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戦国時代と江戸時代 異なる時代の姿が共存 鳥取城(1)

鳥取城は山上と山麓(さんろく)、二つの姿の城がある

城のシンボル、二ノ丸の三階櫓

山上の鳥取城を「山上ノ丸」(さんじょうのまる)と呼ぶのに対し、光政が大改修した山麓の鳥取城は「山下ノ丸」(さんげのまる)という。厳密には山麓ではなく中腹を削って平坦(へいたん)地が造成され、階段状に曲輪(くるわ)が並んでいる。

藩政の中心になっていた山下ノ丸にある二ノ丸には、天守の代わりに層塔型の三階櫓がそびえていた。1720(享保5)年に火災で城内の建物は焼失したが、二ノ丸御殿は再建されなかったものの、三階櫓は1735(享保20)年に再建されている。鳥取城の象徴的な存在だったのだろう。三階櫓は1879(明治12)年に撤去されたが、同年に撮影された写真からは圧倒的な存在感が伝わり、江戸時代を通じて鳥取城の顔だったと想像できる。

三階櫓跡
三階櫓跡
1975(昭和50)年に復元された西坂下御門
1975年の大風で倒壊後、復元された西坂下御門

天球丸に、珍しい球面の石垣

山下ノ丸の最上段に位置する天球丸は、池田長吉の姉で池田光政の大叔母・天球院の居所にちなむ。発掘調査から、それ以前は階段状の曲輪だったことが判明している。光政が曲輪を拡張して、段差のない曲輪に変更したらしい。

天球丸の巻石垣
天球丸の巻石垣

ちなみに、天球丸にある球面の石垣「巻石垣」は、全国的にも珍しい鳥取城の特徴的なスポットの一つだ。石垣の崩落を防ぐために1807(文化4)年ごろに積まれたもので、絵図などを参考に復元された。江戸時代、河川の護岸や堤防、港の突堤を築く際に球面の石垣が用いられており、技術が応用されたと考えられている。

(つづく。次回は6月28日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト
■鳥取城
https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1575443542873/index.html(鳥取市)

フォトギャラリー(クリックすると、写真を次々とご覧いただけます)

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