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東京の台所2
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〈240〉週末しか立たない台所が育む情愛

〈住人プロフィール〉
会社員・35歳(女性)
分譲・マンション・1LDK・山手線 駒込駅(北区)
入居5年・築年約40年
夫(会社員・35歳)、長男(2歳)との3人暮らし

    ◇

 「台所の取材を受けていてこんなこというのもあれですが、じつは週5回夕食は宅配の食事サービスを利用しているんです……」
 話の中盤で、彼女は少し申し訳なさそうに告白した。なにも悪びれることはない。ただ、設計士として自ら古いマンションをリノベーションしたというこだわりの台所で、料理をしないという告白を意外に思った。そうなるに至った深い背景がありそうだ。

 昨年4月、1歳の長男の保育園入園が無事決まり、会社に復帰するつもりだった。それが、コロナ禍で6月まで延期になった。園から強制されたわけではないが、区から可能な限り育休延長するよう通知がきた。

 育休延長するまでの1年4カ月間は、葛藤の連続だった。ちょうどその時期、夫が仕事の資格試験のため帰宅後も毎晩勉強をしていた。
 「私が休んでいるんだから私がやらなきゃ、彼は試験なんだし頼っちゃいけないと思い込んでいました。ひとりでお風呂に入れて、脱衣所に息子を置いて、1分くらいで体を洗って。子どもから離れるので、シャワーで目をつむる瞬間さえ怖かった。今思うと過敏だったんですね。脱衣所でわけもわからず涙が止まらなかったこともありました」

 夫はもともと料理も家事も育児もイーブンにやるべきという思考を持っている。友達からは、「なんでもやってくれて、いいだんなさんね」と言われる。そういわれるたび、小さなもやもやがつのる。
 「私は四六時中、子ども中心に考えている。けど彼の勉強は、“自分の時間”よねと。もともとルーティンを崩さない人で、1時間必ずお風呂に入るんです。こっちは目を開けて頭を洗っているのに、あなたはいいわねってよく怒ってましたね」

 育休の後半は考え続けていた。
 どうして、つねに子どものことを考えるのは私だけなんだろう。
 夫には勉強と仕事があり、物理的な時間の制約がある。家事・育児が頼れないのはしんどいと思いつつも納得していた。けれど、わだかまりが消えない。
 「私は子どもを寝かしつけている間とか移動中とか、ふとした隙間時間に子どものことを考えてる。携帯を手に取れば発達についてリサーチしたり、育児グッズをネットで買ったり。夫は通勤や風呂時間イコール休み時間で。その差ってなんなんだろうなあと。いっぽうで、自分の経験でも頭の休憩時間がないと試験は切り抜けられないよなとも思う。で、ストレスフルになるまで我慢してから爆発するという繰り返しでした」

 最後は彼女が一方的にキレて、バトルになってしまう。手作りでなければ。薄味でなければ。料理でも育児でも“こうでなければいけない”と完璧主義に陥っていたのも良くなかったかもしれないと今ならわかるが、当時は俯瞰(ふかん)する余裕がなかった。

 あるとき、彼が言った。
 「試験が終わったら離乳食作りは僕に任せて。すべてを一気にやるのは無理だけど、料理に絞れば、僕でもやれるから」
 限られた時間の中で何ができるか。彼なりに精いっぱい考えての提案だった。
 「考えてみると、子どもとの触れ合い方とか、どういうおもちゃがいいかとか。ずっと調べながら育児をしてきた私と違って、ある意味夫にはブランクがある。“意識を私と一緒にして”には無理があるんですよね。それに彼は料理が得意で、私よりはるかに手際がいいんです。私は野菜ひとつ切るにも時間がかかっちゃう。だったら試験が終わったら頼ろうと、その言葉が支えになりました」

 折しも、コロナ禍で夫は在宅ワークが増えた。すると、誰かがいてくれるという安心感は想像以上に彼女の気持ちを安らかにした。気持ちを吐露するたび、彼の寄り添おうという姿勢もまっすぐ伝わる。

