共感にあらがえ
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<13>「共感」に振り回されないためにはどうすれば? 個人が意識すべき四つの視点

テロ・紛争解決の専門家であり実務家でもある永井陽右さんが「共感」の問題点を考察する連載です。最終回となる今回のテーマは、我々はいま「共感」とどう向き合えば良いのか。永井さんは四つのポイントを挙げて論じます。

     ◇◆◇

光陰矢のごとし―――前回から実に16カ月が経ってしまった。ここまで最終回が遅れてしまったことはなんとも情けないのだが、この期間、もちろん色々と実践を続けてきた。

紛争地でのテロリスト相手の仕事はソマリアに加えイエメンでも開始し、それと並行して若者の権利に関する国際条約の制定に向けた動きも始めた。また、共感の問題も考察を重ね、単著『共感という病』(かんき出版)がこの7月に発売された。振り返れば、この16カ月は思考と実践を積み上げてきた非常に濃厚な期間だったと言える。

本連載では、最初に共感が持つ負の側面について指摘をしていき、その後様々な識者との対話を通じて、共感にのみ込まれる現代においてどのように共感と向き合い、どのように社会に働きかけるべきかを考えてきた。

そして前回では、ままならない社会に対して「理性」や「権利」の重要性を叫び続けるだけでは状況は大きく変わらないということを整理し、結局のところ、問い方を工夫していき、問い続け、考え続けるほかない、と説明した。なんとも歯切れが悪く、意味がありそうでないような結論なのだが、具体的でテクニカルな議論をひとまず置いておくと、そうした意見にたどり着く。

最終回は、社会ではなく個人という点について触れようと考えている。というのも、これまでは社会(特に世間から共感されない社会課題)をどうするのかという点について検討してきたが、その社会にいる私たち一人ひとりといった個人については実のところあまり触れてこなかったからだ。

共感というものが良くも悪くも極めて大きな影響を持っているこの社会で、個々人はどのようなことを意識する必要があるのか。共感に自分も他人も振り回されてしまわないように。そして社会と世界を少しでも良くするために。紙幅の都合もあるので簡単に4点だけ触れたい。

理性とは、人権を諦めないための錨

1点目は、理性の錨(いかり)を持つということだ。これまで再三指摘した通り、基本的に共感の問題とは、人々の感情が極めて限定的な範囲のみを照らすスポットライト的な性質を持つことにある。簡単に言うと、スポットライトの光が当たらない人、すなわち他者から共感されにくい人は、支援が必要な状況にあっても社会から取り残されてしまうというわけだ。

だからこそ政府や行政といった公共機関があるのだが、日本のような先進国においてもそれらは全く完全なものではない。また、そもそも政府が破綻(はたん)していたり公共サービスがなかったりする場所も紛争地を筆頭にこの世界にはたくさん存在している。公的な支援を期待できず、なおかつ社会からも共感されない・共感されにくい人をなおざりにしないためにも人権や理性が必要なのである。

とはいえ、人権の重要性だけを伝えても仕方がない。この世界はそんな奇麗なものじゃないと言われるし、私自身その通りと思うところもある。しかし、それでも、人権なんてものは存在しない、とはならない。あくまでも人権の守り方が不完全なだけであって、人権そのものの普遍性が失われるということではないからだ。

また、理性とは、人権を諦めないための錨だ。「守ろう人権!」といった美しいスローガンではなく、全く共感できない人間に対して「話したくもないし、関わりたくもないし、なんならムカつくけど………それでも権利はあるよね」と考えるほうが人間の心性に沿っていて無理がない。まさに、波にあらがう錨のようなイメージと言えよう。本能や直感を変えることは難しい。だからこそ、そのことを認めたうえで、流されないための理性的な錨が必要なのだ。

この理性の錨は、他者を傷つける機会を減らすことにもつながる。共感の暴走が、他者の攻撃に発展することはままある。ジェノサイドのような圧倒的な暴力しかり、時に人を自死にまで追い込むSNSなどでの容赦のないバッシングや中傷しかり。

かつてルワンダのジェノサイド記念館を訪れた際、無数の遺体とともに「もし、あなたが私のことを知っていて、あなた自身もあなたのことを知っていたら、あなたは私を殺したりしないでしょう」という言葉が紹介されていた。ジェノサイドからおよそ30年以上が経った今、その意味を改めてかみしめている。他者よりもまず、私たちは自己の理解から始めるべきなのだ。自己理解を通して、他者を理解できることもある。

物事は多元的 白黒の明確化にこだわらない

2点目は、無理に白黒はっきりしなくていいということだ。近年はSNSの発展により、誰もが自由に意見を発信にするようになった。それに伴い、議論の流れで立場の表明を求められる機会も増えている。特に政治家や経営者の時代遅れな発言が話題になった時や、重要な法案が審議される時、あるいは選挙の前などに、「あなたの意見は何?」「立場はどちら?」というような圧力を帯びた雰囲気が生まれる。そこで声をあげないと、「沈黙していることは肯定していることと同じだ」と面識のない人からいきなり言われることだってある。良くも悪くも賛成か反対かということを突き付けられる時代になってしまった。

