&Travel

城旅へようこそ
連載をフォローする

よみがえる江戸時代の姿 発掘調査最新報告 米子城(3)

発掘された表中御門枡形(ますがた)の石垣

監獄になった米蔵

米子市により精力的な調査・研究、保存活用整備が進められ、〈米子城(1)〉や〈米子城(2)〉で紹介したように、登り石垣や竪堀、郭の発見や登城路の確認などの発掘調査成果が上がっている。2020(令和2)年に実施されたのが、三の丸と表中御門枡形(おもてなかごもんますがた)の発掘調査だ。

三の丸の整備により、表中御門枡形東面の石垣も見えるように
三の丸の整備により、表中御門枡形東面の石垣も見えるように

江戸時代、旧湊山球場一帯には、徴収した年貢を保管する米蔵が並んでいた。明治時代には監獄となり、米蔵の建物は監獄所として使用。1923(大正12)年に監獄所が移転するとグラウンドとして整備され、1953(昭和28)年から湊山球場となっていた。

幕末頃の絵図には、米蔵の建物の配置が記されている。「斗場(はかりば)」という年貢米を計量した施設らしき建物を取り囲むように、長方形の建物がいくつも並ぶ。斗場での計量をクリアした米が周囲の建物で保管されたようだ。

米蔵、大きなものは長さ30m

今回の発掘調査で、絵図に描かれた通りの米蔵跡が確認された。地表からわずか20センチ下に米蔵の基礎が確認され、球場の建設時に埋められた本来の三の丸の地表面も明らかになった。基礎は溝の中に石を詰めて根固めし、この上に礎石が置かれていたとみられる。現在のところ絵図通りの配置と規模で、絵図によれば、建物は大きなもので長さ30メートル、幅6メートルに及び、斗場のある広場に向かって庇(ひさし)がついていた。

背後にそびえる豪壮な石垣を見上げながら、当時の人々は何を思ったのだろう。誇らしく思うこともあれば、厳しい年貢の取り立てに絶望したこともあったかもしれない。今と同じように人々の暮らしがあったことが想像でき、江戸時代が身近に感じられる。

検出された米蔵跡
検出された米蔵跡

球場建設時に埋もれた石垣の一部

二の丸北東側の石垣や表中御門枡形の石垣は、裾部が球場の建設時に埋められており、三の丸の地表面から逆算すると現在見えているよりさらに3メートルほど高いはずだ。二の丸北東側の石垣は高いところで9メートルほどあるが、実際には12メートルほどあると思われる。城下町側から見上げる米子城は、現在よりさらにダイナミックで壮大だったようだ。

今後はレフトスタンド側も撤去されてさらに城下町側からの見通しがよくなり、二の丸の高石垣も姿を現す。調査が進むことで、全容も明らかになってくるだろう。絵図の記載によれば築城初期には城主の御殿が構えられていた可能性もあり、解明が楽しみだ。

二の丸石垣は約3メートル埋まっている
二の丸石垣は約3メートル埋まっている

表中御門枡形の石垣、高さ4mと判明

表中御門枡形の発掘調査成果にも驚いた。枡形の石垣は、幕末頃の絵図には2間(約4メートル)と記されているが、現在の地表面からは2.5メートルほどしか見えていなかった。巨大な平面積に対して石垣が低く、大きさと高さがアンバランスな枡形に見えていたのだ。しかし今回の発掘調査により、最大で約1.5メートルの石垣が埋もれていることが判明。絵図に描かれている通り、約4メートルの石垣で囲まれた立派な枡形であることが明らかになった。

表中御門枡形
表中御門枡形
地表面からさらに1.5メートルほどの深さまで石垣が検出された
現在の地表面からさらに1.5メートルほどの深さまで石垣が検出された

枡形内には明治時代末期から1945(昭和20)年頃まで米城焼(べいじょうやき)の窯があり、失敗作や窯道具も大量に出土した。1950(昭和25)年の米子大博覧会の会場整備の際に飯山側を切り崩して国道を整備し、その土で枡形を埋め立てたと思われる。

昭和の地表面を示す、米城焼も出土
昭和の地表面を示す米城焼も出土

掘れば掘るほど深まる謎

発掘調査現場の取材をしていて感じるのは、掘れば掘るほど謎が深まるということだ。今回の調査でも、枡形の石垣の高さは絵図と一致することがわかったが、枡形の面によって石垣の積み方が異なる点は現状では説明がつかない。石段脇で見つかった巨石も用途不明だ。

表中御門は吉川広家の後に城主となった中村一忠による増築と推定され、正門を裏中御門から表中御門に変更した際に出入り口の防御を強化すべく増設したと考えられている。ところが毛利氏の城で多用されている竪石が据えられているようにも見える。積み方からは広家時代の構築とは考えにくく、一忠時代であれば竪石の定説に見直しの必要が生じる。やはり広家時代であるならば、築城時の米子城の構造を考える上で重要になってくる。

石段脇、枡形南西側の石垣
石段脇、枡形南西側の石垣

いずれにしても、平面的な絵図でしか見ることができなかった門前の偉容が、立体的に想像できるようになったのがうれしい。市民への理解もより深まるだろう。調査は範囲を広げて継続される予定だ。

破却や埋め立てが歴史であるように、今掘り起こされていることもやがて歴史の1ページになるのだろう。歴史の立会人になれる喜びを感じながら、眠りから覚めるようすを大切に見守り、価値を考えたい。

(続く。次回は6月7日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト
■米子城
https://www.city.yonago.lg.jp/4439.htm(米子市)

フォトギャラリー(クリックすると、写真を次々とご覧いただけます)

REACTION

LIKE
COMMENT
0
連載をフォローする

SHARE

  • LINEでシェア

FOR YOU あなたにおすすめの記事

RECOMMEND おすすめの記事

&MEMBER限定の機能です

&MEMBERにご登録(無料)いただくと、気に入った記事に共感を示したり、コメントを書いたり、ブックマークしたりできます。こうしたアクションをする度にポイント「&MILE」がたまり、限定イベントやプレゼントの当選確率が上がります。

&MEMBERログイン

ID(メールアドレス)
パスワード

パスワードを忘れた方はこちら

&MEMBER登録はこちら

&MILEの加算アクション

  • &MEMBER新規登録:100マイル

    *今後、以下のアクションも追加していきます

  • 朝日新聞デジタル有料会員の継続:100マイル
  • ログインしてサイト訪問:10マイル
  • 記事に「LIKE」を押す:10マイル
  • コメントの投稿:30マイル
  • 自分のコメントに「LIKE」がつく:10マイル
  • アンケート回答:30マイル
  • 「朝日新聞SHOP」での購入:50マイル
  • イベント申し込み:50マイル

&MILEの獲得数に応じてステージがあがり、ステージがあがるごとに
&MEMBER限定のイベントやプレゼントの当選確率が上がります。詳細はこちら