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斉藤和義さん「これはオレじゃない」から全宅録アルバムにたどり着くまで(後編)

コロナ禍は、音楽をはじめエンターテインメントにも大きな打撃を与えた。ステイホームを余儀なくされた斉藤和義さんは、その間に新しいアルバムを生み出す。現在地につながる、もどかしかったデビュー直後、楽になった40代――。静かに振り返る。

前編「斉藤和義さん、骨太なロックの原点は栃木のおもちゃの町に」から続く 

スケッチのような感じの音をそのまま出したくて

――テレビのオーディション番組で勝ち抜いたのをきっかけに、1993年メジャーデビューします。どんな状況、気持ちでしたか?

デビューが決まったものの、オリジナル曲が全然なかったんです。事務所の社長から「何曲ぐらいある?」と聞かれ「50曲ぐらいですかね~」なんて適当に吹いて入れてもらったんだけど、実際は5曲ぐらいしかなかった(笑)。そこで毎月、渋谷のエッグマンというライブハウスで、どんなバンドがいいかという実験も兼ねて、いろんなメンバーとライブをすることに。ライブ用に毎月1、2曲新しい曲を作りながら、ファーストアルバムの制作に取り掛かりました。

相変わらず勘違いと思い込みが甚だしくて、「デビューしたらあっという間に売れて、街も歩けなくなる。大変だ! 」なんて思ってたんですけど、そんなことはまったくなかったですね(笑)。

レコーディングは戸惑ってばかりでした。初めてだから技術的なことはわからない。でも、もっとアコギの音をこうしたいのに、とか、ドラムの音はこんな感じなんだけど、とか。そういう違和感があるままに、制作はどんどん進んでいって……。勉強にはなったのですが、いまだにファーストアルバムは「これはオレじゃない」という感じがしています。

――「これがオレだ」と手応えを感じたのは?

徐々に僕自身が慣れてきたこともありますが、当時同じ事務所だったICEというグループの宮内和之さん(宮ニィと呼んでいました)の存在は大きかったですね。宮ニィは当時出たてのパソコンでループさせた音を切ったり貼ったりしていて、一人でそこまでできるものか、と。その後、曲作りやライブを一緒にやる中でさらに影響を受け、僕も一人でセルフ録音をするようになりました。

それまでもスケッチ程度のデモテープを作ることはあって、自分としてはその感じのままの音を出したいと思っていました。でも、当時はそれが許されない雰囲気があった。だんだんとレコーディングやアレンジのことを勉強し、楽器のチョイスの仕方や、デジタルテープよりもアナログの方がイメージしている音に近いこととか、諸々わかってきた。3枚目のアルバムぐらいから少しずつ一人でやることを増やしていって、5枚目の『ジレンマ』でジャケットから何から何まで全部を、自分が思うように作りました。なんとなく、そこが僕にとってのファーストアルバムだ、というイメージが今もありますね。

40歳になって出てきた、遊び心

――90年代は『君の顔が好きだ』『歩いて帰ろう』『歌うたいのバラッド』など今も愛される曲を送り出し、デビュー15周年を迎えた2008年ごろからCMタイアップ曲が次々とヒット。ちょうど40代を迎えたこのころをどう振り返りますか?

30代で所属していた事務所をやめ、個人事務所を立ち上げました。事務的なこととかも多いし、人を使うのも大変であれこれ煩わしくって、30代の後半はちょっと疲れてましたね。そもそも38、39ってなんだか中途半端、どっちつかずで悶々(もんもん)としていたんです。それが40歳になって「中年」の太鼓判(笑)を押してもらった途端に、突然憑(つ)き物が落ちたような気分になれた。

それまでも仕事の依頼はいろいろとあったものの、「なんでアイドルの曲なんか書かなきゃいけないんだ」とかうそぶいて(笑)、ほとんど引き受けなかった。でも、40になったら急に遊び心が出てきて、そういう仕事もいいかなと。最初が「ゼクシィ」のCMタイアップで、コピーライターの一倉宏さんの詞に曲をつけるという仕事でした。人が書いた詞に曲を書くのは初めてだったけど、これが新鮮でおもしろかった。

自分としてはどういう角度からでも曲にさえなれば、それが一番いい。「オレはそういうテーマでは書かない」と拒むことは簡単だけど、お題を受けて作ってみるのも挑戦だな、と思えるようになったのがこの頃です。むしろ、人からのお題でチャレンジすると、自分が言いたいことがわかりやすい形で表現できたりするともわかってきて。そんなこともあり、40代に入ってからがすごく楽になりました。気づくのおせーよ、って感じですけど(笑)。

ギターも手作り、全てを宅録

――年齢ということで言うと、35歳のときに『35 STONES』、45歳で『45 STONES』というアルバムをリリース。そして55歳を迎える今年、『55 STONES』が完成しました。コロナ禍のステイホーム期間中に制作したそうですね。

