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東京の台所2
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〈232〉家事のプロから意外な職へ。料理をしない彼女の現在

〈住人プロフィール〉
鑑定師(スピリチュアルカウンセラー)・46歳(女性)
分譲マンション・1DK・山手線 大久保駅
入居11年・築年数43年・ひとり暮らし

    ◇

 ひと目見て、料理をしない人の台所だとすぐわかった。冷蔵庫の野菜室にはミネラルウォーターが並ぶ。冷凍庫はコーヒーの粉と、カット野菜を冷凍した保存袋が六つ。がらんとした冷蔵室には、豆腐と梅干しがオブジェのようにぽつんと。どこもスカスカで、潔いほど食品がない。

 「野菜は鍋にして、夜食べます。味付けはなし。塩もしょうゆもいれません。野菜の甘味が出て、意外においしいんですよ」
 夕食はザッツ・オール。シンク下でいちばん場所をとっていたのは、プロテインである。

 職業は鑑定師で、霊視者、スピリチュアルカウンセラーとも呼ばれる。
 山手線大久保駅から徒歩3分のマンションは、玄関からリビングへ行くのにダイニングキッチンを通る1DKで、よくある間取りだ。

 「鑑定のお客様も来られるので、できるだけ生活感は出ないように、またうるさくないように、目に入る家具や内装は白とブラウンで統一しています」

 背が高くスラリとした彼女は、週に4、5回ジムに通っているという。なるほどそれでプロテインか。

 それほど広くない台所は、イケアのステンレスのバーに水切りラックを吊(つ)るしたり、ペーパータオルやタオルを冷蔵庫の脇の壁にとりつけたりして、空中のデッドスペースをうまく使っている。調味料や鍋釜は一切外に出さず、すっきりして確かに生活感がない。

 「料理は好きなんです。学生時代は母親を亡くした友達にハンバーグを作りに行ってあげたり、ひとり暮らしの部屋に自然と友達がよく集まり、みんなが飲んでいる途中でぱぱっと大皿料理を作るのが得意でした」

 料理は好き。でも台所に料理の気配はあまりない。混乱する私に、彼女が明かした。
 「ご家庭のことで悩んでおられる方がいらして、台所からカレーやおみそ汁、炊きたてのごはんや焼き魚の匂いが漂ったら、どんな気持ちになるでしょう。人さまからお金をいただく以上、さまざまなご相談ごとをリラックスして語れる心地よい空間でありたい。そのためこの仕事を始めたときから鑑定日の前後は肉や魚はもちろん、匂いの出るものは一切料理しないと決めたのです」

 しょうゆやみそも持っていない。
 ここは新宿。一歩外に出れば、和洋中なんでも食べられる。翌日に相談が入っていない日は食べに行く。
 「地元の大久保には、おいしい焼き肉屋さんや韓国料理屋さんもたくさんありますしね」

 健康のために、毎日ひとさじオリーブオイルを飲む。朝、豆腐や豆乳でたんぱく質を補給。ビタミンは夜の野菜鍋で。
 あのガラガラの冷蔵庫にも、彼女なりの健康維持の工夫がつまっていたのだ。

 とはいえ料理好きなら、そこまでストイックにしなくてもいい気がするが――。

 「大学卒業後、様々な職業を体験。34歳で、家事代行の仕事を朝から晩まで3年やりまして。当時は、今の家政婦のタサン志麻さんみたいなおしゃれなイメージはなく、1軒3時間で料理、洗濯、お風呂から家中のお掃除をして、ときにはお子さんやお年寄りのお世話、ペットのケアまでして、対価はわずかで。実際は毎回6時間かかってしまう現場もありましたが、なかなか会社に請求もできず。1万円のお金の重みとありがたさが身にしみているので、自分がいただく側になった今は、1万円なりの責任をきちんと果たさねばと思うのです」

 鑑定師の生業(なりわい)も、その家政婦経験がきっかけらしい。

ヨーグルトと梅干しは定期的に行う断食の前後に食べる。「梅を大根と煮込むと便通が促されおなかがすっきりします」

家政婦業で多様な家庭の苦しみを知る

 大学推薦で、美術館学芸員にほぼ内定が決まっていた。ところが父がニュースに出るような人身事故を起こしてしまった。
 「因果関係はわかりませんが、とつぜん内定取り消しになり、そこから流転の人生です」
 社会人としてはなかなか過酷な滑り出しだが、むしろどこか懐かしそうに穏やかな表情で語る。

 「どうやって生きていけばいいのか? 人生の方向性を見失っていました。正社員や、派遣社員、バイトなどひとつの場所に定住できない生活を続けていました」
 気がつけば学生時代の友達は、みな志望していたマスコミや外資系企業などにそれぞれ就職、生き生きと働いている。
 「その差にさらに落ち込み、長く会えない時期もありました。でも、みんな見えないところで努力をしていたんだなと、次第に気づいた。彼らの頑張る姿を見て、私もちゃんと腰を落ち着けて働こうとようやく思えたのが34歳の終わりです」

 たまたま求人募集をしていた家事代行サービスの会社に入社した。片付けや掃除は好きだ。新卒でもない自分を雇用してもらえるだけでもありがたかった。
 しかし、いざ入ってみると、「3Kどころか7Kを地で行くような仕事でした。毎日疲れすぎてベッドにたどり着けず、床で寝てしまうようなありさまで」。

