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スリランカ 光の島の原石たち
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象と歩いて知る、命のいとおしさ

写真家・石野明子さんが光の島・スリランカで見つけた宝石のようにきらめく物語を、美しい写真と文章でつづる連載です。第10回は、人も象も幸せになれる社会を追い求める、“唯一の施設”の取り組みをご紹介します。

私が2007年に初めてスリランカを訪れた時、やってみたいことリストの一つに「エレファントライド・象に乗って散歩」があった。ガイドブックには象に乗り、笑顔はじけるツーリストの写真が載っていた。

果たしてその希望は叶(かな)えることができた。ワクワクしながらいざ象の背中に乗せてもらって見えたもの、それはたくさんの傷だった。なんの傷なのか、答えはすぐにわかった。象を操るためにつけられた傷なのだ。象が散歩道の途中にある草を食べようとすると、象使いが木の棒にかぎ針のついた手鉤(てかぎ)で、象の動きを制した。血がにじんでいる古くない傷もあった。

なんだか気分が沈んでいった。散歩を終えておろしてもらった後、象使いに聞いた。「象の傷は大丈夫なのか」。すると象使いは「象は皮膚が厚いし、痛くない。大丈夫だ」と言った。彼にチップを渡すと一瞬の笑顔ののち、さっとポケットにしまった。

「乗る」のではなく

時が過ぎ、旅行会社に勤める知人が面白いアクティビティーがあると教えてくれた。その名は「エレファント・フリーダム・プロジェクト」。象に乗るのではなく、象使いと一緒に象の世話をし、間近で触れ合いながら時間を過ごせる施設だ。使役や観光資源のために象の習性とそぐわない、ともすれば手荒に扱う風潮が、悲しいがスリランカにはある。そんな状況を変えたいと、アナンダ・ディッサナヤケさんとマリさんご夫婦が2013年に立ち上げたのがこのプロジェクトだ。

象と歩いて知る、命のいとおしさ

施設はコロンボから車で2時間半ほどのランブッカナ(Rambukkana)という内陸部にある。小さな町で幹線道路から一本入れば緑が豊かなのんびりした地域だ。施設の塀には、オランダ語やドイツ語、英語でのメッセージと愛らしい象のイラストが描かれていて、様々な場所からツーリストが訪れていることがわかる。

「ようこそ! よくきてくれました」と、アナンダさんご夫婦とガイドのカスンさんが笑顔で迎えてくれた。「ここは象に手鉤も鎖も使わず、象と触れ合えるスリランカで唯一の場所。ありのままの象の姿を知ってもらい、それが観光になれば最高だと思いました」とアナンダさんが施設の説明をしてくれる。

「象は体が大きいから丈夫だろうと思われがちですが、実は背骨は弱いのです。人間やカゴを載せることには向いていません。エレファントライドは確かに魅力的かもしれません。でもそれは象に無理をさせて成り立っています」。アナンダさんに、かつて私が象使いに聞いた言葉「象は痛みを感じない」についても問いかけてみた。「痛みを感じないなんてとんでもない! それに小さな傷だって、細菌が入り込めば命を失うことだってありますよ」

象と歩いて知る、命のいとおしさ

“唯一の場所”だけに、道のりは困難だった。現在のスリランカでは法改正もあり、保護動物である象を新たに所有することは難しく、アナンダさんたちは数少ない象の所有者を探し、象を借りる必要があった。そうすることでしか使役される象を保護することができないのだ。

「誰もが私たちのアイデアに正気じゃない、と言いましたけどね」とアナンダさん。実際、それまで聞いたこともないアイデアに理解を示してくれる所有者は、簡単には見つからなかった。見つかったこともかつてあったが、プロジェクトが軌道に乗った頃、さらに高値でエレファントライドに貸し出したいからと、所有者にレンタルを打ち切られたこともあった。そんな困難ののち、出会えた象がプリンセスという意味の名を持つクマリだ。

