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この「気味のわるい過渡の時代」に。言葉をめぐって行き交う18通

撮影/猪俣博史

『言葉をもみほぐす』

メールを眺める1秒と手紙を読む1秒は同じだろうか。私たちが四六時中手にしているデジタルデバイスはもはや日常に欠かせぬツールではあるが、それらに触れているとき、何か急(せ)かされるような心もちになるのは私だけではないはずだ。

そんななかこの往復書簡を手にして、そこに流れている時間のたっぷりとした豊かさに触れ、時計を持たずに遊んでいた頃に感じた、いつまでも見飽きない虫の営み、永遠にこだまし続けるかのようなねぐらにもどる鳥の声、絵の具では再現できない草木や海、空の色などを思い出していた。

東北でライフ・ヒストリーの聞き書きをおこなう民俗学者・赤坂憲雄と、農業史、とりわけ「土」「食」と人の在り方を探る、京都在住の藤原辰史が2019年6月から2020年11月までに交わした、およそ1年6カ月にわたる18通のやりとり。「言葉」をめぐって行き交ったふたりの書簡は、その時々の悲喜こもごもを率直に伝えながら、全体としては重心を低く保って抑制の利いた静かな語りをたたえている。

そこには、互いの来し方と現在地を尋ねる問いの底に、相手を敬っておもんぱかり、相手の言葉を丁寧に咀嚼(そしゃく)しようとする対峙(たいじ)の作法があり、その上で、未曽有の禍をいくつも経ていまなお「災間の時代」にあるこの国を見据え、憂えて叫び出しそうになる己を制し、かそけき希望を見いださんと震える魂の響きあいが強く感じられた。

「言葉によって、この世の中の圧倒的な不正義を根底から覆す不可能性と、あわよくば可能性について」と藤原が問題提起をし、「この、先の見えにくい、気味のわるい過渡の時代」にやりとりをすることで、「どこか境界侵犯的な、未知の可能性を宿す表現のかたち」として「往復書簡」という形式を手探りしてみたい、と赤坂が応える。

この「気味のわるい過渡の時代」に。言葉をめぐって行き交う18通
『言葉をもみほぐす』著・赤坂憲雄、藤原辰史、写真・新井卓 岩波書店 1,980円(税込み)

それからふたりは互いの業に触れながら、「言葉」そのものの輪郭をとらえようと試み、それぞれ「言葉と現実の剝離(はくり)状態」「言語喪失的な状況」に陥った自身を告白し、共有する「臨床の知」を手掛かりに「言葉の森」に分け入っていく。

外国語を学ぶことで逆に知る日本語の不可思議さ。「見栄(みえ)と欺瞞(ぎまん)で本当に重要なものを塗り潰してきた国の、テカテカな表皮」について。「土壌」の世界と戯れるために有効だと藤原が考える、赤坂の「異世界闖入(ちんにゅう)の術」。紅葉の、「死からただよう美の色づき」。話題は多岐にわたり、その着地点の見えないやりとりそのものを愉(たの)しむ二者の、少年のようなはしゃぎにこちらもかき立てられる。

あるいは、『遠野物語』『風の谷のナウシカ』に登場する異形のものたちが果たす役割について。「歴史の屑(くず)拾い」を自称したという哲学者、ヴァルター・ベンヤミンがなしたこと。戦争や原爆、公害や災害の「傷」を記憶し継承していくことの必然に触れるあたりは、「史学」と向き合うふたりが、こぼれ落ちる言葉を拾い、丹念に言葉をもみ、解(ほぐ)すことで、子や孫の世代に手渡すものを形づくろうとする使命のごとき気迫に満ちている。

専門的な難しい用語を避け、相手に向かってまっすぐに語られる言葉は、私信としての恥じらいと同時に、万人にひらかれたナラティブとしての色合いを帯びる。さらに、その言触れが起こす「深い共振れ」の間に差しはさまれる、新井卓による銀板写真(ダゲレオタイプ)が絶妙なポーズとなる。立ち止まる一瞬を生みだす一葉には、自在に伸縮する時間そのものと、深い奥行きを感じさせる「もの」と「風景」が写しだされ、書き終えた手紙を閉じる封蝋(ふうろう)のような、あるいはこれから開封するそれのような、言葉とは異なる手触りを思わせる。

毎年のことですが、京都の出町柳で、この世のものとは思えない夕暮れに出会います。橙(だいだい)色、紫色、紺色とグラデーションをなす空を背景にして、真っ黒なビルや木々のシルエット。宵の明星と薄い月が僅差(きんさ)で光の美しさを競っている最中に、車のライトが視界を遮ります。季節は違いますが、清少納言の描写した「紫立ちたる雲」とはこれか、と妙に平安の世と交信をはじめたくなります。

藤原辰史「土壌と人間」

「ふたつの焦点」をもって「世界と対峙」せよと赤坂は言う。人文知と民俗知。東北と東京。書斎とフィールド。令和と平安……。紛(まご)うことなき「ふたつの焦点」から発せられ、私の頭上を幾度も飛んでいた豊かな交信。つたない書評では本書の万分の一も伝えられないが、この往復書簡に満ちる豊饒(ほうじょう)な「1秒」の連なりは、きっと多くの人に「共振れ」を起こすはずだ。

この「気味のわるい過渡の時代」に。言葉をめぐって行き交う18通
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PROFILE
八木寧子

やぎ・やすこ
湘南 蔦屋書店 人文コンシェルジュ
新聞社、出版社勤務などを経て現在は書店勤務のかたわら文芸誌や書評紙に書評や文芸評論を執筆。ライターデビューは「週刊朝日」の「デキゴトロジー」。日本酒と活字とゴルフ番組をこよなく愛するオヤジ女子。趣味は謡曲。

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