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「安芸の小京都」竹原の町並みと、村上海賊の鎮海山城

国の重要伝統的建造物群保存地区「たけはら町並み保存地区」。右は松阪家住宅

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は広島県竹原市の鎮海山城(ちんかいさんじょう)です。村上海賊の拠点となった城で、風情ある「たけはら町並み保存地区」も近くにあります。

【動画】竹原の町並みと鎮海山城

小早川氏の支配後 江戸時代に製塩で繁栄

広島県竹原市。広島県沿岸部のほぼ中央、瀬戸内海に面した静かな町に風情ある町並みが残る。江戸時代から明治時代にかけてつくられた町家群だ。「たけはら町並み保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

竹原の歴史は縄文時代にさかのぼることができ、平安時代には京都・下鴨神社の荘園となった。鎌倉時代になると土肥遠平(どひ・とおひら)が沼田荘(ぬたのしょう)の地頭となり、承久の乱の後に土肥茂平が都宇(つう)・竹原荘(たけはらのしょう)の新補地頭に。1258(正嘉2)年に茂平の四男・政景が竹原を与えられて沼田小早川家から竹原小早川家が分家。以後は竹原小早川氏の支配下となった。

1544(天文13)年、継嗣がなかった竹原小早川氏の家督を継いだのが、毛利元就の三男・隆景だ。1550年(天文19)年に隆景が沼田小早川家を継いだことで、分家の竹原小早川家が本家と合体。小早川家は名実ともに毛利家勢力の一翼を担った。

風情ある「たけはら町並み保存地区」
風情ある「たけはら町並み保存地区」

竹原の町並みが形成されたのは、江戸時代以降だ。関ケ原の戦い後に毛利輝元は広島城(広島市)を去り、福島正則が広島藩主となったが、1619(元和5)年に改易。浅野長晟(ながあきら)が入封すると以後は浅野家が広島藩主を務め、竹原もその支配下となった。

正保~寛文年間(1644〜73)にかけて、広島藩は新田開発政策の一環として竹原湾を干拓した。ところが、塩分が濃すぎて作物が育たなかった。そこで赤穂の商人から助言を受けて導入したのが、潮の満ち引きを利用した「入浜式塩田」だった。その結果、この地は全国有数の製塩地として繁栄した。

当時、製塩技術は藩の機密だったという。それにもかかわらず赤穂の技術が伝えられたのは、広島藩と赤穂藩とのつながりによるらしい。当時の広島藩主・浅野光晟と初代赤穂藩主の浅野長直は、いとこにあたる。

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