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東京の台所2
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〈230〉実家のスーパー勤務を経て22歳で上京。母と娘の旅路

〈住人プロフィール〉
会社員・36歳(女性)
賃貸戸建て・2LDK・京王井の頭線 富士見ヶ丘駅
入居2年・築年数35年
夫(35歳・カメラマン)と長女(1歳)との3人暮らし

    ◇

 従業員60人を抱える実家のスーパーは、北海道のその街では知られた存在だった。彼女は高校卒業から4年間、家業を手伝った。

 「当時は嫌でしょうがなかったですね。どこへ行っても名前をいうだけでわかってしまう。いちばんこたえたのは夏休みです。都会に出た同級生が帰省して、あか抜けた格好でうちの店に買い物に来る。私は地味な格好でレジを打って。若者が少ない小さな町だったので、札幌か東京に出たいとずっと思っていました」

 3歳上の姉は高校から寮生活で別れて暮らし、大学卒業後は東京で過ごした。妹の彼女はなぜ故郷に残ったのだろう。

 「中高時代はやさぐれて人に流されやすい性格だったので、両親から、あなたみたいな子は都会に出てもフラフラ流されて幸せになれない。こっちにいるほうが幸せだよと言われ続けて。高校卒業後の就職先は実家と初めから決まっていて、嫌なのに説得することもできない、やりたいこともわからない、そんな自分の芯のなさに何もかもあきらめてしまっていました」

 自分はどう生きるべきか、姉や家族との葛藤と長い逡巡(しゅんじゅん)の日々があったらしい。

 「実家で働き始めてすぐ、やっぱりお金を貯(た)めて上京しようと。4年間資金を貯め、東京の友達の家に転がり込もうと、こっそり荷物を送っていたときに、空っぽのクローゼットを見た母が察してしまったのです」
 腹をくくり、東京で働きながら自分の道を見つけたいと正直に伝えた。今しかない、と。
 東京で働いてある程度納得したら、実家に帰り再び両親を支えなければという気持ちもどこかにあったが、口にはしなかった。とにかく今は実家を出たい。その一心だった。
 泣きながら気持ちを吐露する彼女の話をじっと聞いていた母は、静かに言った。
 「住所と連絡先を教えなさい。お友だちの家にお世話になるなら、ご両親にもごあいさつしないと。そして、行くなら家族に見送られて堂々と行きなさい」

 叱るどころか、「大学に行かせてあげてないから」と、両親は最後に上京の支度金までもたせてくれた。彼女は述懐する。

 「黙って出ていくしかない、どうせわかってくれない、実家に縛られているから自由に生きられないと思いこんでいましたが、自分の何者にもなれないという不安や怖さから、両親から離れることができなかった。自分で自分を縛っていたのだと気づきました」

 かくして22歳で上京。アパレル業界に飛び込み、VMDという内装やディスプレーを担う仕事に就き、こつこつと経験を積んでいく。
 実家はその4年後、東京から家業を継ぐために帰郷した姉が驚くような方法で、売り上げを回復させる。

 34歳で結婚した彼女の台所は、その姉と、料理好きな母の影響があちこちに色濃く反映されていた――。

〈230〉実家のスーパー勤務を経て22歳で上京。母と娘の旅路

珍しい調味料が次々と……

 吊(つ)り戸棚には、油や酢、ポン酢、たれなど調味料のボトルがズラリ。国産有機栽培米で作った福井の純米酢、愛知の三河みりん、和歌山のさんばい酢。どれも全国各地で丁寧に作られたこだわりの食品ばかりである。

 作り付けの収納棚には、千葉の海藻専門店で製造されている長ひじきや丹波篠山の有機農場で作られているハバネロ入りの胡麻辣醤(ゴマラージャン)など珍しい食材やスパイスが。

 ほとんどすべて、実家のスーパーをきりもりする姉夫婦に教えてもらったり、父から送られてきたりしたものだ。父はいつも、あれはあるかこれはいるかと電話をよこす。
 姉は、創業90年余でありながら、安売りや業務用スーパーに押され厳しい経営を強いられていた父に、食材や調味料の質にこだわるよう提案。できるだけ昔ながらの製法や原材料にこだわった全国各地の逸品を取り寄せて並べる、個性的なスーパーに方向転換をさせた。

 「姉は帰郷した際に、店だけでなく、街全体が活気を失っていたことにショックを受けていました。かつてにぎやかだった商店街は人もまばらで活気がない。外食するにも店もない。安さよりも、食のおいしさや楽しさを地域に届けて元気にしたいという気持ちから発案したようです」

 両親は賛同、とりわけ母は高齢者の客のことを考え、総菜にも力を入れようとアイデアを出す。
 「うちの店はお年寄りが多く、昔から毎日来てくださるおばあちゃんもいるから、年金の日はすごく混むんです。母は“最近見ないけどあの人元気?”“あの方が病気で寝込んでいる”というような店頭での会話を気にしていました。お年寄りの健康を守りたい。でもひとりでは多品目作れない。だから少量パックの総菜を充実させたり、総菜の調味料や揚げ物の油までこだわって作るようになりました」

 姉の仕入れた旬の食材を使った母の総菜の味は人気を呼び、いまや行列ができるほどに。

 「母は本当に料理上手で研究熱心。この間も、姉が九州のこだわりのさつまいもを仕入れたら、さっそく“土佐の芋天”を作ってお客さんから喜ばれていました。高知のレシピだそうです」

 28歳。ひとり暮らしの彼女の家に泊まりに来た母は、ご飯を作りながら不意につぶやいた。
 「東京が楽しいみたいね。思ったように頑張ってみなさい。うちのことはもういいよ」
 家業を気にしなくていいという意味だ。
 「ああ、もう帰らなくていいんだと初めて楽になりました」

 手元に、1冊のノートがある。しょうゆや油じみだらけの手書きのそれは、「いつか家を出ると決めていたので、ひとりでも母の料理を再現できるようずっと横で書き留めていた」というレシピノートだ。

 反発しながらも母の味が、昔も今もずっと彼女の食を支えている。
 勉強ができて聞き分けのよい姉について、かつては「母親がふたりいるようでうっとうしい」と思っていた。今は、夫婦で4代目を継ぎ、店の発展のために尽力している姿には尊敬と感謝しかない。せめてモニターとして役に立ちたいと、新しい食品の率直な感想を姉に伝えている。

 仕事の場面でも、意外な気付きがあった。
 「スーパーでいやいやお菓子の陳列をしていた経験は、洋服や雑貨、コスメなどディスプレーやレイアウトを企画するVMDという職種に生かされています。あれも必要な時間だったんですよね」

 近くにいると見えなくて、離れるとわかる。
 家族は不思議だ。

〈230〉実家のスーパー勤務を経て22歳で上京。母と娘の旅路

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