 2020年6月、職場に復帰。共働き生活が始まった。
 少し前に彼は試験に合格し、料理を引き受けていたが、実際には食材の買い出し、献立の決定、料理とどんなに分担を決めても、思うように機能しない。互いに圧倒的に時間が限られ、家事が追いつかないのだ。

 「おまけに私は持ち帰る仕事も多くて。気持ちは焦るんだけど、子どもはなかなか寝てくれないし……。気づいたら自分の時間がゼロになっていました。でももう育休中のようなバトルはしたくない。家族全員が心地よく暮らすために家事のどこを削ろうかと夫と相談した結果、宅食という選択になったのです」

台所横のパントリー。乾物、食品ストック、レンジ、ホームベーカリー、ホットプレートなど

料理する時間がありがたい

 現在、平日の夕食は宅配の食事で週末はほぼ夫が作る。宅食は幼児食対応コースがあり、添加物や栄養バランスにこだわった献立だ。温めればすぐ食べられる。

 「保育園から子どもと帰宅したらすぐ、一緒にご飯を食べられます。夫が在宅ワークのときは3人一緒に“いただきます”ができる。育休中、ひとりで面倒を見ていた時、私自身は何を食べたか記憶がなかったんです。離乳食作りや食べさせることに必死で、自分は立って食べたり食べなかったりだったから。今はゆっくり一緒に食事を楽しめることがなによりうれしいです」

 買い物と料理の時間がなくなったことで、毎日ほかの家事ができるようになった。以前は土日のどちらかは一日掃除や洗濯で終わっていたが、今は朝から親子3人で出かけられる。
 また宅食は、自分では買わない食材や料理を味わえるメリットもある。
 「自分たちではやらない味付けを知れたり。宅配にすることで、家族で楽しむ時間が格段に増えました。食生活を他者に任せたことで、なんでもガチガチに考えがちだった自分を緩めることもできました」

 変化はまだある。
 これまで、料理は「作らなきゃいけないから作る」と、どこかで義務感があった。
 「今は自分が作れる時間がある日はうれしい。料理ができるのはぜいたくな時間という感覚があります。土日は彼が作ってくれるので、私はもっぱら“あの料理にチャレンジしたい!”と挑む、特別なごちそう担当。“作らなきゃ”から“作りたい”に変わり、楽しさが生まれました」

 夫との会話もぐんと増えた。
 母親だけが育児の責任を背負いこみがちな問題もしばしば話題にのぼる。なんでだと思う?と夫に聞いた。すると、自らの体験を重ね合わせて答えた。
 「男はどこか当事者意識がないからじゃないかな」
 イーブンな意識を持っている夫であっても、「産休や育休をとっているほうがやればいいじゃんという感覚が抜けなかった」と、率直に振り返る。

 「同じような年齢、同じような教育環境、仕事の状況でも家事や育児の分担については家庭ごとに大きく違う。なんでだろうってふたりでよく考えます。私たちが今素敵だなと思うのは、どちらか一方が何かを我慢するのではなく、子どもがいても男女セットでキャリアを高めることを考えられる夫婦のありかたです」

 ハレの日料理以外、自分で設計した台所にあまり立てていないのはさみしいが、「きっと時が満ちたらそのタイミングが来ると思うので楽しみにしています」と柔らかな笑顔に。
 週5回宅配で、料理をする姿を見せないのは子どもにとってどうなんだろうと不安に思ったこともあるらしい。
 「リビングのままごとセットで、フライパンを振っているのを見て、あ、ちゃんと見てるんだわって思いました」
 そのうしろ姿が母だろうと父だろうと、それが週末だけだろうとかまわない。夫婦ごとに正解は違うのだ。

リビングの一角にあるおもちゃのキッチンコーナー

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台所のフォトギャラリーへ(写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます)

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