&Travel

城旅へようこそ
連載をフォローする

戦国の緊張、幕末の偉容 城内に息づくドラマ 米子城(2)

番所跡から見上げる天守台。米子城の石垣鑑賞スポット

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は米子城(鳥取県米子市)の第2回です。かつて大小二つの天守がそびえていたこの城のポイントは、石垣に刻まれた時代の変遷です。

【動画】米子城の石垣を見る

歴史の変遷語る改修痕、随所に

気分は大航海!360度のパノラマが広がる絶景の海城 米子城(1)から続く

米子城のもうひとつの魅力は、変遷の歴史を物語る改修の痕があちこちに残されていることだ。宝探しのようにその片鱗(へんりん)を見つけることで、さまざまな時代の姿に出合え、城を通して社会の変化を知ることもできる。

米子城は、戦国時代に築かれ、江戸時代を経て明治維新まで存続している。1591(天正19)年に築城を開始した吉川(きっかわ)広家が1600(慶長5)年に完成を待たず転封となると、代わりに入った中村一忠が1602(慶長7)年頃に完成させた。

出雲(現在の島根県)・伯耆(ほうき、現在の鳥取県中・西部)の境に近い立地ゆえ国境警備の城として機能したようで、1615(元和元)年の一国一城令の後も廃城にならずに存続を認められている。一忠の後は加藤貞泰、その後は池田由之の預かりとなり、1632(寛永9)年に池田光仲の家老・荒尾成利(なりとし)が米子城預かりとなると、明治維新まで荒尾氏が城を管理。幕末には海防拠点として改修された。

吉川広家が積んだとみられる、二の丸の石垣
吉川広家が積ませたとみられる、二の丸の石垣

米子城は、中海に張り出す標高90.1メートルの湊山山頂を中心に、北側の尾根に内膳丸(ないぜんまる)を置き、東側の飯山(いいのやま)も取り込んだ城だ。飯山は独立した出丸で、諸説あるが15世紀後半には砦(とりで)が築かれていたらしい。現在確認されている曲輪(くるわ)や石垣は吉川広家時代のものと推定され、広家が米子城を築いた際に飯山を出丸として取り込んだとみられる。米子城は海城である一方、山城の側面もあったようだ。

山上から見下ろす。グラウンド一帯が三の丸跡
山上から見下ろす。グラウンド一帯が三の丸跡

山上の城と山麓(さんろく)の居館、という二つのエリアで構成されているのも米子城の特徴だ。山上には本丸と内膳丸のほか、本丸西側の1段下に水手御門下郭(みずてごもんしたくるわ)などが、本丸南側の中腹に八幡台があり、北東山麓には二の丸と三の丸、中海深浦に面する南麓には水軍を配備した御船手郭(おふなでくるわ)があった。現在、市営湊山庭球場になっているところが二の丸、旧湊山球場一帯が三の丸だ。

NEXT PAGE二つの天守が並び立っていた風変わりな城

REACTION

LIKE
COMMENT
0
連載をフォローする

SHARE

  • LINEでシェア

FOR YOU あなたにおすすめの記事

POPULAR 人気記事

※アクセスは過去7日間、LIKE、コメントは過去30日間で集計しています。

RECOMMEND おすすめの記事

&MEMBER限定の機能です

&MEMBERにご登録(無料)いただくと、気に入った記事に共感を示したり、コメントを書いたり、ブックマークしたりできます。こうしたアクションをする度にポイント「&MILE」がたまり、限定イベントやプレゼントの当選確率が上がります。

&MEMBERログイン

ID(メールアドレス)
パスワード

パスワードを忘れた方はこちら

&MEMBER登録はこちら

&MILEの加算アクション

  • &MEMBER新規登録:100マイル

    *今後、以下のアクションも追加していきます

  • 朝日新聞デジタル有料会員の継続:100マイル
  • ログインしてサイト訪問:10マイル
  • 記事に「LIKE」を押す:10マイル
  • コメントの投稿:30マイル
  • 自分のコメントに「LIKE」がつく:10マイル
  • アンケート回答:30マイル
  • 「朝日新聞SHOP」での購入:50マイル
  • イベント申し込み:50マイル

&MILEの獲得数に応じてステージがあがり、ステージがあがるごとに
&MEMBER限定のイベントやプレゼントの当選確率が上がります。詳細はこちら