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このパンがすごい!
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完膚なきまでに打ちのめされた 食欲も美的感覚も刺激するパン/アダチ

伊豆山中に幻のように立ち上がり、フランスパンに人々を群がらせた、「ブーランジェリー・パティスリー・アダチ」。横浜に移転、「ブーランジェリー・パティスリー・トレトゥール・アダチ」となり、パリさながらの店舗で空前の人気を誇り……さらに昨年11月、静岡県長泉町に新店舗を構えた。今度は単に「アダチ」となって、郊外の店舗に大行列を作っているという。その真価を問うべく、私は静岡に向かった。

店内風景
店内風景

3度目もまた、完膚なきまでに打ちのめされた。食欲も美的感覚も刺激する、フランスよりもフランスらしいパンの群れ。CGかと思うほど正確な模様を刻んだ「パン・ブリエ」。神の手が働いたかのようにひび割れがうつくしい「赤味噌(あかみそ)のトゥルト・ドゥ・セーグル」。れんがに無数の宝石を埋め込んだような「パン・オ・フリュイ」。うつくしいパンは1個2個ではなく、うずたかく積まれる。それを見ると、宝の山に踏み込んだピラミッド探検家のような気持ちになり、理性を失って抱えきれないほどのパンを注文してしまう。

食べても呆然(ぼうぜん)とするばかりだ。分け入っても分け入ってもイチジク。そんな印象の「パン・オ・フィグ」。イチジクを混ぜ込んだ生地に具もイチジクという大胆不敵な試みが途方もない味わいを生む。麦から湧きたつ、鼻腔(びこう)を刺すような穀物の香りが、そのままイチジクの甘さへと移り変わっていく奇跡の展開。さらにイチジクの粒を噛(か)む。ねっとりした香りの広がりが想定を超え、噛むほどに衝撃波が広がる。

パン・オ・フィグ
パン・オ・フィグ

足立恵太シェフは、パリ、そしてフランス全土を歩き、日本で知られざるパンを探し当て、徹底的に再現する。このパンは、パリの修業先で習い覚えたもの。ミキシングのとき、粉を入れるより先に、ラム酒漬けのいちじくを入れてペースト状にすることで、イチジクが生地に憑依(ひょうい)する。

「窯入れのタイミングもすごくむずかしい。窯が空くタイミングを見計らって成形し、20分以内に窯入れする。成形も相当速くやらないといけません」

イチジクによって生地が溶ける。加水も多い。スライムのようにやわらかい生地を疾風怒濤(しっぷうどとう)の速さで足立さんは成形する。それでいて、なぜあの圧倒的なうつくしさのパンを作れるのか?

「『ヴィット・エ・ビアン』(速く、きれいに)。『ヴィット!』(速く)と厨房(ちゅうぼう)でよく言われるように、フランスのパン職人は大量に作ります。それに加えて、『ビアン』(きれいに)も目指しています。速くやらないとできない“表情”があるんです」

流動する物体の美。やわらかな生地が流れ出そうとする瞬間に生地をまとめあげ、一瞬の形をオーブンの熱で定着させる。流れる水の表面に墨を流したような表面の模様はそうして生まれる。

パン・ド・カンパーニュの自家製パテサンド
パン・ド・カンパーニュの自家製パテサンド

「パン・ド・カンパーニュの自家製パテサンド」。パンとパテの組み合わせにこんなにも説得力と狂おしさを感じたことはない。わかりやすく例えるなら、ウスターソース。パテが発する豚の旨味(うまみ)、漬け込んだ野菜の甘さ、パンが発するライ麦の香り、ルヴァン種の酸味が、完成したソースのようなマリアージュを奏でる。さらにケイパーの酸味がスパークするとき、キムチのような旨味の爆発が起きる。

このサンドにおける最高の驚きはパン。カンパーニュとしてありえないぐらい、もっちりとする間もなくすぱっと爽快に切れる。ミキシングのとき「低速を引っ張る(長くかける)」ことによって、もろいグルテンを作りだすのだ。

レモンクリームのパイ
レモンクリームのパイ

香りは想定外の芳醇(ほうじゅん)さで、常識を軽く突破する。「レモンクリームのパイ」においては、かりかりかつエアリーな食感も涙してしまうレベルだが、それでは終わらない。キャラメリゼされた表面、中に仕組まれたアーモンドの甘さが重なり合う桃源郷が浮かび上がったそのとき、レモンクリームの酸味がハウリングするギターの轟(とどろ)きのようにきーんとかき乱す。甘さと柑橘(かんきつ)感という逆ベクトルの拮抗(きっこう)にめまいを起こしそうだ。

モデルはリヨンの地方菓子「ビション・オ・シトロン」。フランスへの熱すぎる愛情ゆえに、かつてはフランスそのままに作ることを自らに強いていた足立さんだが、この新店舗では鉄の掟(おきて)から解き放たれ、素材の声を聞き、自らがおいしいと思ったように作り替えるようになった。「ビション」のパイ生地は、クロワッサンの二番生地に変え、旨味とエアリーさを盛りこんだのだ。

「パンチの効いた生地でおいしくなりました。レモンクリームには、フレッシュなレモンを搾って、ゼスト(レモンの皮)も削って、めちゃめちゃ入ってます」

完膚なきまでに打ちのめされた 食欲も美的感覚も刺激するパン/アダチ
(左から)マンゴーとパッションフルーツのパン・オ・フリュイ・セック、カシスマロン、パン・ア・ラ・シャテーニュなど

さて、先日発表され、アダチストを失意のどん底に突き落とした、横浜店の閉店。ひとつひとつのアイテムに魂をつぎ込みつつ2店舗を運営することに、気力も体力も限界となった。さらに、職人として重視する「速さ」に関わる理由もある。

「横浜店ではトラブルが多く、そのたびに仕事の手を止めなくてはならなかったのも要因。ビジネス的に成功したいわけではなく、もっともっと、いいパン職人になりたい。そのために、自分ができる範囲でベストを尽くせる、身の丈に合ったサイズのお店作りをやっていきます」

あの「速さ」を実現するためには、仕事を削り込み、パンに没頭する他ない。静岡は遠いだろうか? いや、この傑出した才能が完全集中したパンを食べられるのなら、遠いということは少しもない。

アダチ
静岡県長泉町下長窪1175-11
045-298-4034
9:00~19:00(売り切れ終了)
月、火、第3水休

フォトギャラリーへ(写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます)
「このパンがすごい!」紹介店舗マップ(店舗情報は記事公開時のものです)

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