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心に残る旅
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中野京子さんのスペイン 「カルメン」の見方を変えた闘牛

いつもと違う場所で風に吹かれた経験は、折に触れて思い出すもの。そんな旅の思い出を各界で活躍するみなさんにうかがう連続インタビュー「心に残る旅」。第17回は、絵画を解説したベストセラー「怖い絵」シリーズの著者で、ドイツ文学者の中野京子さんです。(聞き手:&編集部・福宮智代、写真・馬場磨貴)

真っ青な空と黒い牛の美しさ

――心に残っている旅先を教えてください。

大学生のときに行った、スペインが強烈に印象に残っていますね。夏休みを利用して、ドイツにいた親戚を訪ねて、それからフランス、スペインとまわりました。

友達とマドリードで闘牛を見に行ったんです。牛が真っ黒で、造形が美しくて。真っ青な空と、赤い柵。闘牛場の黄色い砂。観客の服も色とりどりで。そこに真っ黒い牛が登場するときの、どどどどど、という地鳴りと観客の歓声。いまでも鮮明に覚えています。

それが滞在の目的というのではなくて、少し時間があるからいってみる?と友達に言われていったくらいでした。それが、びっくりしましたね。牛といえば白と黒の乳牛のイメージだったので、牛のイメージが激変した。それに訪れた日はすばらしい闘牛士だったみたいなんです。翌日ホテルで配られた新聞には、1面にその闘牛士が載ってました。闘牛士は、スポーツ選手とポップスターを合わせたくらい人気者だった。

――ドイツではなくて、スペインなのですね。

それまでに、ドイツの小説は読んでいろいろ知識があったけど、スペインはあまり知らなかった。若いときの旅だし、その分衝撃が大きかったのかもしれません。言葉が全然通じなかったこととか、道中アメリカからの女性観光客2人組と出会ったこととか、このときのスペインでは新しい経験がいろいろありましたから。

中野京子さんのスペイン 「カルメン」の見方を変えた闘牛

――その経験は、ご自身にどのような影響を?

ビゼーの「カルメン」というオペラでは、闘牛のシーンはないのですが、闘牛士のエスカミーリョが、牛を一頭仕留めて、喜ぶファンと酒場にやってくるシーンがあります。バリトンの声で華やかに歌う珍しいシーンです。エスカミーリョは高揚して、こうやって闘ったんだ、と歌う場面。エスカミーリョはこのあとカルメンという女性に会うんです。

私は、そのスペインの旅に行く前にも、すでに「カルメン」は見ていたんです。でも本物の闘牛を見てから、そのシーンの見方が変わりました。怖いですよ。500キロもあるまっ黒な、角のある牛が頭を低くして目の前に迫ってくるのを、ひらりとかわす。そういうすごい高ぶった心が背景にあって、このシーンがつくられているんだな、と納得したんです。

現場をちょっと知ると、闘牛場でたたかってきて、そりゃ語りたくもなるし、恋もしやすくなるだろうな、と思いました。それまでかっこうつけて歌っているだけの場面に見えていたけれど、うまいオペラ歌手がここで気持ちをどう乗せて歌うか、より楽しめるようになりました。

感じられないから意味を知る

――中野さんといえば「怖い絵」シリーズ。綿密に調べられた背景に驚かされます。

中学の頃の美術の授業では、「絵を見て感じましょう」と習いました。でも、そういわれても、感じられないでしょう。意味がわかったほうが面白いんじゃないかと思って、本を書きました。感じられる人はいるかもしれないけど、感じられない人は知ることで面白いと思ってくれたらなあ、と。

例えば、ドガの踊り子の絵には、舞台の背景装置の陰から踊り子を見る男性が描かれています。なんでここにこの人が?と目がいくところから調べると、バレリーナとパトロンの関係など、いろいろな社会背景がわかってくる。もちろん、その絵のすばらしさは変わらないです。

キリスト教の「受胎告知」の絵では、描かれるべきものやその色は決まっている。でも、そういうしばりがあるなかで画家の個性でプラスアルファを加え、傑作がたくさん生まれている。こういうことを知ると、違って見えます。

――「怖い」という言葉に込めたものはありますか。

単純に怖い背景を含んだ絵が入っているというのはあります。それに加えて、知る、ということは怖いことですよね。これまで知らないできたことが怖くなるという意味も含まれます。

人間は、怖い、ということを知ったからリスクを避けて生き延びてきた。そういう意味で不安や気持ち悪い、といったさまざまな度合いのものを包括した「怖い」という感覚は、みな持っているのではないでしょうか。

中野京子さんのスペイン 「カルメン」の見方を変えた闘牛

――どう作品を分析されるのですか?

