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「安芸の小京都」竹原の町並みと、村上海賊の鎮海山城

国の重要伝統的建造物群保存地区「たけはら町並み保存地区」。右は松阪家住宅

経済力背景に造り上げた「安芸の小京都」

瀬戸内海に面したこの地では、中世末期には港湾都市が形成されていたようだ。江戸時代に塩の産地となったことで、さらに発展。また、1671〜72(寛文11〜12)年に東回り・西回り航路が開発されると寄港地としてにぎわい、塩の積出港として廻船(かいせん)や問屋が栄えた。京都や大阪の商人と交流が活発になり、その経済力でやがて竹原のメインストリートである本町通りに沿って「安芸の小京都」と呼ばれる美しい町並みが形成された。

たけはら町並み保存地区には、海鼠(なまこ)壁の土蔵も
たけはら町並み保存地区には、海鼠(なまこ)壁の土蔵も

町並みの特徴は、街路に対して平入りと妻入りの町家が混在していることだ。通常、城下町の町家は間口が狭く奥行きのある妻入りの家屋が並ぶことが多い。いわゆる「ウナギの寝床」だ。規則性のない竹原の町家群には、景観に変化が感じられる。

よく見ると、町家の意匠が一軒ごとに異なっているのも特徴だ。細い格子もあれば太い格子もあり、縦格子の中に横格子があるもの、着脱できる格子、模様付きの横格子など、格子がバリエーション豊か。デザイン性が高いこれらの格子は「竹原格子」と呼ばれ、家ごとに趣向が凝らされている。切り絵のような羽目板、目の細かい虫籠(むしこ)窓、太い格子のついた武者窓など、バラエティ豊かな装飾を眺めるだけで楽しい。塩田経営者は「浜旦那」と呼ばれ、競うように豪華な家屋を建てたという。

3棟並んだ黒い漆喰(しっくい)塗りの竹鶴酒蔵は、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝の生家。かつては製塩業も営んでいたという。その斜め向かいの松阪家住宅は、華やかな建築意匠が目を引く豪商の家屋。とくに、波を打つような独特のてり・むくりを持つ屋根は風格があり、2階部分の塗籠(ぬりごめ)の菱格子の出窓、1階の装飾性の高い出格子も印象的だ。松阪家は「沢田屋」の屋号で薪(まき)や石炭の問屋業を中心に、塩田、廻船、醸造など多角的な経営をしていたという。

現在も営業している竹鶴酒造
現在も営業している竹鶴酒造
松阪家住宅。江戸末期に建てられ、明治時代に改造された
松阪家住宅。江戸末期に建てられ、明治時代に改造された

地域のシンボル 西方寺と普明閣

いくつもの寺が一体化して町を構成している点も興味深い。シンボルとなっているのが、町並み保存地区ほぼ中央の高台にある西方寺と普明閣だ。長い石段の上に、城のような壮大な石垣で囲まれた西方寺がある。急斜面に建てられた懸造(かけづくり)の普明閣は、京都の清水寺を模して建立したとか。竹原の町並みを一望できる眺望のよさ、町のどこからでも望める象徴的な建物であるところに、地域の中心としての存在感がうかがえる。1800 年頃の竹原の町並みを描いた「紙本著色竹原絵屏風(しほんちゃくしょくたけはらえびょうぶ)」にも、まるで城下町を見下ろす城のように象徴的に描かれている。

西方寺へは石段を上がる
西方寺へは石段を上がる
町並みを見下ろせる普明閣
町並みを見下ろせる普明閣

瀬戸内を見渡す鎮海山城

町並みを囲む美しい山のひとつには、戦国時代の城も残る。瀬戸内海を掌握し勢力を誇った村上海賊の城、鎮海山城だ。

1555(弘治元)年の厳島の戦いの結果、毛利元就が中国地方一円を支配すると、小早川隆景の家臣・乃美宗勝(のみ・むねかつ)が村上海賊を味方に引き入れた。

村上海賊は、因島(いんのしま)村上家、能島(のしま)村上家、来島(くるしま)村上家の3家に分かれる。このうち能島村上家の村上武吉・元吉父子は、織田家と毛利家が対立する中、毛利方として来島城(愛媛県今治市)を占領。本能寺の変の後には羽柴秀吉と毛利氏の和睦が成立するも、秀吉からの来島返還要求を拒否し、四国攻めの参陣要請に従わなかったことから、1585(天正13)年に能島城(愛媛県今治市)を追われて竹原に移り、鎮海山城を築き拠点とした。

鎮海山城。標高88.1メートルの山に築かれている
鎮海山城。標高88.1メートルの山に築かれている

その後、筑前の名島(福岡市)、豊前の簑島(福岡県行橋市)、長門の大津郡(山口県長門市)を転々とし、秀吉が1598(慶長3)年に没すると再び鎮海山城へ戻ったとされている。1600(慶長5)年の関ケ原の戦いでは、元吉は前哨戦(ぜんしょうせん)として松前城(愛媛県松前町)を攻めるも、討ち死に。鎮海山の山腹に墓が建てられている。

ふもとにある村上元吉の墓
ふもとにある村上元吉の墓

城は、標高88.1メートルの山頂に本丸を置く。南西側の瀬戸内海に突き出すように約10段ほどの曲輪が北西に並ぶというが、現状はかなり崩れているようだ。本丸からは見える瀬戸内海は少し離れているように思えるが、鎮海山城が機能していた中世末期にはまだ新田開発による干拓が行われておらず、瀬戸内海の海岸線は城山の麓(ふもと)まで迫っていたと考えられる。戦国最強の水軍とうたわれる村上海賊の城らしく、瀬戸内海を一望する城だったのだろう。

「安芸の小京都」竹原の町並みと、村上海賊の鎮海山城
鎮海山城の本丸からは瀬戸内海が望める

(この項おわり。次回は5月17日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■鎮海山城

https://www.takeharakankou.jp/spot/19839(竹原市・竹原市観光協会)

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