戊辰戦争の戦線、江戸開城を経て東北へ「青天を衝け」の城(10)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は大河ドラマ「青天を衝(つ)け」ゆかりの城の第10回。戊辰(ぼしん)戦争で、江戸城無血開城後に戦いの舞台となった東北地方の城を巡ります。
江戸城無血開城、戦火を免れた江戸
鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると、最高指揮官である徳川慶喜は大坂城から脱出。その理由は定かではないが、慶喜が江戸へ逃れたことで旧幕府軍は総崩れとなった。
江戸城に新政府軍が迫ると、13代将軍・徳川家定の正室である篤姫(天璋院)は、14代将軍・家茂の正室である和宮(静寛院)とともに徳川家の存続を働きかけた。勝海舟と西郷隆盛の話し合いにより、江戸城への総攻撃は中止。江戸城は無血開城し、江戸は戦禍を免れた。

2度の戦いで御殿など焼失 宇都宮城
ところが旧幕府の降伏方針に従わない旧幕臣も多く、各地で戦いが勃発した。関東で大きな戦いの舞台となった城の一つが、宇都宮城(宇都宮市)だ。宇都宮城には新政府軍が入っていたが、下総(しもうさ)の国府台(こうのだい)に結集した旧幕府軍が北上し、手薄になっていた宇都宮城に押し寄せ衝突。2度に及ぶ戦いで、宇都宮城の二の丸御殿をはじめ城内や城下町の建物の多くが焼失した。
新政府軍が宇都宮城攻めの拠点にしていた壬生城(栃木県壬生町)に対する旧幕府軍の攻撃が失敗に終わると、戦況は新政府軍に有利となっていった。宇都宮城の松が峰門では旧幕府軍の土方歳三が足を負傷するなど激戦が展開された。各藩を巻き込んだ戦いの戦況は一進一退だったが、やがて旧幕府軍の指揮官である大鳥圭介が宇都宮城から撤退し、宇都宮城の戦いは新政府軍の勝利となった。そして、主戦場は今市(栃木県日光市)へと移り、戦線は東北や北陸地方へと移っていったのだった。

奥羽越列藩同盟と、東北の悲劇
東北地方では多くの悲劇が生まれ、戦いの舞台となった城も多い。白河小峰城(福島県白河市)を舞台とした「白河口の戦い」、二本松少年隊の悲劇が語られる福島県二本松市における「二本松城の戦い」、そして、2013(平成25)年の大河ドラマ「八重の桜」で描かれた会津若松城(福島県会津若松市)での激戦「会津戦争」などが、よく知られるところだろう。
1868(慶応4)年5月に陸奥・出羽・越後の諸藩が軍事同盟「奥羽越列藩同盟」を結び、新政府軍に抵抗。同月に侵攻を開始した新政府軍と各地で戦った。
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