映画では、「なんでそんなせりふがあるのか」とか、絵なら「ここになんでこんなのがあるのかな」、というひっかかりからですね。小説に伏線があるように、絵やせりふでも大抵意味があっておいてある。

そうやって映画やオペラみたときに、ちょっと日本と違うなという感じで記憶に残っていたことが、別のときに本を読んで知ったこととつながって、そうだったのか、と理解につながることもあります。

――今回は本とコラボしたCD「怖いクラシック」のブックレットで、クラシック音楽と絵画を結びつけて解説されています。
なるべく有名な音楽を選びました。音楽が好きな人が絵を見たり、絵が好きな人が音楽を聴いたりするきっかけになればいいかな、と思っています。ビゼーの「カルメン」の「闘牛士の歌」には、ゴヤの「闘牛技」という版画を合わせて紹介しています。

中野京子さんのスペイン 「カルメン」の見方を変えた闘牛

バーチャルとの決定的な違いはにおい

――たくさんの芸術作品について、時代や文化、宗教などの視点で分析していらっしゃいますが、関係する場所へ行くことの意味は?

ネットでも情報は見られるけれど、決定的に違うのはにおい。風のにおいとか。闘牛もネットでも見られるけれど、あのどよめきとか、観客の食べていた食事のにおいとかは感じられない。行くことで決定的に違った感覚を持つことはあると思う。

私が闘牛を見て感じたことと同じで、知っていたつもりだったのが、リアルだとこんなすごいのか、と思うことがある。バーチャルでもできるかもしれないけど、リアルのほうがおもしろいですよ。絵画も、ゴッホの筆遣い、ぬりたくりぶりは、リアルに見たほうがわかる。私は旅先でも1~2日かけて美術館をまわります。

――今度、行きたい旅先はどこですか?

スペインが好きなので、またあの乾燥した風を感じたいですね。

中野京子(なかの・きょうこ)
北海道生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。ドイツ文学者、西洋文化史家、翻訳家。オペラ、美術などに造詣が深く、新聞や雑誌に連載を持つ。歴史的背景から絵画を読み解く面白さを提唱し、著書「怖い絵」シリーズは大ベスト・セラーに。また2017年開催の「怖い絵」展を監修。全国で68万人を動員して「社会現象」となる。「名画で読み解く 王家12の物語」「美貌のひと」「異形のものたち」「残酷な王と悲しみの王妃」「名画の謎」「運命の絵」など多数のシリーズ作を出版し、その独特な角度から捉える芸術解説に多くのファンを持つ。公式ブログは「花つむひとの部屋」https://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006

INFORMATION

中野京子さんのスペイン 「カルメン」の見方を変えた闘牛

怖いクラシック

中野京子さんが監修を務めるコンピレーション・アルバム。クラシック音楽の裏に隠された「怖さ」を紐解きます。楽曲と関連のある、もしくは、怖さの共通点がある絵画を中野さん自らがセレクトし、計13曲の収録曲それぞれに合わせて13枚の絵画をブックレット内で紹介。文庫「怖い絵」シリーズの出版元である角川文庫とのコラボレーション作です。特設サイトはこちら
https://www.universal-music.co.jp/classics/kowai-classic/

中野京子さんのスペイン 「カルメン」の見方を変えた闘牛

大人のための「怖いクラシック」オペラ篇

オペラ『チェネレントラ(シンデレラ)』や『椿姫』などに関する、「怖い絵」シリーズの著者ならではの裏話が満載。 『ホフマン物語』『カルメン』『蝶々夫人』など、誰もが耳にしたことのある名曲オペラの楽しみ方や、原作の裏に秘められ物語や制作秘話を、マネの『ナナ』やドラクロワの『空飛ぶメフィストフェレス』、サージェントの『海岸』など名画とともに解説。
『大人のための「怖いクラシック」オペラ篇』(角川文庫)

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