コシノヒロコさん「30代からの生き方が『生き様』になる」

女性にとって30歳は、結婚、出産、キャリアなど、生き方を意識するようになる節目です。女性の選択肢が広がるいま、様々な分野でご活躍されている方々は、どのような30代を過ごし、その後はどのような選択をしてきたのでしょうか。国内外の名だたるコレクションで成功を収めてきたファッションデザイナーのコシノヒロコさん(84)に、お話を聞きました。
30代前半は人生のどん底を経験した
世界を舞台に活躍する日本人ファッションデザイナーの先駆けで、80代の今もなお第一線を走り続けるコシノヒロコさん。幼いころから絵を描くのが好きで、戦時中で物もお金もないときにもかかわらず、母の綾子さんは、パステルを買ってくれたそう。高校卒業後は美大で絵を学びたいと言うと、「絵描きはお金にならへん」と母は反対。洋裁学校へいやいや進んだが、そこで洋服のデザインを描くスタイル画の世界を知り、夢中になった。そして、デザイナーの道を歩み始める。
「私のデザインの底辺にはいつもアートがある。それは、絵を描きたいという少女時代の思いが、昔も今も私の中に変わらずにあるから」
27歳、大阪・心斎橋にブティックを開く。デザインや質への評価は高く、富裕層の上客から次々とオーダーが入ったが、1ドル360円の時代、いくら稼いでも高級な輸入生地に姿を変えてしまう。たくさんいる縫い子さんへの給料も払わなければならない。
「借金だらけで、税金払ったらすっからかんやった」
そんな中で迎えた30代、私生活も絶不調だった。23歳で結婚し二人の娘に恵まれたものの、夫との関係はすっかり冷え切っていた。
「お店はてんやわんやで、子どもはどんどん育ってくるわ、そのうえ夫は浮気するわ……。今思えば人生で一番大変な時代だった」。 悩みや憂さを晴らすように、毎日のように飲み明かしていたという。酔っ払っているうちは楽しいものの、「起き上がれないほど二日酔いがひどい日もよくあった……。生活も気持ちも堕落していたね」と苦笑い。

39歳で離婚がようやく成立。これを機に、コシノさんはしだいに精神的に落ち着きを取り戻し、自らのクリエーションに改めて真剣に向き合うようになる。
「それまでの私は突っ張っていた。デザイナーとして徹底的に主張したかった。売れようが売れまいが目立つものを作る、誰もやってないことをどんどんやっちゃえ!みたいなところがあって(笑)。でも、人生のどん底を経験し、そこからはい上がっていく中で、人の気持ちに寄り添うデザインに興味を持つようになりました」
折しもファッションの世界は、オートクチュールからプレタポルテへ、つまりオーダーメイドから既製服への過渡期を迎えていた。 「1人にしかわからない洋服よりも、10人、100人がいいと思ってくれる服でなければプレタポルテは売れない。私の個性を大事にしながらも、『着る』という行為に対して優しくなろうと思った。デザインへの姿勢と作風が変わりました」