&Travel

城旅へようこそ
連載をフォローする

憩いの公園で見つける戦国の片鱗 東京・片倉城

片倉城跡公園内にある住吉神社

曲輪は戦闘的 小粒でもピリリと辛い設計

曲輪は正方形ではなく、張り出しや土塁を駆使した戦闘的なつくりだ。たとえば主郭の西側には2の曲輪に向けた櫓(やぐら)台のような張り出しがあり、堀切も張り出しに伴って屈曲している。2の曲輪も、土塁の北端や西側を張り立たせて櫓台にしている。いずれも、敵に対して横矢が掛かるよう工夫が感じられる。また、現況からは確認できないが、斜面には竪堀が数か所あり、主郭の北麓には土塁や横堀があった可能性があるという。

2の曲輪、南側の高まり。写真奥が主郭
2の曲輪、南側の高まり。写真奥が主郭

とくに防御性の高さが感じられるのが、2の曲輪南側の虎口(こぐち)付近だ。両側に横矢が掛かるように張り出しを置き、さらに虎口に通じる土橋の外側に馬出(うまだし)のようなスペースが配置されている。

はっきりとわからないが、2の曲輪南西側にある、櫓台のような突出部も印象的だ。台地続きとなっている城の西側から2の曲輪の虎口に通じるルートにあるため、虎口に近く敵に集中砲火するために前線基地として置かれたものだろう。このように、片倉城は小規模ではあるものの、主要な場所にしかるべき工夫を凝らして、防御力を高めている印象がある。「小粒でもピリリと辛い」設計といえそうだ。

2の曲輪、南側の虎口前
2の曲輪、南側の虎口前

一度廃城になった後、改変して再利用か

江戸時代に編纂(へんさん)された「新編武蔵風土記稿」には、片倉城が応永の頃(14世紀末〜15世紀前半)の城と記されているが、現在残されている城の技巧的な設計はこの時期のものとは考えにくい。深大寺城と同じように、一度廃城となった後、別の軍事的緊張下に置かれたのを機に、改変して再利用されたようだ。

扇谷上杉方の城だった片倉城は、城主・長井氏の没落を経て、1510(永正7)年、関東管領の上杉顕定(あきさだ)が敗死した後に廃城になったと考えられている。その後、大石氏の支配下となり滝山城(東京都八王子市)の出城として改修されたようだ。滝山城で紹介したように、馬出を置いたり、横矢掛かりを意識している点は、北条氏の城を連想させる。

散歩をする人や子供たちが絶えない市民憩いの公園にも、戦国時代の様相が色濃く残る。東京都内にもそんな城があることを教えてくれる、貴重な城跡だ。

散策の遊歩道が整備されていて歩きやすい
散策の遊歩道が整備されていて歩きやすい

(この項おわり。次回は5月10日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■片倉城
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/shisetsu/109/p011931.html(八王子市)

REACTION

LIKE
COMMENT
0
連載をフォローする

SHARE

  • LINEでシェア

FOR YOU あなたにおすすめの記事

RECOMMEND おすすめの記事

&MEMBER限定の機能です

&MEMBERにご登録(無料)いただくと、気に入った記事に共感を示したり、コメントを書いたり、ブックマークしたりできます。こうしたアクションをする度にポイント「&MILE」がたまり、限定イベントやプレゼントの当選確率が上がります。

&MEMBERログイン

ID(メールアドレス)
パスワード

パスワードを忘れた方はこちら

&MEMBER登録はこちら

&MILEの加算アクション

  • &MEMBER新規登録:100マイル

    *今後、以下のアクションも追加していきます

  • 朝日新聞デジタル有料会員の継続:100マイル
  • ログインしてサイト訪問:10マイル
  • 記事に「LIKE」を押す:10マイル
  • コメントの投稿:30マイル
  • 自分のコメントに「LIKE」がつく:10マイル
  • アンケート回答:30マイル
  • 「朝日新聞SHOP」での購入:50マイル
  • イベント申し込み:50マイル

&MILEの獲得数に応じてステージがあがり、ステージがあがるごとに
&MEMBER限定のイベントやプレゼントの当選確率が上がります。詳細はこちら