仲村トオル「20歳の頃の自分が、今の自分を見たら……かっこいいと思うだろうな」

多くの人が憧れる俳優たち。彼らはなぜ「かっこいい」のか。その演技論や仕事への向き合い方から、ルックスだけに由来しない「かっこよさ」について考えたい――。
仲村トオルは1985年のデビュー以来、36年のキャリアの中で着実に活動の幅を広げてきた。今秋公開の映画『愛のまなざしを』(万田邦敏監督)では、亡き妻への想いにとらわれながら、患者として現れた女性と激しい愛憎の渦に飲み込まれていく精神科医を演じている。
今の自分は、かつての自分からはどう見えると思うか、と問いかけると仲村は「今ね……思ってしまいました。20歳の頃の自分が、今の自分を見たら……かっこいいと思うだろうなって」と笑う。多くの「かっこいい人」たちを見てきた現在の仲村にとって、「かっこよさ」とは何か――。
(取材・構成=西森路代 ヘアメイク=飯面裕士〈HAPP’S.〉 スタイリスト=中川原寛〈CaNN〉)
“難しい”と感じている自分を現場に持っていかない
――万田邦敏監督の新作映画『愛のまなざしを』で演じた精神科医・貴志という役に対して、共感できるところや、逆に共感できないところはありましたか?
貴志は人の心の傷をなんとかしないといけないお医者さんなのに、自分の妻が心の病が原因で逝ってしまったという過去があって、自分も深い傷を負ってしまったし、喪失感や敗北感もあったと思うんですね。その深くて底の見えない傷を想像しようとは試みましたが、それは無理だ、と思いました。でも監督からは、僕のいいところが出ていたと言われてびっくりしました。貴志は忘れられない存在から逃れたいけど逃れられなくて、そんなとき、逃れられる方向に強烈な力で「私を愛して」と引っ張ってくれる人が現れて、それを求めてしまったんじゃないかと思うんです。でも完成した映画を見ると、それは危険なタイミングだったんだな、落ち入りやすい状況だったんだなと思いました。
――そういう意味で、貴志は複雑な役ですね。
台本を読んでしばらくの間は、「難しい過去を持った人物で、難しい展開の話だな」と思っていました。ただ、万田監督の作品では、いつもそうなんですが、難しいと感じている自分を撮影現場に持っていかない。自分だったらこうするとか、こう感じるというものを体から抜いて、とにかく言われた通りに動くことを目指すんです。
――ほかの現場に入るときは、またやり方が違うんですか?
監督、演出家の方によって違いますね。Aパターン、Bパターン、Bダッシュくらいは用意していかないといけないこともあるし、演劇だったら昨日言われたことは今日できるようにしておかないと……とか、監督や演出家の方々の求めるものに合わせて適応するようにしています。

弱っていることにあらがっているところがかっこいい
――これまでいろんな作品でいろんな役を演じられてきましたが、その中で「満足したな」とか「かっこいい役だったな」と思うものはありますか?
自分が演じた役で……(しばし考え込む)。
――今思いつかないようでしたら、また後で聞かせてもらおうと思います。このインタビュー連載では、俳優の方が考える「かっこよさ」についてうかがっています。仲村さんが若い頃に思い描いていた「かっこよさ」はどんなものでしたか?
小学校の頃はプロ野球選手に憧れていて、その理由は「かっこいいから」だったと思います。その後も、「あの人みたいにかっこよくなりたいな」とか、ずっと思ってきました。今でも、かっこいい年の取り方をしたいと思いますね。

