さびしいって最高だ。旅の記憶をつくるもの

『わたしが行ったさびしい町』
海外渡航とはどういう状態かを一言であらわすなら、「貨幣と言語が変わる」だと思う。日常を支える2本柱のお金と言葉が通じなくなるのだ。だから多くの人は添乗員つきのパック旅行をしたりガイドさんを雇ったりする。松浦寿輝先生はそれをしない。本書は今までどの作家もあまり書いてこなかった「旅する不安」に満ちている。たとえ国内の近場、地元であっても、「何か狐(きつね)につままれた思い」になれば、そこは旅の場所となる。
浮遊するような心で過ごすから「なんでこんなところでこんなことを」という思い出の浮上が、旅先ではよくある。
今から30年ほど前、結婚する前の松浦先生と奥様は韓国の江華島を訪れた。有名観光地だけど、先生は史蹟(しせき)や名所をまったく覚えていない。ただ、ソウルに戻る夕闇のバスの中で、奥様がとうとつに、自分のお父さんについて話しだした。性格とかどういう歩みをしてきたかではなく、「サクランボの食べ方」である。ちょっと奇妙だけど形容するなら「几帳面(きちょうめん)」という印象のそのエピソードを、彼女はこう締めくくった。怖い人だと思った、今ではもう慣れたけど、子どもの頃そう思ったの――。
父親が嫌いだとか苦手だとかではないのだろう。異国で夜のバスに揺られながら、おそらく今まで誰にも言わなかった小さなことを未来の夫に話す奥様は、さびしかったんだと思う。先生の胸にも伝わり、広がった。だから江華島は「さびしい町」として記憶されているのである。
一方、2018年のミャンマーのニャウンシュエ。ひと気のない夜道を歩きながら、松浦先生が、ほら、いつだか加計呂麻(かけろま)でさ……とつぶやくと、奥様が、ああ、と即答した。私はこのシーンが好きだ。
かつて加計呂麻島での夜、心もとなくなった先生は、宮沢賢治の童話にのせて、自分の気持ちを懸命に語られた。奥様は「私が盛り上げてあげなきゃ」とか「寄り添わなきゃ」ではなく、自らも同じところにひたった。1話目の「ナイアガラ・フォールズ」で書かれている「さびしさはわたしの記憶の深いところに沈み込み、そこでしんとした冷たい輝きを放っている」という思いは、傍らを歩くひとも同じなのだろう。だからミャンマーで20年くらい前の奄美の島でのことを言われて、すぐに通じた――。
今はインターネットがあり、過去訪ねた村も、今後出かけたい都市も、いくらだって調べることができる。でも「旅した場所とつながっている」って、愛する人の中で自分の旅が生きている、続いているって思える時なんじゃないか。
コロナ禍で「行けないさびしさ」が続く中、本書で「行ったさびしさ」を味わおう。帯に選ばれた「最高の旅とは、さびしい旅にほかなるまい」という文章がすごく沁(し)みる。

まむろ・みちこ
代官山 蔦屋書店 文学コンシェルジュ
テレビやラジオ、雑誌でおススメ本を多数紹介し、年間700冊以上読むという「本読みのプロ」。お店では、手書きPOPが並ぶ「間室コーナー」が人気を呼ぶ。