しかしながら、物事は多元的であり、思考の輪郭線が常にぼやけていたほうが、より良い社会の創造に貢献できると私は考える。また、白黒を無理にはっきりさせる必要はないスタンスだからこそ、他者と共有できることや話せることがきっとある。

不支持の政党に賛同できる政策を発見することもあるだろうし、あらゆる政治的・社会的イシューの是非は立場を超えて選択すれば良い。そのほうが個々人の感覚的にもリアリティーがあるだろうし、不要な対立や分断も招かないように思える。

そうした点において重要なことは、何よりも自分を通して考えてみることだ。YouTuberが言っていたから、自分が支持する人が言っていたから、SNSで有名な人が言っていたから、ではなく、あくまでも自分を通して考えてみる。それこそが対立や分断を乗り越える一つの鍵なのだ。

また、意見なんて変えていい。その時々の環境や思考によって変わってしかるべきものだろう。過去と現在の主張が一致していないとたたかれる風潮があるが、例えば10年間意見が微塵(みじん)も変わらない人がいたら、そちらのほうが不自然と思わざるを得ない。むしろ、思考する中で、どのようにして意見が変わっていったのか、そうしたことを共有し合い、話し合うことこそ今期待されている。

他者の評価は気にしない 必要なのは自己肯定

3点目は、誰かに共感されなくても、誰かとつながっていなくても、基本的に全く問題ないと考えることだ。SNSやコミュニティーの中にいることで、「共感中毒」とでも言うような状態に陥り、苦しむ人は決して少なくない。「いいね」が付くと喜び、付かないと落ち込む。しまいには他人の「いいね」に嫉妬し始める。こんな不幸で非生産的で空虚なことはないだろう。

そもそも、自分は自分であり、それ以上でも以下でもない。自分と他者しかいないのである。つぶさに見れば、究極的には自分しかいないとさえ言える。そんな自分の存在は、誰かに肯定されなければ存在しないといったものでは決してない。

存在価値や存在意義といった言葉も耳にするが、我々はそもそも気が付いたら存在しているわけで、価値や意義などを見いだせるから生まれたというわけではない。人類を救ったから良い存在ということもない。私たちは皆、気が付いたら存在している。そうであれば存在価値なんて心底どうでもいいし、気になるなら好きに自分で決めてしまえばいい。答えはないのだから。

また、仮に社会的に存在価値や存在意義がないとしても、人権は誰にも普遍的に認められているし、存在している。だからこそ、胸を張って勝手に一人で堂々と自己肯定すればいいのだ。というか、自己否定する必要がないのである。自分は自分で今存在している。そのことに根拠や理由なんてものは必要ない。そしてそう思う、そう理解するからこそ、自分でない他者の存在を自覚し、認めることができるのではないか。

その視点を社会に落とし込むと、他者の権利を認めることにもつながる。そして、他者に依存することから脱却することもできる。つまり、この姿勢は、共感中毒に陥らないための一つの処方箋(しょほうせん)でもあったりするのだ。

感情と理性を折り合わせ、試行錯誤を重ねる

最後の4点目だが、良い社会を創ることとは、以上の3点を踏まえつつ試行錯誤していくことなのだと思う。感情に任せるのではなく、共感をうまく使いながら同時に理性も働かせる。空気に流されるままではなく、自身の感情の手綱をしっかりと握り、社会から取り残されている人がいないか、意見の異なる相手との対立や分断をどう乗り越えることができるか、などを常々考え、行動するということだ。

しかしそれはまさに、言うはやすく行うは難しというものだ。だからこそ、試行錯誤なのだ。感情と理性がぶつかる問題に対し、どのように理想を実現するのか。それを個人レベルでも、グループレベルでも、組織レベルでも、行政および国レベルでも、そして地球レベルでも思考し、行動していく必要がある。こうしたことはまさに理性の力である。知性とも言えるかもしれない。

テロリストの更生や紛争解決に現場レベルで取り組んできた身として思うのは、情念や共感に根差した思考や行動だけで問題が解決しないのであれば、感情と理性をどのように組み合わせていくか、また理性はそこでどう機能しうるのか、といったことを繰り返し考えていくほかないだろうということだ。そうした思考の下に試行錯誤しながら実践を重ねるなかで生まれるものもある。

それは何も紛争地の前線に限ったことではなくて、日本国内ももちろんそうであるし、究極的には全ての場がそうかもしれない。共感できない他者、わかりえない他者、救われない他者、今後も会うことはないであろう他者、自分以外の存在と実際問題どう向き合っていけるのか、他人の言葉に乗っかるのではなく、地に足を着けて自分を通して考えるということ。そして、唯一分かり得るであろう自分とは何者なのか、正面から向き合ってみるということ。その理性的かつ真摯(しんし)な思考こそが、共感とともに世界を良くする鍵だと思う。

私自身、ここに書いたような試行錯誤をこの先も続けていく。そして今後は共感のみならず、「権利」の本質や〈私〉(=唯一無二の存在としての自分)、そして道徳や倫理についてさらに思考を深めていきたいとも思う。どこかでまた皆様と一緒に考える機会を持つことを楽しみにしながら。

     ◇◆◇

2018年8月にスタートした連載「共感にあらがえ」は今回で終了します。長らくご愛読いただきありがとうございました。連載の過去記事はサイト上に残りますので、またぜひご覧ください。

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