チャーリー・ワッツ死去 ローリング・ストーンズが、ロック音楽界が失なおうとしているものとは――

大袈裟ではなく、世界中の無数のロック音楽ファンの胸中には、かつてない不穏な影が湧き上がっているのではないか。去る8月24日(現地時間)、ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが逝去したせいだ。彼の死は、たんなる有名ミュージシャンの他界というだけではない、より大きな意味を文化史的に持たざるを得ない。
今度こそ本当に「ロック音楽の終焉(しゅうえん)」が始まる、のかもしれない。なぜならば、あのローリング・ストーンズが、ついにその歩みを止めてしまう――かもしれない――からだ。「ストーンズのいないロック音楽界」など、あり得るのか、どうか。
あまりにも長く、しかも「継続して」彼らは活動してきた。63年のデビュー以来ずっと「50年超どころか、60年近くものあいだ」ロック音楽界に彼らが「いる」ことが、人類にとって当たり前の大前提だった。たとえば僕は「サティスファクション」が発表された年、1965年に生まれた。だからつまり「ストーンズがいない世界」を僕は一切知らない。ゆえに、これからのロック音楽界がどんなことになってしまうのか、正直言ってよくわからない。

もっとも、これを書いている現時点(9月2日)に至るまで、解散や活動休止につながるニュースは、バンド・オフィシャルから一切出てはいない。それどころか逆に、9月26日のセントルイス公演を皮切りに予定されていた全米ツアーは、そのまま決行されることがアナウンスされている。ワッツの席には、キース・リチャーズのソロ活動時のバンドでドラムスを担当するスティーヴ・ジョーダン(ジョン・メイヤー・トリオでもある)が座り、代役をつとめることになる。
ちなみにこの設定は、ワッツの訃報(ふほう)に先立つ、8月5日にすでに公表されていたものだ。そのとき同時に、ワッツが手術をおこなったこと、それゆえ休養が必要であり、だから彼が「初めて」ツアーに参加しないことも伝えられていた。ともあれストーンズ側は、この体制にてツアーへと突入し、もってそれを、ワッツへの追悼としたいとの意思を示しているらしい。
つまり、史上初めて「チャーリー・ワッツが叩(たた)かない」ローリング・ストーンズのコンサートが、ほどなくして開催されてしまうことになるわけだ。
メンバーから敬愛されていたチャーリー・ワッツ

80歳で没したワッツは、63年、21歳のときに請われてストーンズに加入する。以来「地上最強のロックンロール・バンド」のドラムスの座には、ただひとり、彼だけが座り続けていた。あらゆるポピュラー音楽の歴史上、類を見ないほどの長きにわたって。
ワッツは、とにかくメンバーから愛されていた。なかでもリチャーズの信頼が厚く「チャーリーのドラムがなきゃ、ストーンズじゃない」と、彼はことあるごとに口にしていた。
リチャーズのギターとワッツのドラムスのあいだに生じる、得も言われぬ化学反応が、独特なるストーンズ・サウンドの鍵であり、魅力の源泉だった。ときにルーズに、レイジーに、しかし勘所でビシッと決まる「あのグルーブ」へとつながっていったわけだ。
また、ワッツが愛されていたのは、プレーヤーとしての部分、音楽性の部分だけではなかった。人格的にも、ワッツは他のメンバーから、深く敬愛されていた。それはこの映像を見ればわかる。8月28日、ローリング・ストーンズのオフィシャルSNSはこの追悼動画を発表した。
動画で使われている楽曲が面白い。これはストーンズ・ナンバーのなかで、さほど人気が高い曲じゃない。「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」と題されたこの曲は、74年のアルバム『イッツ・オンリー・ロックンロール』に収録。同作のオープニング・ナンバーとなった。今回これが起用された理由は、歌詞にある。ヴァース1(一番)の冒頭、歌い出しの部分に、その秘密がある。
こんな具合だ。「The band’s on stage and it’s one of those nights, oh yeah」ときて、「The drummer thinks that he is dynamite, oh yeah」と受ける。「バンドがステージに出ると、いつもの夜が始まる」「あのドラマー、自分のことを『ダイナマイトだな』って思ってるぜ」オー、イエー!――といった感じだ。つまりこれは、ワッツのことを「(愛情をもって)いじっている」歌詞で幕を開ける、という一曲なのだ。
「馬鹿になって、ワイルドに盛り上がろう!」といったぐらいの曲の、まさにとっかかりの部分にてこの「ダイナマイトなドラマー」への言及が出てくる。僕は、この曲を最初に聴いたときからずっと、ソングライターであるミック・ジャガーとリチャーズの、ワッツへの親愛の情を強く感じていた。なぜならば「いつもクールに表情が変わらない」「淡々と仕事をこなす職人」みたいなドラマー、というのが、むかしからワッツの一貫したパブリック・イメージだったからだ。
だからそこをいじったのだが、しかしそれは「からかっている」というよりも、じつはそもそも真剣にミック&キースが「やつこそがダイナマイトなんだ!」と考えている節があって、その意識がこの曲に命を吹き込んでいたように思えたのだ。「楽しき楽屋落ち」とでも言うような。そんな曲を追悼の一発目に持ってきたというところに、「これぞ仲間というものだ」と僕は深く感じ入った。
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偉大なるロックの巨人もついに歩みを止めるのか。
チャーリーは疑いようも無くストーンズの心臓だった。
老兵は消え去るのみなのか?
ストーンズのベースはビル以外に無く、ドラムはチャーリーの他はあり得ない。
ジョンアンダーソンとクリススクワイヤの居ないイエスはイエスでは無いように。
かつてチャーリーは最高のロックドラマーは誰かと質問されて「ジョンボーナムだ」と即答した。
しかし我々は「最高のロックドラマーはチャーリー、あなただ」と即答するだろう。