旧ソ連時代から愛され続けている四駆 コンパクトでキュートな「ラーダ・ニーバ」

ルノーサンクのボディーを、レンジローバーのシャシーに。1976年に旧ソ連(現ロシア)で生まれたコンパクトなクロスカントリー型4WD車「ラーダ・ニーバ」はそう評されたりする。要するに、かわいくて、かつオフロードで高性能、という意味だ。
このクルマを語るとき、戦後のソ連史と重なるところが面白い。もちろんソ連史なんて、今ニーバを見て“カッコいい”と評する20代には、遠い歴史のひとコマでしょうが。

なぜソ連史と書いたかというと、開発に大きく関与していたのが、旧ソビエト連邦の元首相(1964年から80年)である故アレクセイ・コスイギンだから。
苛酷(かこく)な条件が多い大地を走れるクルマが欲しい、とコスイギン元首相が強く後押しをしたそうだ。同時にコ元首相は、競争力のある消費財を手がけ西欧に追いつく、なる考えを抱いていたのも関係しているといわれる。

で、出来上がったのが2ドアとテールゲートを備えたボクシーなボディーのニーバ。副変速機つきのパートタイム4WDなる、パジェロなき今ではスズキ・ジムニーや一部の米国車ぐらいでしかお目にかかれない四輪駆動システムを備えている。シャシーはモノコックだったものの、悪路走破性の高さは、目論見(もくろみ)通り西欧市場でも高く評価された。
もう少しマニアックなことを書くと、ソ連のアフトVAZ設立には、ソ連の天然ガスに強い魅力を感じていたイタリア政府の後押しもあり、フィアットが大きく関わり、モデル開発にあたっては積極的な技術供与を行っていた。

ジグリVAZ2121が本国の名称だったラーダ・ニーバ(西欧市場向けにはラーダというブランド名を使用)のベースは、フィアット124。64年にイタリアで発売された四角い車体のコンパクトセダンだ。デザインはダサかっこいいと評すべきか。
話が脱線するけれど、まだ戦争の傷がいえていない当時のイタリアの、ドンくさいクルマである。124セダンを見ると、ビットリオ・デシーカ監督の傑作「ひまわり」(70年)をつい連想してしまう。ソ連とイタリアを舞台にした、あの静かな哀(かな)しみに満ちた映画のなかにぴったりなのだ。
ニーバが開発された時点で124セダンのモデルライフは10年も経っていた。かなりの古さだ。それには驚くけれど、さらに驚くことがある。ニーバは今も生産されているのだ。ただし、これは決して暗いニュースではない。
ラーダが2017年に仏グループルノー傘下に入った際、ルノーの経営陣はさすがにニーバはもういいでしょ、と思ったものの、市場の人気が生産中止を許さなかったのだ。そこでルノーは、「ニーバ」現行モデルと並行して、76年のこのモデルに「ニーバ・レジェンド」と新たな名前をつけて販売再開したのである。

ニーバの人気はモータースポーツでの活躍もひと役買っている。代表的なものは、「パリダカールラリー」。ニーバは1979年の第1回から参戦し、81年はなんと13台がエントリー。このとき、1台が、レンジローバーとかトヨタとかメルセデス・ベンツなどの強豪を抑えて3位に入賞したのだ。
私は80年代に、正規代理店も持たないまま、いわゆる並行輸入されたニーバを運転したことがある。ひとことでいうと、タイムマシンで大昔からやってきたクルマ、という印象だった。
ディーゼルエンジンは回らないし、ものすごくうるさいし、乗り心地が悪かった。ジムニーやメルセデス・ベンツのゲレンデバーゲンやランドローバーやパンダ4×4よりはるかに野蛮(これらのクルマは当時オフロード走行向けだった)。いいのは、コンパクトでキュートなスタイリングだけ、と思ったものだ。

今も、細々とながら輸入が続いていて、時々、東京・世田谷区にある我が家の近所で30代とおぼしき女性が楽しそうに乗っている姿を見かけることがある。ひょっとしたら、ニーバは変わっているかもしれない。クルマへの嗜好(しこう)が変わっていると考えたほうがいいだろうか。新しい技術を追求しないクルマだと、ほっとするのかもしれない。
欧州ではリモコンキーでドアの解錠施錠が出来たり、USB経由でオーディオが楽しめたりと、快適装備も(オプションながら)増えているようだ。一度乗るチャンスを探してみて、またそれについて書ければ、と思っている。
【スペックス】
車名 ラーダ・ニーバ(1976年)
全長×全幅×全高 3720x1680x1640mm
1569cc直列4気筒 パートタイム全輪駆動
最高出力 78ps@5400rpm
最大トルク 12.5kgm@3400rpm
(写真=LADA提供)
過去、オーナーだった者から言わせていただきますが、エンジンはディーゼルではなくガソリンです。
まあ、1700ccにしてはプアな馬力ですが。
JALNECの皆様、お元気だろうか…