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五稜郭 幕府の威信と戊辰戦争終焉の地  「青天を衝け」の城(7)

五稜郭タワーから見下ろす五稜郭

財政難か 工事を大幅縮小した結果……

外から五稜郭内を見えなくするため、「見隠塁(みかくしるい)」という(しとみ)が3カ所の虎口に造られた。品川台場(東京都港区)にも見られる、最上段をせり出して敵の進入を防ぐ「槹出(はねだし)石垣」も現存する。

「見隠塁」と呼ばれる蔀土塁も巨大
「見隠塁」と呼ばれる蔀土塁

幕府の財政難などで工期短縮の必要があり、五稜郭は当初の構想に比べて工事の規模が大幅に縮小されている。たとえば、最終設計図と思われる絵図をみると、出入り口をトンネルのような構造にする計画があったようだが、実現していない。初期の設計図と思われる「五稜郭初度設計図」(市立函館博物館蔵)には、半月堡が五つ描かれていたが、実際に造られたのは一つだった。

現存例の少ない「槹出石垣」
現存例の少ない「槹出石垣」

格を優先した箱館奉行所庁舎

城郭全体の工事を縮小する一方で、箱館奉行所庁舎には多額の費用をかけていたのだから驚きだ。幕府の価値観や美意識が反映された、当時の日本で最高峰の技術を動員した御殿といえる、江戸の職人が手がけた本格的な書院造りの建物だ。

復元された箱館奉行所庁舎
復元された箱館奉行所庁舎

技術だけでなく、資材もえりすぐりの品だった。能代(秋田県)で加工したヒバやスギが船で運び入れられた。礎石には北陸の笏谷石(しゃくだにいし)が、屋根瓦は越前産の赤瓦が使われたことも、発掘調査や釉薬(ゆうやく)分析でわかっている。函館市教育委員会によると、五稜郭の敷地内に植えられた立派な松は85本残っているが、築城時には444本をわざわざ佐渡島から運んだという。

かつては444本の松が植えられていたという
かつては444本の松が植えられていたという

開国という事態の中、諸外国と対等な関係を築いていく方策を、幕府は模索したことだろう。その結果、防御力に直結する半月堡の建設を途中でやめてまで、外交の場となる建物の格を優先したのかもしれない。

(この項おわり。次回は10月4日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト
■五稜郭
https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014011601482/(函館市)

フォトギャラリー(クリックすると、写真を次々とご覧いただけます)

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