そうです。去年は前作『202020』の全国ツアーが2月末からびっしり入っていて、ゲネプロ(本番直前の通しリハーサル)までやったのに延期になってしまいました。当初は、4月ぐらいから再開できるでしょ、5月になれば大丈夫じゃない?  という感じだったのが、結局すべて中止に。結構ヘコみました。皆さん同じだと思うけど、これから仕事どうするんだろう? と、ちょっと途方に暮れてしまった。

斉藤和義さん「これはオレじゃない」から全宅録アルバムにたどり着くまで(後編)
「55 STONES」(CD)
発売中/3,300円(税込み)詳しくはこちら

突然ぽっかりとできてしまった時間。曲を作る気分にもなれず、じゃあギターでも作ろうかと。のこぎりで板を切り、磨いて色を塗って弦を張り……毎日そんなことをしていました。会社員のように毎日時間を決めて、自宅と作業場を往復していました。

あと、自宅にひと通りの機材がそろっていたものの使い方を把握してなかったので、この機会にちゃんとつなぎ直そうと思い立ちました。エンジニアにマイクやドラムを立てる場所を聞き、機材のチェックがてら音を録っては重ね、一人ジャムセッションみたいなことを始めて。自分で作ったギターも音を出してみて、そんな感じでやっていたら何曲か出来てきて、もう少し頑張ればアルバムになるぞ、と。

最初の緊急事態宣言が解除された直後に、メンバーを呼んで2、3曲録音。あとは自宅と作業場で一人コツコツと録っているうちにアルバムができた、という感じです。これまでも一人で多重録音は散々してきたけれど、スタジオ収録だった。ギターからドラムからベースから歌までの全部を宅録したのはこれが初めての経験でした。

――アルバムとしてはどんなメッセージを込めましたか?

どうですかね……。コロナ禍だからと言ってコロナのことばかりになるのはイヤだなと。ただ、世界は変わってしまった。そんな中で曲、特にどんな歌詞を書くのかを考えたとき、恋でも愛でもいいし、フラストレーションでもいい。そこはいつも通りでいいと思って。そこにコロナのことが何かしらどこかしら出ちゃうのは仕方ないし、そこは素直に出しとこ、と。2020年のいろんな思いの記録になればいいと感じていたところはありました。

――50代半ばを迎え、これからどんな活動、音楽をやっていきたいですか?

あんまり変わらないと思います。音楽を作ったり聴いたりする環境は確かに変わってしまったけれど、ライブはいずれはまたできるようになるだろうし。それに、今回のことで配信ライブという新たなチョイスが増えたという捉え方もできる。おそらく何年後かには、リアルと配信、どちらの楽しみ方も当たり前になっていて、それはいいことのような気がするし。その中で、僕自身がやることはあまり変わらないだろうな、と。

心配なのは、体力。去年1年間ライブも何もしてこなかったから、ちょっと疲れやすくなってるかも。これから再びツアーが始まるから、不安といえば不安ですかね。野球部のトラウマ(「ケツバット」の嵐だった日々のエピソードはこちら)もあり体を鍛えたりするのは嫌いなので。なんて言いつつ、バッティングセンター行ったり、キャッチボールをしたりが楽しいこのごろです(笑)。

(写真=山田秀隆)

    ◇

斉藤和義(さいとう・かずよし)
1993年8月25日にシングル『僕の見たビートルズはTVの中』でデビュー。翌年にリリースされた『歩いて帰ろう』で一気に注目を集める。代表曲である『歌うたいのバラッド』『ウエディング・ソング』『ずっと好きだった』『やさしくなりたい』は様々なアーティストやファンに愛される楽曲となっている。自他共に認めるライブアーティストであり、弾き語りからバンドスタイルまで表現の幅は広い。また自らの音楽活動に加え、様々なアーティストへの楽曲提供、プロデュース等も積極的に行っている。
2011年には希代のドラマー、中村達也とのロックバンド、MANNISH BOYSの活動もスタート。これまでに3枚のオリジナルアルバムを発表している。寺岡呼人、奥田⺠生、浜崎貴司、YO-KING、トータス松本と共に結成したカーリングシトーンズの一員としても活動。

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自粛期間中に制作した、21枚目のオリジナルアルバムが3月完成!「55 STONES

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2020年2月から全国ツアーを開催する予定が新型コロナウイルスの影響により延期となり、その自粛期間中に曲作りをスタートさせ完成に至った本作は、前作のアルバム『202020』の実験的なアプローチから一転、一人多重録音を中心に、斉藤和義らしさがにじみ出るメロディーやサウンドが、豊かで奥行きのある歌詞やストレートな言葉と溶け合い生み出された。35歳の時に発表した『35 STONES』(2002年)、45歳の『45 STONES』(2011年)を経て今年55歳を迎えることも含めタイトルが『55 STONES』に決定。その時々の出来事を映し出しリアリティーあふれる作品を発表してきたが、時が流れても変わらずに音楽と共に歩いてきた斉藤和義の今を感じる作品に仕上がった。

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