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福山城、姫路城、松山城……戊辰戦争で分けた命運 「青天を衝け」の城(9)

世界文化遺産の姫路城

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は大河ドラマ「青天を衝(つ)け」ゆかりの城の第9回。福山城、姫路城、松山城といった名だたる城が、旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争で分けた命運とは?

長州藩の標的となった福山城

1868(慶応4)年1月3日の鳥羽・伏見の戦いで火ぶたを切った戊辰戦争は、各藩を巻き込む内戦となった。現在は観光地となって私たちを楽しませてくれる全国各地の城も、多くがその舞台となっている。戦国時代末期から江戸時代初期、戦いを想定して築かれながらも戦場にならなかった城は、幕末に緊迫した局面を迎えたのだ。

鳥羽・伏見の戦いに勝利した新政府軍は、山陰道、東海道、東山道、北陸道にそれぞれ「鎮撫総督」と呼ばれる長官を任命して暴動を取り締まらせた。そうした動きの中、山陽道方面でまず標的となったのが、福山城(広島県福山市)だった。1月9日、長州藩の軍勢が福山城めがけて進撃を開始した。

福山城は、1619(元和5)年にこの地を拝領した譜代大名の水野勝成が、2代将軍・徳川秀忠の命で築いた城だ。1615(元和元)年の武家諸法度の公布後に築かれた城は珍しく、西国の有力大名を牽制(けんせい)するために徳川幕府が特例で認めたものと考えられる。

現存する伏見櫓(やぐら)は、梁(はり)に残る「松ノ丸ノ東やくら」の刻印などから、1602(慶長7)年に徳川家康が再建した伏見城(京都市)の松ノ丸三重櫓を移築した建物とわかっている。福山城と徳川将軍家との深いつながりを示す証しといえよう。

福山城の伏見櫓
福山城の伏見櫓

伏見櫓のほか、筋鉄御門(すじがねごもん)、月見櫓、本丸御殿、湯殿、火灯櫓、追手御門などが、伏見城から移築されたとみられている。破却または焼失を免れた伏見櫓と筋鉄御門だけが残り、国の重要文化財に指定されている。

福山城の筋鉄御門
福山城の筋鉄御門

新政府軍の動きを察した福山藩がすぐさま恭順の意を示したため、城下が戦火に包まれることはなかった。長州軍が天守を狙った大砲の砲弾が1層目の西南角部に命中したが、爆発しなかったという。迫る長州軍に城内の銃撃隊が応戦したものの、戦いは半日ほどで終息。11日には長州藩との間で同盟が結ばれ、その後、福山藩は新政府軍に加勢している。

#cap1-4 改修工事前の福山城天守(2016年撮影)
改修工事前の福山城天守(2016年撮影)

福山城天守の北側の外壁にはかつて鉄板が張られ、最上階を除いて真っ黒だった。砲撃を防ぐべく装着されたらしい。2022(令和4)年の築城400年に向けて復元プロジェクトが推進中で、珍しい鉄板張りの天守がよみがえる。天守は、太平洋戦争の空襲で焼失。今年4月に初めて本物と思われる鉄板2枚が発見され、製造時期などの科学的分析が待たれる。

NEXT PAGE戦況次第では焼失していた姫路城

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