多くありました、そばやの虹鱒の塩焼きが名物でした。