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渋沢栄一が乗っ取りを計画した高崎城 「青天を衝け」の城(4)

高崎城の乾櫓(いぬいやぐら)と東門

広さは郭内だけで5万坪以上

西側の烏川(からすがわ)を背に、現在のNTT東日本群馬支店別館のあたりが本丸跡で、その東・南・北側の三方を二の丸が囲む。さらに、二の丸の東・南・北側に三の丸が広がっていた。高崎城址公園や群馬音楽センター、高崎市立高松中学校などの一帯が三の丸にあたり、かなり広いのが特徴だ。これらを囲む郭内だけでも5万坪を超える。

高崎市役所と、高崎城の土塁
高崎市役所と、高崎城の土塁
三の丸を囲む土塁と堀
三の丸を囲む土塁と堀
三の丸の土塁。かなりの高さがある
三の丸の土塁。かなりの高さがある

大手は東側にあり、本丸と二の丸の間には枡形虎口(ますがたこぐち)があり、その外側にも出丸のような枡形が置かれていた。二の丸から三の丸への間にも枡形虎口が設けられ、堀と土塁で囲まれていた。現在、三の丸東側の追手門付近に移築されているのが、貴重な現存建造物である乾櫓(いぬいやぐら)と御殿表御門(東門)だ。本丸には天守の代わりに西側に三階御櫓が建ち、本丸の四隅には隅櫓が建っていた。その隅櫓のひとつが乾櫓で、もともとは乾(北西)の方角にあった。

移築復元されている乾櫓
移築復元されている乾櫓

乾櫓は7代藩主安藤重博が17世紀末頃に改築したと推定され、このときに平屋の土蔵から二重櫓に改築されたようだ。東門とともに農家に払い下げられていたが、1976(昭和51)年に現在の場所に移築復元されている。高崎城には石垣はほとんどなかったようで、櫓台の石垣も後世に積まれたもの。本来は土塁の上に1メートルに満たない高石台がある程度だったらしい。

なお、大手虎口の枡形虎口や枡形は残っていないが、三の丸の東面に突出部が残り、設計の妙を感じることができる。

屋根瓦は資料をもとに復元されている
屋根瓦は資料をもとに復元されている
鉄砲狭間が設けられた土塀は修景されたもの
土塀は修景されたもの。鉄砲狭間(ざま)が設けられている

二の丸堀の角にあたる高崎市立中央図書館前には、発掘調査で出土した石組水路と石樋が展示されている。南西へ伸びる、河原石などが三段に積まれた野面(のづら)積みの水路だ。長さ約18メートル、幅約1メートル、深さ80センチが見つかっており、二の丸堀と本丸堀をつなぐようにつくられ、堀の水の循環や水量調整をしていたらしい。高崎城の築城時につくられた可能性があり、江戸時代中期には埋没していたとみられている。

(この項おわり。次回は8月30日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト
■高崎城

https://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/history/zyoushi.html(高崎市)

フォトギャラリー(クリックすると、写真を次々とご覧いただけます)

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