クマリの後ろ足には消えない傷がある。鎖でずっとつながれていた傷だ。クマリもかつては“観光資源”として過酷な環境にいた。でも今は鎖でつながれることも、手鉤で突かれることもない。クマリと共にここに移ってきた象使いのカルさんは、掛け声のみでクマリとコミュニケーションをとる。「最初にこのプロジェクトのアイデアを聞いた時は、そんなことできるはずがないと思いました。鎖や手鉤を使わなければ命の危険すらある、と」とカルさんが話す。体が大きく力が強い象を制するためには痛みを覚えさせる必要がある。それが常識だった。

象と歩いて知る、命のいとおしさ

アナンダさんは、象がストレスのかかる環境下にある場合、痛みでのコントロールが必要になる、ストレスがなければその必要はない、とカルさんに何度も説明した。「象の習性についてもう一度学び直し、常に象の立場で考えようと伝えました。そして結果を急がず時間をかけよう、とも。だって私たちはスリランカで前代未聞のことをしようとしているのですから」

「私と同じだ!」

5歳になった娘とこのプロジェクトに参加した。象使いのカルさんの「ダヘ!(進め)」という声が聞こえてきて、細い道をクマリの方から会いにきてくれた。アジア象は小さめだというけれど、それでも私たちからしたらやっぱり大きい。娘ともども思わず腰が引けてしまった。ふさふさしたまつ毛の下にある瞳でこちらをじっと見ている。「今あなたたちを認識しています。一度覚えたら象は忘れませんよ」と、ガイドのカスンさんが教えてくれた。

象と歩いて知る、命のいとおしさ

クマリと共にスリランカの森を歩く。「象は1日にどれくらいごはんを食べると思う?」「象の体温は何度かな?」。ガイドのカスンさんは、象について楽しく学べるよういろいろな話をしてくれる。時にはクイズで、時には象に実際に触れながら。

象はその体を保つために1日平均200~300kgほどの食事をとらなければいけない。単純計算で1時間に10kg以上だ。エレファントライドに従事する象は必要な時に食事をとることもできない。客待ちのために鎖につながれて同じ場所にずっといる。もちろんその場にエサは用意されるが、象の生理的な行動とは異なる。日差しが強いスリランカで、お客がくれば照りつける太陽の下、柔らかく敏感な蹄(ひづめ)を持つ彼らが熱を持ったアスファルトを歩き続ける。

今、クマリは木漏れ日が落ちる土の上を歩いている。そして草木を食べては娘の手からバナナを頬張る。子供から食べ物を受け取る時、クマリは驚かせないようにゆっくり鼻を動かす。「草のあとのバナナは、私たちがパンにジャムを塗るのと同じ。クマリはグルメなんですよ」とカスンさんが教えてくれた。「私と同じだ!」と娘。娘はクマリのおなかをなでさせてもらう。「柔らかくてあったかい」と何度もなでていた。最初はおびえていた娘だが(私も)、最後は水辺でカルさんと一緒にクマリの体をココナツの殻でゴシゴシと洗うまでになった。

象と歩いて知る、命のいとおしさ

コロナ禍でツーリストが訪れることができない今、観光立国のスリランカは深刻な打撃を受けている。だがかつてこの施設を訪れた人たちから「クマリは元気?」「何かの役に立てて」と寄付が送られてくるそうだ。なんとかそれでこの困難をしのいでいる。

私たちもクマリと半日過ごし、クマリが子供にとても優しいこと、甘い食べ物に目がないこと、水浴びの時にはもっと水に浸かっていたいとカルさんの言葉を聞こえないフリするいたずらっ子の面があることを知った。とても愛らしい大きなプリンセス。

「人間の都合に合わせて彼らを動かしたくありません。だからこそ見えてくる象の魅力があるでしょう?」。アナンダさんの言葉が心に染みる。

きっと今日もクマリは大きな体を揺らして、カルさんとゆったり歩いている。

フォトギャラリーへ(写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます)

エレファント・フリーダム・プロジェクト
参加は半日で大人約3,700円(ランチ付き)、子供は半額
また1日約5,900円(ランチ付き)や象の世話をしながら1週間などの宿泊も可能
公式サイト

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