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擬宝珠橋に続き、中ノ御門表門が完成 鳥取城(2)

復元された中ノ御門表門と擬宝珠橋

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は鳥取城(鳥取市)の第2回です。2021年3月に復元されたばかりの中ノ御門表門(なかのごもんおもてもん)と、2018年に復元された擬宝珠(ぎぼし)橋、それぞれの歴史とみどころとは?

【動画】鳥取城の中ノ御門表門と擬宝珠橋

大藩の表玄関、3月に再建

2021(令和3)年3月、鳥取城の大手門にあたる中ノ御門表門が完成した。城の正面玄関たる偉容を取り戻し、江戸時代の姿がよみがえりつつある。

中ノ御門は、1621(元和7)年に池田光政によって創建された。〈鳥取城(1)〉で触れたように、1617(元和3)年に光政が32万石を拝領して鳥取藩が成立すると、鳥取城はそれまでの城を拡張する形で生まれ変わり、城下町も整備された。中ノ御門表門もこのときに建てられ、全国12番目の石高を誇った大藩の城の顔となったとみられる。

完成した中ノ御門表門
完成した中ノ御門表門

江戸時代初期、池田長吉時代の鳥取城が描かれた絵図には、中ノ御門よりも南ノ御門が大きく立派に描かれている。石垣で囲まれた空間を伴う枡形虎口(ますがたこぐち)で、この頃には南ノ御門が大手だったらしい。地形上、城下町は南側にしか拡張できないため、光政は大手を西側に移して中ノ御門を創建したようだ。

ハート形の「猪目石」は魔除けとされる
ハート形の「猪目(いのめ)石」は魔よけとされる

中ノ御門表門は1720(享保5)年の大火で焼失したが、その年のうちに再建され、江戸時代を通じて存在した。明治時代になると城内の主要な建物は1879(明治12)年までに解体され、中ノ御門表門も1875(明治8)年に取り壊された。しかし解体直前に撮影された古写真が残り、復元の大きな手がかりとなった。

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