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東京の台所2
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〈233〉離婚とコロナと餃子が変えた、彼の予測不能ライフ

〈住人プロフィール〉
会社員・37歳(男性)
賃貸マンション・1DK・つくばEX線 浅草駅
入居3年・築年数30年・ひとり暮らし

100の新しいことリスト

 広告会社の同僚と28歳で結婚。まだ働き方改革が叫ばれる前で、22時、23時帰宅が当たり前。部署の異なる妻は24時を回ることも多かった。

 「平日の食事は別々に外で済ませ、土日は一緒に外に食べにいく。たまに彼女と作りましたが、僕は料理が苦手で、自分から進んで台所に立つことはありませんでした」

 彼女は夜型、彼は典型的な朝型だった。
 「子どものころから、誰もいない教室や誰もいない朝の街の光が好きで、社会人になっても8時に出勤。社食で朝ごはんを食べてから誰もいないフロアで仕事を始めます。朝って、勉強も仕事もすごく集中してはかどるんですよね」

 同棲(どうせい)していた頃はどれだけ一緒にいても飽きなくて楽しかった。だが時を重ねると、すれ違いが心に距離を作る。
 顔を合わせる時間が日に日に減っていき、最後は妻が帰宅しなくなって、34で離婚した。

 深く傷つき、ともすればネガティブに考えがちだった当時の彼を支えたのは友人たちだ。なかでも仕事を介して知り合った友人夫婦は「うちの近くに住みなよ」と毎日のように浅草の賃貸物件情報を送ってきた。

 「離婚したとき、新しいことを100個やろうと決めたのです。そうでもしないと気が紛れないから」
 誰かに、新しいことに誘われたら行く。迷ったらとりあえずGO。100のリストのひとつに、料理があった。友人夫婦宅から徒歩10分の家に越すとすぐ、餃子(ギョーザ)パーティーに誘われた。
 「トゥギャザーじゃなくて、トゥギョーザーですね」と冗談を言いながら参加したら、想像を超えるおいしさなうえに、すこぶる楽しかった。

 「そこから話が盛り上がって、彼らと定期的に餃子を作る会をスタート。餃子のインスタアカウントを作ったり、みんなで食べに行ったり。ひとりでも作るようになって、料理の楽しさに目覚めていきました。餃子って、誰がどう作っても、たいがいおいしくできるんですよね。おおらかな料理だなあと」

 別の男友達からは料理教室に誘われたので通い出した。ハンバーグ、オムライス、親子丼……。気づいたら、すっかり料理への苦手意識が消えていた。
 「レシピ通りに作ったら僕にもできる、正しく作りさえすれば誰でもちゃんとおいしくできるんだなとあたりまえのことに感動しました」

 「一緒に筋トレ行こうよ」「そのあとは焼き鳥にしよう」
 別の友達からも次々声がかかる。

 「引っ越しは、住まいや街にこだわるより、友達がいることのほうがずっと大事ですね。おいしいお店やその街の魅力を教えてもらい、全く縁のなかった浅草にじわじわ惹(ひ)かれていきました」

 転居後しばらくして、コロナによるリモートワークが始まった。まだ人影がない朝の街歩きと料理が日課になった。
 カーテンをつけていない朝の光が差し込む部屋で、7時に食事をとる。フライパンで焼いたベーコンエッグをチーズトーストで挟むのが定番だ。

 「レストランも美術館も閉まっているし、飲み会は画面越し。コロナは大変だけど、たくさんの変化と気づきをもらいました。たとえば自炊をするようになって、外食の高さを痛感。生活コストがわかるようになり、自分の力で暮らしを小さくコントロールできるようになった経験は、自信になっています」

 自信は、次の新しい夢を育んだ。
 独立し、故郷長崎で東京のような多様性のある街づくりを推進するという挑戦だ。

昔から早朝起床派。7時にフライパンで焼いたベーコンエッグを、チーズトーストで挟んで朝食に

夢のような3年を経て

 安定した職を手放し、東京を離れるとは大きな決断である。

 「長崎の自治体や企業と以前から仕事をしていたとはいえ、自分でも予想のつかない人生を歩んでますね。長崎は来年新幹線が開通します。大きな変化には、可能性とチャンスがある。自分が東京の許容力みたいなものを伝えたり、変化に合わせて文化をつなぐようなお手伝いをしたいと、去年5月に決意しました。けど今も、わくわくと、やっていけるかなという不安がつねに同居していますよ」

 まずは荷物も暮らしも小さくして、長崎で会社を始めるという。リモートワークの経験から、ゆくゆくは東京との2拠点生活も視野に入れている。不安はあれど、生き生きと語る横顔に迷いはない。

 シンクの下は、ふだん使わない料理道具が箱にしまわれたままだった。
 「浅草に誘われたときは、とりあえず仮住まいぐらいの気持ちで来ました。だから家具を買ってないんです」
 いつでも越せるように。荷物は極力持たないように。そう思っていたら、地元友達と楽しく愉快に、あっという間に3年が過ぎてしまった。気づいたら、浅草が大好きになっていた。

 「いつか東京にも拠点を作るとするなら、やっぱりこのエリアにしたいですね」

 餃子は豚バラ肉からミンチにして作るし、最良の焼き加減をマスターしている。水餃子は中国の黒酢で食べるのが最高で、お気に入りの取り寄せ餃子は冷蔵庫に常備。在宅ワーク時の昼は、胃にもたれない水餃子をぱぱっと茹(ゆ)で、夜はみそ汁かポトフの汁物を欠かさない。
 34年間料理をしなかった人とは思えない食生活だ。

 多くの変化を体験したこの3年間とは、あなたにとってどんな時間だったのか。
 「夢のようでした。人生という長いスパンで俯瞰(ふかん)すると、次の変化のための踊り場だったのかもしれません。あるいは飛行機のトランジット。乗り換えの間がちょっと長いからその街に降り立ってみたら、すっかり好きになって、ちょっと名残惜しい気持ちになっている、みたいな」

 コロナも離婚も、いやがおうでもいったん立ち止まる機会になる。そのときこうすればよかったああすればと後悔するのか、誰かや自分を責めるのか。それとも、楽しいかどうかわからないけれど、とりあえず新しい自分に会いに行くのか。
 少なくとも彼は、浅草と餃子で人生が変わった。
 残り少ない彼の東京の台所。記録に間に合ってよかった。

シンク下。あまり使わない調理器具は箱に。すぐ越せるよう家具は買わない

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