ニッポン銭湯風土記
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「ええとこだっせっ」大阪・京橋の盛り場と、都会の奇跡「菊水温泉」

独特のオーラに包まれる菊水温泉の脱衣場。映画のワンシーンの中にいるような錯覚を覚える=大阪市城東区

【動画】れんが階段から菊水温泉へ

「穴の底」のタイムスリップ空間

靴を脱いで脱衣場へ上がると、古い木製番台でおかみさんが満面の笑みで「いらっしゃい」と迎えてくれる。ご高齢だが背筋を伸ばして、さっぱりとして、とても魅力的な方だ。そして目の前には菊水温泉名物、思わず息をのむような圧巻の木製脱衣箱がドーン!と現れる。

脱衣箱や番台はきれいに磨かれ、ニスを塗られて蛍光灯につやつやと光っている。天井からは3枚羽の白いプロペラ扇。歴史の蓄積によってしか醸し出されない濃厚なオーラが脱衣場全体を覆い尽くしている。

ケヤキ一枚板に漢数字が浮き彫りされた菊水温泉の脱衣箱。かつては大阪の伝統的な銭湯でよく見られたが、今では数軒に残るのみ
ケヤキ一枚板に漢数字が浮き彫りされた菊水温泉の脱衣箱。かつては大阪の伝統的な銭湯でよく見られたが、今では数軒に残るのみ

大阪の街なかとは思えない、まったくの静寂空間。おかみさんはニコニコしながら、「ここは穴の底です」とか「チロリン村やからね」と表現されるが、本当にその通りだと感じる。

私が初めてここへ来たのは12年前の初夏だった。脱衣場の真ん中に置かれた机がとても気になり、なぜだか「ここで夏休みの宿題をしたかったなぁ」と感じて、おかみさんにそう言ったことを覚えている。その後、時は流れて私も年をとったが、ここだけは時間が、いや空気全体が止まっている。

(上)脱衣場に掲げられている注意書きの看板。病院の広告部分には、1950~60年代に大阪市内を走ったトロバス(トロリーバス)の文字が見える(下)3枚羽の天井扇
(上)脱衣場に掲げられている注意書きの看板。病院の広告部分には、1950~60年代に大阪市内を走ったトロバス(トロリーバス)の文字が見える
(下)3枚羽の天井扇

裸になって浴室へ。古いながらもパステル調の細かなタイルがおかみさんによって丁寧に補修され、空間を埋めている。湯船には清澄な湯が湧き上がり、やわらかく身を包む。鏡は高い位置にあり、ひげは立ってそらねばならない。これも昔ながらの銭湯でしばしば見られるしつらえだ。

明るい浴室。湯は薪で沸かされている
明るい浴室。湯は薪で沸かされている
奥の電気風呂の壁にはなぜか西洋の馬車と貴婦人をかたどったモザイクタイル画がある。かと思えば、横のタイルには注意書きがマジックで直接書きつけられている
奥の電気風呂の壁にはなぜか西洋の馬車と貴婦人をかたどったモザイクタイル画がある。かと思えば、横のタイルには注意書きがマジックで直接書きつけられている

ゆっくりとぬくもり、体を隅々まで洗って、再び脱衣場へ上がる。開け放たれた掃き出し窓の外には小さな前栽(せんざい)があり、池に4匹のコイが泳いでいる。おかみさんはこのコイたちをとてもかわいがっていて、ジュースを飲みながらしばしコイについて語らった。菊水温泉がいつ建てられたのかはわからない。おそらく戦後まもなくの頃だろう。おかみさん夫婦は京橋の別の銭湯からここへ移ってきて44年になるという。

(左)男女仕切り壁の大きな鏡に書かれた古い広告も味わい深い(右)おかみさんはせっけん会社のポスターのモデルになったこともある。ポスターの中でも、いつもの笑顔
(左)男女仕切り壁の大きな鏡に書かれた古い広告も味わい深い(右)おかみさんはせっけん会社のポスターのモデルになったこともある。ポスターの中でも、いつもの笑顔

京橋の、あえて手前で立ち寄った居酒屋で

「また来ます」と告げて外へ出ると、日はすっかり暮れていた。いつものことだが、菊水温泉の帰り道はなぜだか何度も振り返ってしまう。路地を出た坂のところから、上城見橋の上から、さっきの風呂屋が本当に現実のものだったのか確かめずにはおれなくなる。前方には大阪の街のまばゆい光。これからあそこへ帰ってゆくのだな。私はどちら側の人間なのだろう……。

(左)夜の菊水温泉(右)上城見橋から眺める大阪の夜景
(左)夜の菊水温泉(右)上城見橋から眺める大阪の夜景

このかいわいに来ると京橋の繁華街で一杯やって帰るのが常だ。しかし今日は菊水温泉の余韻が強かったのか、鴫野(しぎの)橋の手前でなんとなく後ろ髪をひかれるような感じがして、右の暗い脇道をのぞいた。すると道に埋まりこむような家並みの一つに小さな赤ちょうちんが見える。

道に埋まりこむような居酒屋「友恵」
道に埋まりこむような居酒屋「友恵」

のれんをくぐると、カウンター10席ほどの小さな店。ビールを頼んで壁のメニューを見ると、京橋らしくどれも100~300円台と安いのだが……出てきた料理を見てビックリした。

エビと野菜天。エビの向こうにレンコンとカボチャ(ナンキン)が2切れずつ隠れている。380円(いずれも税込み)
エビと野菜天。エビの向こうにレンコンとカボチャ(ナンキン)が2切れずつ隠れている。380円(いずれも税込み)
(左)ハンバーグ。この大きさ、厚みは写真では表現しきれない。390円。(右)ゴロゴロ果実入りキウイサワー、こんなのも飲める。500円
(左)ハンバーグ。この大きさ、厚みは写真では表現しきれない。390円。(右)ゴロゴロ果実入りキウイサワー、こんなのも飲める。500円

どの料理もおいしくて、ボリュームがあって大満足。それに、なんとなく菊水温泉の延長にいるような、さりげない温かみを感じてちょっとうれしくなった。

22年前にこの店を始めたお母さんの友恵さんを、長女と次女が支えて切り盛りしている。日・月定休、現在は時短営業で17〜21時(本来は22時まで)
22年前にこの店を始めたお母さんの友恵さんを、長女と次女が支えて切り盛りしている。日・月定休、現在は時短営業で17〜21時(本来は22時まで)

京橋の繁華街、OBP、そして中浜地区と、対照的な三つの街を横滑りするような数時間を反芻(はんすう)するように思い出しながら、でもどれも現実の大阪なのだ……と一人納得しつつしみじみと飲んだ。

「ええとこだっせっ」大阪・京橋の盛り場と、都会の奇跡「菊水温泉」

【菊水温泉】
大阪市城東区中浜1丁目3−6
電話 06-6962-2100
営業時間 16:00~21:00 第一・第三月曜定休(5週の月は最終週に不定休1日)
※今回は京橋駅から往復したが、最寄り駅はJR学研都市線・地下鉄今里筋線「鴫野」で、大阪環状線からは「大阪城公園」が近い

「旅先銭湯」シリーズ

本連載の著者・松本康治さんが、全国のレトロな銭湯や周辺の街を訪ねたムック本「旅先銭湯」は、書店やネット、各地の銭湯で販売中。松本さんは「ふろいこか~プロジェクト」を立ち上げ、廃業が進む銭湯を残したり、修復したりする活動も応援しています。

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