城旅へようこそ
連載をフォローする

特例で築かれ十数年後に落城、波乱万丈の松前城 「青天を衝け」の城(6)

松前城(福山城)、復元された天守と現存する本丸御門

戊辰戦争であっさり落城したわけ

ところが、この海防重視の設計があだとなり、松前城は悲惨な末路をたどってしまった。1868(明治元)年、戊辰戦争で旧幕府軍の攻撃対象となると、陸続きの北側から攻められ瞬く間に陥落したのだ。城の北側は台地が緩やかに高まり、敵にとっては攻め込みやすい地形だ。築城時には陸戦をほとんど想定していなかったため、砲台は一つも設置されず、わずかに土塁があるのみで堀切すらなかった。この弱点を突かれてしまった。

大河ドラマ「青天を衝け」でも描かれていたように、蝦夷地に上陸した旧幕府軍は五稜郭(函館市)を占拠すると、すぐさま新選組副長土方歳三が陸軍隊・額兵隊(がくへいたい)を率いて松前城へ進撃を開始した。松前藩は防戦するも、城内の一部と寺町に自ら火をつけて敗走。1869(明治2)年には新政府軍が松前城を奪回しているが、約2年にわたり戦場となったことで、城と城下町には甚大な被害が出てしまった。

石垣に残る銃痕
石垣に残る銃痕

松前城は、1872(明治5)年に開拓使の支配下に入ったのち取り壊しが決定し、1875(明治8)年までには多くの建物が取り壊され、堀は埋め立てられた。このとき天守は解体を免れたが、1949(昭和24)年に松前町役場の火災が飛び火し焼失してしまった。本丸に建つ天守は、1961(昭和36)年に鉄筋コンクリートで再建され、資料館として公開されている。老朽化を受け、現在は木造での復元を計画中だ。

明治期に天守とともに残された建造物のうち、本丸御門と本丸表御殿玄関が現在も残っている。本丸御門は天守の西側に建つ大手門で、三間一戸両脇戸付きの櫓門。天守との間には塀が取りつけられている。

現存する本丸御門
現存する本丸御門

本丸表御殿は松城小学校校舎として使用されたが、新校舎建設にあたり1900(明治33)年に撤去。表御殿玄関だけが小学校の正面玄関として再利用された。1982(昭和57)年に曳屋(ひきや)で二の丸跡に移設された。福山館の建物をそのまま利用したとされ、唐破風(からはふ)や懸魚(げぎょ)などに江戸時代初期の建物の雰囲気が感じられる。

二の丸に残されている、本丸御殿表御殿玄関
二の丸に残されている、本丸表御殿玄関

(この項おわり。次回は9月20日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト
■松前城(福山城)
http://www.town.matsumae.hokkaido.jp/bunkazai/detail/00001681.html(松前町)

フォトギャラリー(クリックすると、写真を次々とご覧いただけます)

REACTION

LIKE
COMMENT
0
連載をフォローする

SHARE

  • LINEでシェア

FOR YOU あなたにおすすめの記事

POPULAR 人気記事

※アクセスは過去7日間、LIKE、コメントは過去30日間で集計しています。

RECOMMEND おすすめの記事

&MEMBER限定の機能です

&MEMBERにご登録(無料)いただくと、気に入った記事に共感を示したり、コメントを書いたり、ブックマークしたりできます。こうしたアクションをする度にポイント「&MILE」がたまり、限定イベントやプレゼントの当選確率が上がります。

&MEMBERログイン

ID(メールアドレス)
パスワード

パスワードを忘れた方はこちら

&MEMBER登録はこちら

&MILEの加算アクション

  • &MEMBER新規登録:100マイル

    *今後、以下のアクションも追加していきます

  • 朝日新聞デジタル有料会員の継続:100マイル
  • ログインしてサイト訪問:10マイル
  • 記事に「LIKE」を押す:10マイル
  • コメントの投稿:30マイル
  • 自分のコメントに「LIKE」がつく:10マイル
  • アンケート回答:30マイル
  • 「朝日新聞SHOP」での購入:50マイル
  • イベント申し込み:50マイル

&MILEの獲得数に応じてステージがあがり、ステージがあがるごとに
&MEMBER限定のイベントやプレゼントの当選確率が上がります。詳細はこちら