――具体的にはどんな人を想像していますか?
以前、ある雑誌で、舘ひろしさんのインタビューとあわせて「なぜ舘さんはかっこいいのか」という文章が載っていたんですね。それには、「(舘さんは)かっこ悪いことをしないからだ」と。「疲れていてもだらしなくしゃがみこんだりしない。かっこよくポケットに手を入れて立っている」というようなことが書いてあって。弱っていることにあらがって、それを外に出さないのはかっこいいですよね。しかも、そこであらがえるのは、人の見ていないところで実はすごくトレーニングしていたりするからこそなんだろうなと。僕もそういう人になりたいと思いますね。
――仲村さんもそんなふうにあらがっていることはありますか?
自分の中ではささやかな自慢なんですけど、36年間仕事をやってきて、疲れているという理由で「休憩したい」と言ったことは一度もないんですね。山を登る映画を撮っていたときも、「ほかの人が疲れてるときに、お前が言うな」と思って耐えました。
――今「36年間やってきた」と言われましたが、デビュー当時、たくさんのライバルがいる中で、どうやって俳優として生き抜こうか考えていたことはありましたか?
どちらかというと、デビューより少し後にそういう気持ちがあった気はします。デビューした頃は幸いなことに、初めて出た映画にもお客さんが入っていたし、初めて出たドラマもたくさんの人に観(み)てもらえていたし、誰かと競うという気持ちは特に持たなかったんです。うぬぼれていたのかもしれないですね。一方で、「こんなことがいつまでも続くわけない」という怯(おび)えた気持ちもありました。

「ここだけじゃない、違うところにも行きたいんだけど」と思っていた
――その後、実際に何か壁を感じたことがあったんですか?
何回かありましたね。20代後半は、自分の歩いている道がどんどん狭くなって、道の両側の壁がどんどん高くなっていくようで、そこから逃れられない気がしていたこともありました。28歳のときに事務所を移籍したんですけど、「このままではヤバい」という思いが募っていたんです。
――そう思うに至るまでには、どんなことがあったんですか? 年齢によってやれる役が狭まることだったりも関係しているんでしょうか。
役に関してはそこまで感じていなかったですが、自分の色や立ち位置に関して、多くの人に決められているんじゃないかなという感覚はあったかもしれないですね。自分では「ここだけじゃない、違うところにも行きたいんだけど」と思っていました。年齢で役が狭まるというと、30代半ばくらいになって、「恋する大学生はもうできないんだな」と思いましたけど(笑)、それはそれで新しいことができるようになるので。「この前は中間管理職だったけど、管理職がきた」「ついに総理大臣か」って。
――恋する大学生ができないと思うのが30代半ばだったんですね(笑)。私はデビュー作の『ビー・バップ・ハイスクール』を映画館に見に行ったんですが、当時は俳優でありながらアイドル的な人気もありましたよね。そこから思うと、人気を期待される役だけでなく、すごくニュートラルにいろんな役をやる俳優になられたなと思います。
それはそうでしたね。当時は雑誌の表紙をやったりして、自分はまあまあアクションもできるアイドル俳優だととらえられてるんだなと感じていて、そこから逃れたいと思っていたこともありました。最初に多くの人が抱いたイメージは強く残るということで、今考えるとありがたいんですが、「俺、その看板だけを背負ってますか? ほかの看板も背負ってるんだけど」とも思ってました。
――そこから、今のようにイメージが広がりいろんな役をやるようになるには、何があったのでしょうか?
それはたぶん、俳優としての欲求に忠実にやってきた結果かなと。「まあまあアクションのできるアイドル俳優」という顔だけでやっていくのは違うなとか、真面目な人を演じた後はアウトローをやりたいし、社会的な重いテーマのものをやった後には、バカバカしいコメディーをやりたいなと思って、実際にやってきました。真夏のビールと真冬の熱燗(かん)によくたとえるんですけど、その時々でやりたいことに忠実にやってきた結果がつながってきたという感じですかね。

――演劇作品も、前川知大さんやKERAさんなどいろんな方の作品に出演されています。これは声をかけられてという感じですか?
そうですね。舞台に限らず、今やっている仕事は、いつかやる仕事のプレゼンテーションだと思っていて。この間、過去に自分の子ども役をやったことのある俳優さんと一緒になって、ちょうど人生の岐路に立つような年齢だったので、「どの道に進むの? 就活はやってるの?」って聞いたんですね。そうしたら「俳優で行きます」というので、「俳優は一生、就活だよ。ずーっと続くよ」と言ったことがあって。自分自身がまさにそうなので。
――仲村さんにとっても、今もそうなんですね。
そうですね。一生だと思うと、不安定だと思いますね。
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