 当時の家事代行業は、労働領域が整備されておらず、ときに“お手伝いさん”とも呼ばれ、なんでも頼まれた。7Kとは2010年ころから使われだした女性の労働現場の過酷さを表す俗語で、「危険・きつい・帰れない・規則が厳しい・休暇が取れない・化粧がのらない・結婚できない」の頭文字をとったものだ。1社目は人員不足で休日もとれず、朦朧(もうろう)とするなか仕事先で転倒。労災のおりるけがを負いながらも出勤しなければならない過酷な労働環境で体を壊し、別の家事代行サービス会社に転職。

 そこもけして楽ではなかったが、彼女は、あの3年間があるから今の自分があると振り返る。
 母親が末期がんやアルコール依存症だったり、子どもが心を閉ざしていたりと、裕福でもそれぞれに苦しい事情を抱えた家族が多かった。

 「お母さんががんで長く入退院を繰り返しているご家庭がありました。そこのお子さんは幼い頃から、忙しいお父さんの料理で育っていて、ゆっくり食材のことを知る機会がそれほどなかったんですね。イカの元の形を知らないというので、一緒にイカリングを作ったらすごく喜んでくれてかわいかった。3時間の契約でしたがとても終わりませんでした。でも、あるときお父さんが“いつも自分が作ったものばかり食べてきました。毎日おいしいごはんを本当にありがとう”と言ってくださって。ああ、こんなにも喜んでくださるのなら、お金のことはもういいと思いました」

 抗がん剤の影響で吐瀉(としゃ)物の処理も多く、この家庭に行きたがらない社員が多かったが、彼女にとっては毎日が学びの連続で、さらに仕事に打ち込んだ。家族もまた彼女を指名した。

 残念ながら父子の願いは届かず、母は息を引きとった。葬式後、洗濯物を畳んでいるとなにかとても優しく温かい人の気配を感じたらしい。
 「亡くなったお母さんだと思いました。とっさに、お子さんに“お母さん、ここにいるよね”というと、“うん”ととてもふつうにうなずきました。こういうお話の受け止め方は人それぞれですが、わたしはそのとき、人の魂はあるのだと確信しました」

 魂やスピリチュアルな存在の有無について、ここでは記さない。彼女が家事代行という仕事にどれほど真剣だったかが伝わればと思う。

 別の家庭では、虐げられた犬に一生懸命食事を作り与えていたら、徐々に回復。元気になったときも大きな喜びを感じた。

 自閉症の小学生がいる家には1年間通った。なぜか毎週発熱をし、そのたびに親の作った料理ではなく彼女のスープが食べたいと呼び出された。

 「本当はスープが飲みたいんじゃなくて寂しいんだな、心のSOSなのだなと感じました」

 アルコール依存症の母親とは正面から向き合い、毎日、空になったたくさんの缶ビールを潰しながら思った。――ここまで追い詰められるのには、何かきっかけがある。
 なんとか自分から酒をやめられるように、片付けをしながら時間ギリギリまで、できるだけ話を聞いた。誰かがそばにいると飲まないので抑止になる。依存症で入院したときは家族の代わりにかけつけた。
 「どんなときでも、心の内をたくさんお話できる相手になれるようにつとめました。そのうち、なぜキッチンの隅でお酒を飲み始めたかぽつりぽつりとお話しくださるようになり、生い立ちや家庭の中でプライドが傷つくことがあったことなどがわかって……。そうしていくうちに数カ月後にはお酒をまったく飲まなくなったのです」

 たまっていた腹水がとれ、歩けるようになった彼女から「もう大丈夫ですよ」と翌年言われたときは、なんともいえない幸福感と達成感に包まれた。

 「人の悩みを聞いて、心を癒やす仕事をしたい」
 そう強く願うようになったのは自然な流れらしい。
 「ものには気持ちが宿るというか、ものは語るというか。片付けをしながら、どうすれば住み手が心地よく過ごせるか考えるようになったことと関連しているかもしれません」
 通っていた家庭からは個人的に家事の仕事をと相談されたが、退社を決意した。

 少しずつカウンセリングや家屋の鑑定を始めると、人から人へ口コミで紹介が広がり依頼が増えた。2013年、正式に鑑定の仕事を開始。
 「学生時代の友達や知人があちこちで宣伝してくれていたと、あとから知りました。現在は、ルームセッションという家屋の鑑定で、お部屋の配置や片付けをしながら、その方が抱える問題の原因を見つけて改善へのアドバイスをしています。全国の寺社で神職の方からは神道を、僧侶の方からは仏の教えを、今も学び続けている最中です」

 盛り塩で空間を清めたり、片付けをして家具を心地よいレイアウトに収めたり、人それぞれ、快適な持ち物の量があることは、家事代行時代の体験から学んだ。
 「私などは鑑定の師匠についたわけでもなく、独学で何の資格もありません」と語るがその表情は誇りに満ち、輝いている。きっと採算度外視で、さまざまな家庭に尽くした歳月が、彼女のかけがえのない自信になっているんだろう。

 そんなわけで肉や魚の料理をやめて8年になる。
 鑑定のある朝は豆腐や豆乳、昼はお茶、夜は味付けなしの野菜の鍋。ジムの後はプロテイン。たまに相談者からいただく差し入れのお菓子を少しつまむ。それでも体を壊すことはなく、むしろ健康になったというから彼女にはこの食生活とリズムが合っているらしい。

 料理好きが料理をしなくても、毎日充実している。
 稀有(けう)な台所の取材であった。

玄関からも見える場所なのでうるさくないように家電は白で統一

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